第32話「ルナ様、王宮を制圧する」
第32話「ルナ様、王宮を制圧する」
ヴァルの背中は、思ったより広かった。
「……揺れない」
「当然だ」
大きくなったヴァルの背に、ミアとセリアとルナが乗っていた。
ルナはミアの膝の上で「ぁー」「うー」と言いながら、下を見ていた。
雲の上から帝国の平野が見える。川が光っている。
「ルナ、下は遠いから覗かないよ」
「ぁ!!!!」
(覗きたいらしい。)
セリアが荷物の籠を押さえながら言った。
「……空から来ると速いですね」
「馬車より早い」とヴァルが言った。
「ガルドさんは地上から走ってきてますよね」
「知らない」
(知らないんだ。)
* * *
帝国の都、カルディスが見えてきた。
石造りの城壁。整然と並ぶ建物。遠くに王宮の塔。
ミアは初めて見る帝国の都を、なんとなく緊張した顔で眺めた。
(……大きい。)
ヴァルが高度を下げ始めた。
城門の外、広場のような場所に向かっていく。
ヴァルがゆっくりと地面に降りた。
足元が石畳になった瞬間、ルナの目が輝いた。
「ぁ!!!!!!」
(わかってる。わかってるから。)
ミアがルナをしっかり抱え直した瞬間、ルナがするりとミアの腕から降りようとした。
「だめだめだめ!!」
「ぁ!!!!」
「石畳だよ!? 膝が痛い!!」
「ぁ!!!!!!!!!!!!!」
石畳の上でハイハイしたい。全身でそう言っていた。
セリアが荷物を持ったまま、静かに言った。
「……止まりませんね」
「止まらない!!」
* * *
「よくお越しくださいました」
声がした。
ミアがルナを抱えたまま振り向くと、帝国王、テオドール・ヴァン・カルディスが立っていた。
白髪交じりの白髪。深く刻まれた皺。何十年も政治的判断をしてきた目。
侍女も騎士も連れていない。一人で、広場の入口に立っていた。
「……陛下が直接?」
「出迎えたかった」
それだけ言って、帝国王はルナを見た。
目が、ほんの少しだけ緩んだ。
「久しぶりだな、ルナ様」
ルナは帝国王をじっと見た。
一瞬、静止した。
「ぁ!!!!!!!!!!!!!!!!」
全力でミアの腕から脱出した。
石畳の上に両手をついた。
「ルナ!!」
止められなかった。
ルナが帝国王に向かって、猛スピードでハイハイしていった。
* * *
帝国王は、動じなかった。
膝をついた。
ルナと同じ高さになった。
両腕を広げた。
「……来なさい」
「ぁ!!!!!!!!!!」
ルナが帝国王の腕の中に突っ込んだ。
帝国王がしっかり受け止めた。
ルナが帝国王の胸元をぱちぱちと叩いた。
「……元気だな」
「ぁー!!」
「そうか」
帝国王の顔が、国王の顔ではなくなっていた。
(……止めようとしたのに。)
ミアは石畳に膝をついた場所を見た。
少し段差があった。
(ルナの膝は大丈夫だった。よかった。)
セリアが隣で静かに息をついた。
「……石畳でも速いですね」
「そうだね」
「屋内だともっと速いかもしれません」
「……やめて、想像したくない」
* * *
王宮に入った。
廊下が広い。天井が高い。絨毯が厚い。
ライナーが謁見の間の前で待っていた。完璧な礼。完璧な姿勢。完璧な騎士団長の顔。
「よくお越しくださいました、ミア殿」
「ライナーさん、ルナのこと見てますよね」
「……情報収集は仕事のうちです」
ルナは帝国王の腕の中からライナーを見て、
「ぁ!」
と言った。
「……ご機嫌そうで何よりです」
顔が崩れた。一瞬だったが、崩れた。
(ライナーさんはいつも一瞬で崩れる。)
* * *
食事の後、事件は起きた。
ルナをミアの膝に座らせていたのだが、ミアが紅茶に気を取られた一瞬の隙に、ルナが床に降りた。
