第8話「戦場、突入しました」
第8話「戦場、突入しました」
朝。
煙が上がっていた。
ミアが窓を開けると、森の向こう、村のある方角の空が薄く霞んでいた。風向きによっては、遠く鉄と火薬の匂いがした。
(また戦争か。)
このあたりは帝国と連邦の境界線に近い。小競り合いが絶えない地域だ。ミアが森の奥に家を構えたのも、なるべく関わりたくないからだった。
「先生、朝食——」
セリアが台所から顔を出した瞬間、ルナが「ぁ!!」と声を上げた。
二人が振り返った。
ルナがヴァルの背中の上で、窓の外をじっと見ていた。煙の方向を。
「……ルナ、こっちおいで」
「ぁ!」
ルナが浮いた。
窓に向かって。
* * *
「ルナ!」
ミアが飛びついた。窓の外に出る寸前でルナを抱きとめた。
「だめだよ、外は——」
「ぁ!!!」
ルナが抗議した。窓の向こうを指さして、「ぁ!ぁ!!」と叫んでいる。
(何かが気になるの?)
ミアは窓の外を見た。煙。遠い怒号。何かが燃えている。
「あっちは危ないから」
「ぁ!!!!」
(聞いてない。全然聞いてない。)
そのとき、ルナの体がぼうっと光った。
銀色の、やわらかい光。
ミアの腕の中から、すうっと抜け出るように浮き上がった。
「ルナ!?」
止められなかった。
ルナは窓から飛び出して、そのまま空を飛んだ。
煙の方向へ、まっすぐ。
* * *
「ヴァル!」
「わかっている」
ヴァルが巨大化した。一瞬で馬ほどの大きさになった。ミアが背中に飛び乗った。
「セリアは家にいて!」
「先生、また壁を——」
「帰ったら直す!」
ヴァルが跳躍した。
森の木々を飛び越えて、空へ。ミアはヴァルの首にしがみついた。下に森が流れていく。風が顔を叩く。
「ルナはどこ!?」
「前方。速い」
「あの子なんで空飛べるの!?」
「知らない」
「竜王が知らないの!?」
「私も初めて見た」
(初めて見たって言われても!)
ルナは本当に速かった。ふわふわと、でも一直線に、煙の方向へ飛んでいく。落ちる気配が全くない。
やがて森が途切れ、視界が開けた。
村があった。
正確には、村だったものがあった。
* * *
建物の半分が燃えていた。
帝国の赤い旗と、連邦の青い旗が、村の両端で対峙している。村人はとっくに逃げたのか、戦場に残っているのは兵士だけだ。
その真ん中に。
ルナが降りていた。
「…………」
ミアは目を疑った。
両軍の兵士たちも目を疑っていた。突然空から赤ちゃんが降ってきたのだ。疑うのは当然だ。
「ぁ」
ルナがきょろきょろと周りを見た。燃えている建物を見た。倒れている兵士を見た。
そして。
泣いた。
(あ、まずい——)
「ヴァル全速力!!」
「もう最速だ!」
* * *
ルナが泣くと、魔力が暴発する。
これはもう証明済みだった。
問題は規模だ。家の壁一面が吹き飛んだのが先週。あれは驚きの感情だった。今回は悲しみだ。育児書には「悲しみは特に強い」と書いてあった。
(読んだ。読んだけど、まさかこんな場面で——)
ルナが本格的に泣き始めた瞬間、銀色の光が爆発した。
どん、ではなかった。
どどどどどどどんっ、だった。
帝国軍の右翼が吹き飛んだ。連邦軍の左翼も吹き飛んだ。村の燃えていた建物は燃えたまま横に転がった。地面に大きなくぼみができた。
両軍が、静止した。
ルナだけが、ぎゃんぎゃん泣いていた。
そこにヴァルが着地した。ミアが飛び降りた。
* * *
「ルナ!」
ミアはルナを抱き上げた。
「大丈夫、大丈夫だよ、ミアがいるから」
「ぅ……ぅぅ……」
ルナがミアの胸にしがみついた。しゃくりあげながら、それでもミアの服をぎゅっと握っている。
「怖かった?」
「ぅ……」
「もう大丈夫。ここにいるから」
ルナの泣き声が、少しずつ小さくなった。
ミアはルナの背中をぽんぽんしながら、ゆっくり顔を上げた。
両軍の兵士が、遠巻きにこちらを見ていた。誰も動かない。誰も声を上げない。
帝国側の一人が、震える声で言った。
「……な、なんだあの赤ちゃんは」
「知らん。でも近づくな」
「そんなの言われなくてもわかる」
連邦側でも似たような会話がされていた。
(正しい判断だと思う。)
ミアはルナをあやしながら、兵士たちを見渡した。吹き飛んだ人たちは、遠くの地面にめり込んでいる。生きているかは……まあ、頑丈そうだから大丈夫だろう。たぶん。
「……ヴァル」
「なんだ」
「帰れそう?」
「ルナが落ち着けば乗せられる」
「じゃあもうちょっと待って」
「ぁ……」
ルナがくぐもった声を出した。泣き疲れて、もう眠そうだ。
(この子、泣いて戦場ぐちゃぐちゃにして、そのまま寝るつもり?)
寝るつもりらしかった。ミアの胸の中で、だんだん重くなってきた。
(……まあ、いいか。無事だったから。)
ミアはルナをしっかり抱え直した。
「……ルナがどこかに飛んでいかない仕組みを考えないといけないね」
「同意する」とヴァルが言った。
両軍の兵士たちは、まだ誰も動いていなかった。
* * *
帰り道。
ヴァルの背中の上で、ルナはミアの腕の中でぐっすり眠っていた。
風が気持ちいい。戦場だった場所が遠ざかっていく。
「……ミア」
「なに」
「あの子が泣いた理由、わかるか」
ミアは少し考えた。
「……村が燃えてるのを見て、悲しかったんじゃないかな」
「生後数ヶ月で、か」
「そう」
「……不思議な子だ」
「うん」
ミアはルナの頭を見た。銀色の産毛。あったかい。
「でもそういうところも、好きだよ」
ヴァルは何も言わなかった。
ただ、少しだけ飛ぶ速度を落とした。ルナが揺れないように。
<続きます>
【次回予告】
帝国の騎士団長から手紙が届いた。
「先日の件について話し合いたい」
ミアは読んだ後、捨てた。
また手紙が届いた。




