第45話「月の模様」
第45話「月の模様」
道が遺跡の横を通っていた。
次の依頼地への近道だった。
セリアが地図を見ながら言った。
「遺跡跡を通ります。古い建物の残骸ですが、道は通れます」
「どのくらい古い?」とミアが言った。
「記録がないくらい古いです」
「記録がないくらい」
「はい」
ヴァルが少し止まった。
「ヴァル?」
「……何でもない。行くぞ」
(止まった。)
(何でもないとは言ったけど。)
* * *
遺跡跡に入った。
石造りの壁が残っていた。
屋根はなかった。
空が見えた。
草が生えていた。
石の隙間から草が出ていた。
古かった。
ただ古いというより、静かだった。
音が少なかった。
風も少なかった。
「誰もいないね」とミアが言った。
「調査の記録も少ないです」とセリアが言った。
「なんで?」
「近くの村の人たちが近づかないからだと思います」
「怖いから?」
「……理由は書いてありませんでした」
(理由がわからない方が怖い。)
「ぁ……」
ルナが静かだった。
珍しく静かだった。
遺跡を見ていた。
きょろきょろしていた。
でも声が小さかった。
(この子が静かなのは珍しい。)
(何かを感じているのかもしれない。)
(わからないけど。)
* * *
進んでいくと壁画があった。
壁の一面に彫られていた。
深く彫られていた。
長い年月が経っているのに、はっきり残っていた。
人の形だった。
大きかった。
長い衣をまとっていた。
手を広げていた。
頭の後ろに丸い光のようなものがあった。
「月の絵ですね」とセリアが言った。
「月?」とミアが言った。
「頭の後ろが月です。月を象徴する絵によく使われる形です」
「女神みたいな」
「そうだと思います。月の女神の像か、あるいは月に関係する何かを祀っていた場所かもしれません」
ミアは壁画を見た。
古かった。
でもはっきりしていた。
長い衣の線まで細かく彫られていた。
(誰かが丁寧に作った。)
(大切にしていた場所だったんだろう。)
* * *
「ぁ……」
ルナが声を出した。
小さい声だった。
でも確かに出した。
壁画を見ていた。
ヴァルの背中でじっと見ていた。
動かなかった。
きょろきょろしていたのが止まった。
壁画だけ見ていた。
「ルナ?」
「ぁ……」
返事が小さかった。
(いつもと違う。)
(この子はいつも「ぁ!!」と元気よく言う。)
(でも今は「ぁ……」だった。)
ルナが手を伸ばした。
壁画の方に手を伸ばした。
届かなかった。
でも伸ばしていた。
「ぁ……」
* * *
ヴァルがルナを壁画の近くに連れていった。
ルナが手で触れた。
石の表面だった。
彫られた線の上を、ゆっくりなぞった。
何も起きなかった。
ただ、ルナが静かにしていた。
帝国の遺跡でもそうだったけど、あのときとは違った。
あのときは興奮していた。
今は静かだった。
落ち着いた静かさだった。
「ぁ……」
ルナが壁画から手を離した。
ミアを見た。
いつもの顔だった。
「ぁ!!」
急に元気になった。
(戻った。)
(何かを確かめたら戻った。)
(何を確かめたのかはわからない。)
* * *
ヴァルが壁画を見ていた。
ミアが隣に来た。
「ヴァル」
「……」
「さっき止まったのはここのこと?」
「……知っている場所だった」
「知ってる?」
「ずっと昔、ここに何かがあった。今はもう何もない」
「何があったの?」
ヴァルが少し間を置いた。
「月に関係するものだ」
「月」
「それ以上は言えない。私にもわからないことがある」
(ヴァルにもわからないことがある。)
(竜王にも。)
「ルナが反応したのは?」
「……わからない」
「本当に?」
「本当にわからない。ただ」
ヴァルが壁画を見た。
「ルナはここに来たことがある気がした。そういう顔をしていた」
(来たことがある。)
(生後五ヶ月の子が。)
(ここに。)
(わからない。)
(でも気になる。)
* * *
遺跡を抜けた。
道が広くなった。
空が開けた。
普通の道に戻った。
「ぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ルナが急に元気を取り戻した。
ヴァルの背中で体を揺らし始めた。
「さっきまで静かだったのに」とセリアが言った。
「抜けたら戻った」とミアが言った。
「遺跡の中だけ静かだったんですね」
「うん」
「不思議ですね」
「うん」
(不思議だった。)
(でもルナが元気なのでいい。)
(今はそれだけでいい。)
* * *
夜、野営した。
依頼地に着く前に日が落ちた。
道沿いに広い草地があったので泊まることにした。
セリアが野草のスープを作った。
ヴァルが火を起こした。
「また野草のスープだ」とミアが言った。
「はい」とセリアが言った。
「慣れてきた」
「慣れることは大切です」
「そう?」
「はい」
「……そうだね」
ルナが離乳食を食べていた。
嬉しそうだった。
毎回嬉しそうだった。
(この子の離乳食への喜びは変わらない。)
(見ていると少し元気が出る。)
* * *
食事が終わった。
火が落ち着いた。
セリアが眠った。
ヴァルがルナの傍で丸くなった。
ミアは空を見た。
満月だった。
(今日は満月だ。)
大きかった。
旅に出てから見た月の中で一番大きく見えた。
気のせいかもしれなかった。
「ぁ……」
ルナが月を見ていた。
眠そうだったのに、月を見ていた。
目がとろとろしながら、月を見ていた。
(調印式の夜もそうだった。)
(満月の夜、ルナは月を見る。)
「ルナ、眠り」
「ぁ……」
「月は逃げないよ」
「ぁ……」
目がとろとろしながら、それでも月を見ていた。
* * *
ヴァルが静かに言った。
「ミア」
「何?」
「今夜は私が起きている」
「なんで?」
「……満月だから」
「満月だから?」
「ルナの様子がいつもと少し違う。念のためだ」
(念のため。)
(ヴァルが念のためと言うときは、本当に念のためじゃないことがある。)
「……何かあるの?」
「わからない。ただ」
ヴァルが月を見た。
「今夜は私が起きている」
(それだけ言った。)
(それ以上は言わなかった。)
ミアはルナを見た。
ルナがやっと目を閉じ始めていた。
月を見たまま、ゆっくり目を閉じていた。
「ぁ……」
最後に小さく言った。
それから眠った。
満月が、静かに光っていた。
遺跡の壁画の女神と同じ丸さで。
<続きます>
【次回予告】
薬草採取の依頼だった。
危険地帯だった。
魔物がいた。
ミアが見た。
魔物が帰った。
同行した冒険者が震えた。
ミアは目立たなくて済んだと思った。
目立っていた。




