第34話「庭に子どもが増えていく」
第34話「庭に子どもが増えていく」
朝から、ライナーが忙しそうだった。
書類が来た。
また書類が来た。
使者が来た。
学者が来た。
また学者が来た。
「……ライナーさん、大丈夫ですか」
「問題ありません」
顔色がよくなかった。
「遺跡のことで?」
「昨日のうちに王宮付きの学者に報告が入りまして。今朝から問い合わせが続いております」
「帝国中から?」
「帝国中から、です」
ライナーがまた書類を受け取った。
読んだ。
また別の書類を受け取った。
(大変だ。)
ミアはルナを抱えたまま、そっとその場を離れた。
* * *
ガルドは関係なかった。
「庭に出るぞ!!」
「いいんですか」とセリアが言った。
「ライナーは忙しそうだ。俺たちがいても邪魔になる」
「……気を遣えるんですね」
「当然だ!!」
王宮の庭は広かった。
よく手入れされた芝。噴水。木陰のベンチ。
奥の方に訓練場が見えた。
「ぁー!!!!」
ルナが芝の上に降りたがった。
ミアが下ろした。
即座にハイハイが始まった。
「速い!!」とガルドが言った。
「うん」
「芝の上でも速い!!」
「うん」
「昨日石畳でも速かったのか!?」
「うん」
「よし!!」
(何がよしなのかわからない。)
ヴァルが木陰に陣取り、目を閉じた。
* * *
最初に来たのは、庭師の子どもだった。
五歳くらいの男の子。
庭の隅で父親の仕事を眺めていたらしい。
ルナを見て、じりじりと近づいてきた。
「……あれ、赤ちゃん?」
「そうだよ」とミアが言った。
「速い」
「速いね」
「なんで速いの」
「わからない」
男の子はしばらくルナを見ていた。
ルナも男の子を見た。
「ぁ!!」
ルナが男の子に向かってハイハイで突進した。
男の子がひゃっと声を上げて後ずさった。
ルナが足元に到着して、ズボンの裾をつかんだ。
「……つかんでる」
「ごめんね、離さないかも」
「いい」
男の子が、そっとルナの頭を撫でた。
「やわらかい」
「ぁー」
(なかよくなった。)
* * *
次に来たのは、騎士見習いの女の子だった。
七歳くらい。きっちりした訓練着。真面目な顔。
庭を横切ろうとして、ルナを見て、止まった。
「……何ですか、あれは」
「赤ちゃんです」とセリアが言った。
「なぜ庭にいるんですか」
「散歩です」
「なぜあんなに速いんですか」
「わかりません」
女の子は眉をひそめた。
ルナがその女の子に向かってハイハイで突進した。
女の子が動じずに仁王立ちした。
ルナが足元に到着して、ブーツの爪先をぺちぺちと叩いた。
「……叩いています」
「うん」
「どうすればいいですか」
「そのままでいいと思います」
女の子はしばらく考えてから、膝をついた。
ルナと同じ高さになった。
ルナをじっと見た。
ルナがじっと見返した。
「……名前は?」
「ぁ」
「ルナ、です」とミアが言った。
「ルナ。覚えました」
「ぁー!!」
(ルナも覚えたらしい。)
* * *
そのうちガルドが「よし!!」と言い始めた。
子どもが三人になっていた。
どこから来たのかわからない。
気づいたら増えていた。
「集まれ!!」
ガルドが子どもたちに向かって声をかけた。
子どもたちが集まった。
ルナも集まった。ハイハイで。
「ルナの追いかけっこをする!! ルナを追いかけろ!!ただし捕まえるな!! 転ばせるな!! 遠くに行かせるな!!」
子どもたちが真剣な顔でうなずいた。
「よし!!」
「ぁ!!!!!!!!!!!!!!!!」
ルナが全力でハイハイを始めた。
子どもたちが走り出した。
ガルドも走り出した。
(ガルドが一番速い。)
ミアはベンチに座り、セリアと並んでそれを眺めた。
「……楽しそうですね」
「うん」
「ガルド様も楽しそうです」
「一番楽しそうだね」
「ぁー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ルナの声が庭に響いた。
* * *
昼前に、帝国王が庭に出てきた。
何の気なしに散歩に来た顔だった。
庭を見た。
