第3話「家、半壊しました」
第3話「家、半壊しました」
夜。
ルナが泣いた。
ミアが抱き上げた。揺らした。寝た。置いた。泣いた。
ミアが抱き上げた。揺らした。寝た。置いた。泣いた。
ミアが抱き上げた。揺らした。寝た。置いた。
「……」
静寂。
ミアは息を殺した。一秒。三秒。五秒。
(寝た……?寝た!?)
十秒。
泣かない。
(やった……!!)
ミアはそのまま床にへたり込んだ。全身の力が抜けた。空が白み始めていた。三回目の夜明けだった。
(私、この三日間で何時間寝たんだろう)
計算する気力もなかった。
* * *
朝。
セリアが台所で朝食を作っていた。ミアはテーブルで育児書を開いていた。ルナは毛布の上でごろごろしていた。
昨日買ってきた育児書。分厚い。辞書より分厚い。ページをめくるたびに知らないことが出てくる。
「……『月齢三ヶ月ごろから、感情に連動した魔力の発現が見られる場合がある』」
「先生、それ普通の育児書じゃないですか?魔力のページなんてありましたっけ」
「巻末の付録に『魔力を持つ子の育て方』って特集があった」
「……需要あるんですね」
「『感情が高ぶると魔力が暴発することがある。特に驚き・喜び・怒り・悲しみの四感情に注意』」
ミアはページを読み上げながら、ルナを横目で確認した。今はご機嫌だ。絵本を胸に抱えてぼんやりしている。
(昨日の浮遊も、絵本が欲しくて嬉しかったから、か)
「……『強い感情と連動した暴発は、周囲の建物や地形に影響を与える可能性がある。日頃から穏やかな環境を保つことが重要』」
「先生」
「なに」
「その子、今どんな感情ですか」
「……ご機嫌」
「ならよかったです」
ミアはページをめくった。次のページには「暴発の規模は魔力量に比例する」と書いてあった。
(ルナの魔力量って、どのくらいなんだろう)
昨日の浮遊を思い出す。本棚の高さまで、すうっと。あれだけの浮力を生後数ヶ月で出せるなら、魔力量はかなりのものだ。
(でも今は穏やかだし、大丈夫でしょ)
ミアはそう結論づけて、育児書を閉じた。
そのとき。
玄関の扉が、激しくノックされた。
* * *
「開けろ!魔女!」
野太い声。
ミアは眉をひそめた。
(誰?)
扉を開けると、帝国軍の兵士が三人立っていた。鎧姿。剣を腰に下げている。
「魔女ミアだな」
「そうだけど」
「先日の戦場での無断介入について、帝国として説明を求めに来た。来い」
「……は?」
(あの戦場、帝国側だったの。知らなかった。)
「やだ」
「なんだと」
「赤ちゃんいるから」
兵士三人が顔を見合わせた。
「……赤ちゃん?」
「そう。今朝やっと寝たとこだから、静かにして」
「貴様、帝国軍に対して——」
「うるさいと泣くよ」
「…………」
兵士たちが黙った。
(よかった。でも追い払えるかどうか)
ミアが対応を考えていたとき、背後から「ふぇ」という声が聞こえた。
(……起きた)
振り返ると、ルナが毛布の上で目をこすっていた。声に起こされたのだ。
「ルナ、大丈夫——」
ルナがミアと目が合った瞬間。
玄関に見知らぬ人間が三人いるのに気づいた。
「……ふぇ」
(あ、やばい。怖がってる。)
ミアが駆け寄ろうとした。
間に合わなかった。
ルナが、泣いた。
本気で。
* * *
どん、という音がした。
次の瞬間、家の壁が一面吹き飛んだ。
兵士三人が空を飛んだ。遠くの木にぶつかって止まった。
ミアは咄嗟に魔法障壁を張ったおかげで無事だったが、テーブルは粉砕され、育児書は跡形もなく、さっきまで座っていた椅子は屋根に刺さっていた。
「…………」
ルナは泣き止んでいた。自分がやったと気づいていないのか、ぽかんとしている。
「ぁ?」
(気づいてない。まあそうか。)
セリアが台所の入り口に立っていた。朝食のフライパンを持ったまま、ぽかんとしている。
「……先生」
「なに」
「育児書に書いてありましたよね。『強い感情と連動した暴発は、周囲の建物や地形に影響を与える』って」
「読んだ」
「読んだ上でどうするつもりだったんですか」
「……穏やかな環境を保つつもりだった」
「帝国兵を玄関に通した時点で失敗してます」
「正論すぎてつらい」
ミアはへたり込んだ。吹き飛んだ壁から、朝の風が入ってくる。爽やかだった。状況が爽やかじゃないだけで。
ルナが「ぁ」と言いながらハイハイでミアの方に近づいてきた。ミアの服の裾を引っ張る。
「……なに」
「ぁ」
(謝ってるの?それとも単に構ってほしいだけ?)
どっちでもよかった。
ミアはルナを抱き上げた。
「怖かった?」
「ぁ……」
「もう大丈夫だよ」
ルナが、ミアの胸に顔をうずめた。
(かわいい。壁一面吹き飛ばしたことは一旦忘れる。)
(忘れないけど。セリアが絶対修理しろって言うし。)
* * *
昼。
セリアが壁の修理を始めた。
ミアは木材を魔法で切り出しながら手伝った。本来は破壊専門なので、細かい作業が苦手だ。三回切り間違えた。
「先生、それ柱です。切らないでください」
「あ、ごめん」
「もう少し右です」
「こう?」
「……まあ、いいです」
ルナは庭で日向ぼっこしていた。毛布の上に寝かせておくと、空を見上げてぼんやりしている。雲が流れるのを目で追っている。
「……いい子だ」
ミアが呟いた。
「さっきまで壁を吹き飛ばしてた子です」とセリアが言った。
「でもいい子だよ」
「……まあ」
セリアも少し笑った。
修理が終わる頃には日が傾いていた。ミアは何度かルナをのぞきに行って、そのたびにセリアに「手が止まってます」と言われた。
夕暮れ。
庭に寝かせていたルナを抱き上げたとき、空の色が橙から紺に変わっていくのを、二人で並んで見た。
「……きれいだね」
「ぁ」
(この子、空と月が好きなんだろうな)
なんとなくそう思った。理由はわからない。でも確かにそう思った。
その夜。
また三時間おきに泣いた。
当たり前のように壁修理の疲労が上乗せされて、ミアは夜明けに本格的に死んだ。
<続きます>
【次回予告】
森の奥から、何かがやってくる。
でかい。翼がある。龍だ。
なぜかルナに懐いている。




