第4話「竜王、来ました」
第4話「竜王、来ました」
朝。
ミアは死んでいた。昨日より死んでいた。
テーブルに突っ伏したまま、腕だけ伸ばしてルナの背中をぽんぽんしていた。ルナは毛布の上でごろごろしながら「ぁ」とか「うぁ」とか言っている。機嫌はいい。
(よかった。今日は泣かないでいてくれ。頼む。)
「先生、朝食できてます」
「……食べる気力がない」
「食べてください。倒れられたらルナちゃんが困ります」
正論だった。ミアはのろのろと起き上がった。
食卓に座って、スープを一口飲んだ。体に染み渡る。
「……セリア、料理うまくなったね」
「先生が料理しないので、私が練習するしかなかったので」
「……ごめん」
「ルナちゃんのためにも、離乳食の勉強をしておいてください」
「する。でも今日じゃなくていい?」
「今日じゃなくていいです」
ルナが「ぁ!」と大きな声を出した。二人が振り返ると、ルナは窓の外をじっと見ていた。
何かが気になるらしい。
(何かいる?)
ミアは窓の外を確認しようとした。
* * *
どん、という音がした。
昨日の壁ではなく、地面が揺れた。
「……?」
もう一度。どん。
また。どん、どん、どん。
リズムがある。何かが近づいてくる音だ。
「先生」
「わかってる」
ミアは立ち上がり、魔法の準備をした。破壊魔法。いつでも撃てる。
どん、どん、どん。
近い。森の方から来ている。木が揺れている。鳥が一斉に飛び立った。
そして。
森の木々をかき分けて、それが現れた。
* * *
竜だった。
正確には、竜という言葉では収まらない何かだった。全長はゆうに二十メートルを超える。鱗は深い夜色で、一枚一枚が鎧のように厚く重なっている。翼を広げれば家が二軒は隠れる。
目が、赤い。
世界を見下ろしてきた目だ。大陸の地図を記憶している目だ。何百年もの戦争を眺めてきた目だ。
「…………」
ミアは固まった。
(でかい)
(でかすぎる)
(あれ、図鑑で見たことある)
(あれって確か……)
記憶の棚を高速でひっくり返す。魔女学校の授業。禁忌の生物。大陸の脅威。
(竜王……!?)
大陸に一体だけ存在するとされる、世界滅亡級の魔物。百年に一度、目撃情報が出るたびに大陸規模の警戒態勢が敷かれる存在。
それが今、ミアの家の前に立っていた。
「逃げるよセリア——」
「ぁ!!!!」
ルナが叫んだ。
嬉しそうに。
* * *
竜王が、ルナを見た。
ルナが、竜王を見た。
「ぁ!ぁ!!」
ルナが手足をばたばたさせた。興奮している。見たことのない生き物が来た、とでも思っているのか、銀色の瞳をきらきらさせている。
竜王が、ゆっくりと頭を下げた。
「…………」
ミアは自分の目を疑った。
あの竜王が、頭を下げた。地面すれすれまで。ルナに向かって。
「ぁ!」
ルナが笑った。
竜王の巨体が、ぶるぶると震えた。
(震えてる……?あの竜王が……?)
次の瞬間、竜王の体が急激に縮んだ。夜色の鱗が小さくまとまって、翼が折りたたまれて、巨大な体がみるみる小さくなって——
気づいたら、猫くらいの大きさの竜がそこにいた。
小さくなっても目だけは赤い。じっとルナを見ている。
「…………」
ルナが手を伸ばした。
小さな竜が、その手にすり寄った。
「ぁ……」
ルナが撫でた。
小さな竜が、目を細めた。
「…………はあ」
ミアはため息をついた。三日間で何度目かわからない。
* * *
「整理します」
セリアがお茶を出しながら言った。
「うん」
「あれは竜王ですか」
「たぶん」
「世界滅亡級の」
「そう」
「それが今、ルナちゃんに撫でられて喜んでいる」
「見ての通り」
テーブルの上にルナが座っていた。小さくなった竜王はルナの膝の上に乗っていた。ルナがぺたぺたと背中を叩くたびに、小さな竜はじっと動かなかった。目が細い。明らかに喜んでいる。
「……名前をつけるべきですか」
「どうだろ」
「このままだと先生が『でかいやつ』って呼びそうなので」
「……ヴァルとかどう」
「なぜヴァルですか」
「なんとなく」
セリアが竜王を見た。竜王がセリアを見た。目が赤い。普通に怖い。
「……ヴァルでいいと思います」
「ヴァル」
「……」
竜王——ヴァルがミアを見た。
「よろしく」
「……」
ヴァルはすぐにルナに視線を戻した。
(なんか気に入らない態度だけど、まあいいか)
「ルナ、これヴァルだよ」
「ぁ!」
ルナがヴァルの顔をぺちぺち叩いた。ヴァルは微動だにしなかった。完全に甘受していた。
(世界滅亡級が赤ちゃんにぺちぺちされてる)
ミアは少し笑った。
* * *
夕方。
ヴァルはどうやら帰る気がないらしかった。
庭の隅に座って、ルナをじっと見ている。ルナが寝ると、ルナの周りをゆっくり一周して、また座る。
「……番犬みたい」
「番犬どころじゃないですよ」とセリアが言った。「世界最強の護衛です」
「まあ、ルナが懐いてるから」
「問題はなぜ懐いたかですよ」
ミアは少し考えた。
ルナの異常な魔力。魔力の暴発。竜王に懐かれる。月みたいな瞳。
(この子、どこから来たんだろう)
戦場の廃屋。くるまれた布。「ふぇふぇ」という声。
両親が逃げるときに置いていった、というのが一番自然な想像だ。でも。
(それにしては、普通じゃなさすぎる)
「……先生」
「なに」
「考えすぎです。今日は寝てください」
「でも——」
「ルナちゃんはヴァルが見てます。今夜くらい寝ていいです」
ミアはヴァルを見た。ヴァルはルナの隣でじっと座っていた。
「……ヴァル、ルナのこと頼める?」
「……」
返事はなかった。でも、ヴァルがルナに向けていた目が、一瞬だけミアを見た。
(それが返事だと思っておく)
「じゃあ、お願い」
ミアは寝室に向かった。
四日ぶりに、ちゃんと横になれる気がした。
廊下から振り返ると、ルナはヴァルの背中にもたれて、もう眠そうに目を細めていた。
ヴァルがルナを背中にのせたまま、じっと動かなかった。
(世界滅亡級が、赤ちゃんの寝かしつけをしている。)
ミアは笑いをこらえながら、寝室に入った。
<続きます>
【次回予告】
ヴァルが家に定住し始めた。
なお、普段は小さいが、機嫌が悪いと少しでかくなる。
セリアが毎日修理している。