止まった。
子どもが七人いた。
ガルドがいた。
ルナがハイハイしていた。
全員がルナを追いかけていた。
ガルドが一番速かった。
「……視察か」と帝国王がつぶやいた。
誰にも聞こえなかった。
帝国王はそのままベンチに座り、ミアの隣に腰を下ろした。
「賑やかだな」
「すみません、庭を使ってしまって」
「構わない」
帝国王はしばらく黙って眺めた。
「……子どもの声を聞くのは、久しぶりだ」
「王宮には少ないですか」
「いない。正確には、来ない」
(来ない。)
「……戦争が長かったから」
「そうだな」
帝国王の声は静かだった。
「子どもを王宮に連れてくる余裕が、誰にもなかった。そういう時代だった」
ガルドが「よし!!」と言った。
子どもたちが笑った。
ルナが「ぁ!!!!!!!!!!!!」と言った。
帝国王が、微かに目を細めた。
「……これでよかったのだろうな」
「何がですか」とミアが聞いた。
「戦争が終わって。こういう声が聞こえるようになって」
(……この人も、ずっと戦争の中にいたんだ。)
ミアは何も言わなかった。
言う必要がない気がした。
「ぁ!!!!!!!!!!!!!!!!」
ルナが帝国王の方に向かってきた。
追いかけっこから脱走したらしい。
帝国王の足元に到着して、ズボンの裾をつかんだ。
「……またか」
「ぁー」
帝国王が指を差し出した。
ルナがつかんだ。
「よし!!」とガルドが言った。
「陛下に何をやらせているんですか!!」と騎士の一人が叫んだ。
「ルナ様の指つかまれ係だ!!」
「何ですかそれは!!」
(ガルドに聞いても答えは出ない。)
帝国王は答えなかった。
ただ、ルナの指を握り返した。
* * *
昼。
子どもたちが各々帰っていった。
庭師の子どもが最後まで残っていた。
帰り際に、ルナに向かって手を振った。
「バイバイ、ルナ」
「ぁー!!」
男の子が笑って走っていった。
(ルナに友達ができた。)
ミアは少しだけ、その背中を眺めた。
* * *
午後。
ライナーが書類の山からようやく顔を上げた。
「……遺跡について、学者の方々が正式な調査を申し出ています」
「どのくらい来るの?」
「今のところ問い合わせが十二名。増える可能性があります」
「十二名」
「はい」
「遺跡の中、そんなに広くなかったよね」
「広くはありません」
「十二人入れるの?」
「……交代制にします」
ライナーが軽く目を閉じた。
疲れているが、整理されている顔だった。
「ミア殿にも、改めてお話を伺えればと思っています。ルナ様が触れた際の状況を」
「いいよ。ただ私も詳しくはわからないから」
「それでも構いません」
セリアが紅茶を運んできた。
ライナーが受け取った。
一口飲んだ。
「……ありがとうございます」
「お疲れでしょう」
「遺跡が光ったのは昨日のことなのに、随分遠い気がします」
(本当に昨日のことだ。)
ミアはルナを見た。
ルナはヴァルの尻尾をつかんで、引っ張っていた。
「……引っ張るな」
「ぁ!!!!」
「引っ張るな」
「ぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
(今日も元気だ。)
* * *
夜。
ルナが眠った後、ミアは窓から空を見た。
学者が来る。
遺跡を調べる。
何かがわかるかもしれない。
わからないかもしれない。
(ヴァルが言っていた。竜族の記憶にもない。)
それだけが、ずっと引っかかっていた。
「ぁ……」
ルナが寝言を言った。
ウサギをぎゅっとしながら。
(この子が触れて動いたものが、何なのか。)
(でも今日は、庭で子どもたちと走り回っていた。)
(笑っていた。声を上げていた。)
どちらも、同じルナだった。
「おやすみ、ルナ」
月が出ていた。
昨日より、少しだけ細くなっていた。
<続きます>
【次回予告】
学者たちが遺跡に入った。
調べた。
何かが反応した。
今度は昨日より大きかった。
ミアが動いた。
本気ではなかった。
それでも、止まった。
ライナーが書類を落とした。
ガルドが「よし!!」と言った。