正確には、ミアが気づいたときにはもうルナが絨毯の上にいた。
「え、ルナ?」
ルナはきょとんとミアを見上げ、次の瞬間、全力でハイハイを始めた。
「ル、ルナ!!」
「待て!!」とライナーが立ち上がった。
ルナは謁見の間を一周し、柱の根元を曲がり、そのまま廊下へ出た。
「ぁー!! ぁ!!!!」
楽しそうだった。
圧倒的に楽しそうだった。
* * *
「ルナ様が……走っておられる……」
廊下に立っていた衛兵が、呆然とつぶやいた。
前を小さな赤ちゃんが猛スピードでハイハイしていく。
後ろを魔女と騎士団長とエルフが全力で追いかけている。
更に後ろから、帝国王が小走りについてくる。
「陛下!?」
「……視察だ」
帝国王が平然と言い放ち、また走り出した。
* * *
ルナは王宮の廊下を三周した。
三周目に入ったところで、ヴァルが先回りして正面に立った。
「ぁ」
ルナが止まった。
ヴァルをじっと見る。ヴァルがじっと見返す。
「……頃合いか」
ルナはヴァルの方へにじにじと近づき、その場でぱたんと横になった。
絨毯の上で、極めて満足そうな顔をしていた。
「ぁー……」
四人が、ようやく追いついた。
全員、それなりに息が切れていた。
帝国王だけが、なぜかあまり疲れていなかった。
「……足腰が鍛えられる」
帝国王が静かに言った。
「陛下、大変申し訳ありません……」
「いや」
帝国王はルナの傍にしゃがみ、指を差し出した。
ルナはぱしっとつかんだ。
「……ルナ様は、元気そうだ」
(……止まってよかった。)
ヴァルは何も言わず、しずかに目を閉じた。
* * *
夕刻、客室でルナが眠りについた。
完全に体力を使い果たして、ころりと寝た。
「……三周はやりすぎです」
セリアが疲れた顔で荷物を整理しながら言った。
「私だって止めようとした!!」
「止まりませんでした」
「そうなんだよ……!」
ミアはルナの寝顔を見ながら、深く息をついた。
膝が赤くなっていないか確認したが、ルナはぐっすり眠ったままだった。
「……楽しかったんでしょうね」
セリアがぽつりと言った。
「うん」
「王宮の廊下を、好きなだけ走り回れて。みんなが追いかけてきて」
ルナの指がぴくりと動いた。夢の中でも走っているのかもしれない。
「……ミアさん」
「なに?」
「明日も絶対やらかしますよ」
「……わかってる」
ヴァルが窓際で丸くなった。
満月が王宮の庭を照らしていた。
* * *
夜。
帝国王は一人で、ルナが走り回った廊下を歩いた。
(……この廊下に、今日は別の音が響いた。)
長年、ここを通るのは重い足音ばかりだった。
戦果の報告。兵の死者数。交渉の決裂。
暗い知らせが、何十年もこの廊下を通り抜けてきた。
今日は違った。
「ぁー!!」という声と、追いかける足音と、笑い声が、この廊下に響いた。
(……またいつでも来ていいぞ、ルナ様。)
誰にも聞こえないよう、小さくそう言った。
返事はなかった。
遠くで、ルナが寝言を言った気がした。
* * *
翌朝、扉が叩かれた。
「着いたぞ!!」
「……遅いです」
「走ってきたんだぞ!!」
ルナが目を覚まし、声のした方へハイハイで向かい始めた。
(また始まった。)
第二日目も、王宮は賑やかになった。
<続きます>
【次回予告】
地下に、古い遺跡があるらしい。
見学することになった。
ルナも来た。
ルナが何かに触れた。
動いた。
動いてはいけないものが動いた。
帝国王が青ざめた。
ルナが「ぁ!!」と言った。
投稿遅れてすみません!次回以降の繋ぎが難しくて何度もやり直してたら遅れました。




