第31話「ハイハイが、止まりません」
第31話「ハイハイが、止まりません」
第二部 戦火の赤ちゃんと世界のおでかけ
ハイハイが始まって、三日が経った。
止まらなかった。
朝起きたら、ルナがハイハイしていた。お茶を飲んでいたら、ルナがハイハイしていた。育児書を読んでいたら、ルナがハイハイしていた。
どこにでも行く。
台所に行く。セリアの足元に突撃する。
「ぁ!!!!」
「ルナちゃん、危ないです!!」
玄関に行く。扉の前に座る。
「ぁ!!!!」
「外はまだだよ!!」
ヴァルのところに行く。ヴァルの尻尾をつかむ。
「ぁ!!!!」
「……引っ張るな」
「ぁ!!!!!!」
引っ張る。
(ハイハイを覚えたら覚えたで、大変だ。)
ミアはテーブルで頭を抱えた。
(でも、嬉しい。)
(大変で、嬉しい。)
(育児って、ずっとこうなんだろうな。)
* * *
問題が一つあった。
ハイハイが速い。
「速すぎない?」
「普通より速いかもしれない」とヴァルが言った。
「普通のハイハイってどのくらいの速さ?」
「知らない」
「知らないんだ」
「赤ちゃんのハイハイを見たのは初めてだ」
(竜王も初めてのことがある。)
セリアが育児書を開いた。
「……『ハイハイの速度には個人差があります』と書いてあります」
「個人差の範囲内?」
「……書いてある速度より明らかに速いです」
「やっぱり」
「ぁ!!!!!!」
ルナが台所に突撃した。三度目だった。
* * *
昼。
ライナーから手紙が来た。
今日は普通に郵便で。剣で刺さってもいない。矢にくくりつけてもいない。完全に普通の手紙だった。
開けた。読んだ。
「……帝国から、招待状が来た」
「招待状ですか」とセリアが言った。
「帝国王から。『停戦協定成立の祝いとして、ミア殿とルナ様を帝国の都にご招待したい』って」
「国王から直接ですか」
「そう」
「……すごいですね」
「ぁ!!」とルナが言いながらセリアの足元に突撃した。四度目だった。
「ルナちゃん、本当に危ないです!!」
「ルナ、台所は入らないよ」
「ぁ!!!!」
(聞いてない。)
ミアはもう一度手紙を読んだ。
「ライナーも一緒に来るって書いてある」
「では安心ですね」
「ガルドからも別に手紙が来てて、『俺も帝国に行く。連邦王も近いうちに招待するから待て』って書いてある」
「……ガルド様らしいですね」
「ぁ!!!!!!」
またルナが台所に突撃した。五度目だった。
* * *
「……行くの、大変かな」
ミアが呟いた。
「何がですか」とセリアが言った。
「ルナがハイハイするようになった。どこでもハイハイする。帝国の都でハイハイされたら」
「……確かに」
「王宮でハイハイする赤ちゃんが想像できない」
「ルナちゃんならやりそうです」
「やるよ絶対」
「ぁ!!」とルナが言った。
「……やるつもりだね」
「ぁ!!!!」
(もう止める気がない。)
ヴァルが静かに言った。
「行けばいい」
「止めないの?」
「王宮でハイハイされて困るのは帝国だ。ミアが困ることではない」
「……竜王の論理だ」
「間違っていないだろう」
(間違ってはいない。でも帝国王が可哀想な気もする。)
(でも招待したのは帝国王だし。)
「……行く」
「では準備を」とセリアが言った。
「何を準備すればいい?」
「ルナちゃんの服と、ウサギと、離乳食の材料と——」
「多い」
「ハイハイするので、着替えも多めに」
「なんで」
「汚れるので」
「……そうだね」
「ぁ!!!!!!!!」
ルナが今日一番大きな声を出した。
お出かけという言葉が聞こえたのかもしれない。
聞こえていないかもしれない。
でも張り切っていた。
* * *
準備を始めた。
セリアがルナの荷物をまとめた。着替え五着、ウサギのぬいぐるみ、羊のぬいぐるみ、がらがら、絵本二冊、離乳食の材料、小さなプレイマット。
「……多くない?」
「必要最低限です」
「これが最低限?」
「ルナちゃんは何があるかわからないので」
「まあ、そうだね」
ミアの荷物は着替え一着と魔法の道具だけだった。
「……先生、少なすぎます」
「私はこれでいい」
「帝国の王宮に行くんですよ」
「知ってる」
「もう少し——」
「青いワンピース持っていく。それでいい」
「……わかりました」
ヴァルは何も持たなかった。竜王なので荷物はいらないらしい。
「ヴァル、帝国の都に竜王が来ていいの?」
「問題ない」
「帝国側がびっくりしない?」
「びっくりすればいい」
(竜王、全然気にしない。)
* * *
夜。
準備が終わって、ルナを寝かせた。
今日もハイハイしすぎて疲れたのか、すぐに眠った。ウサギをしっかり抱えて。
ミアはテーブルで帝国王の招待状を読み直した。
「……『帝国の都で、ルナ様のご成長をお祝いしたい』って書いてある」
(ルナの成長を、帝国王が祝う。)
(三ヶ月前には想像もできなかった。)
「セリア、帝国の都って行ったことある?」
「ありません。先生は?」
「ない。魔女は都に縁がないから」
「……緊張しますね」
「しないよ。国王より夜泣きの方が怖いから」
「……先生、それ最近言いすぎてます」
「でも本当のことだよ」
「ぁ……」
ルナが寝言を言った。
二人が同時に見た。
ウサギをぎゅっとしながら、眠っていた。
「……かわいいですね」
「そうだね」
「帝国の都でも、こういうふうに眠るんでしょうね」
「眠るよ。どこでも眠る。ルナはどこでも眠れる子だから」
「……強いですね」
「強い。精神力は最初から強かった。戦場でも泣かなかったし」
「そういえば、最初からそうでしたね」
ミアは招待状を折って、引き出しにしまった。
(帝国の都。)
(ルナと、ヴァルと、セリアと。)
(ライナーとガルドも来る。)
(賑やかになるな。)
(……まあ、いつものことか。)
「おやすみ、ルナ」
「ぁ……」
満月ではなかったけれど、月が出ていた。
細い月が、森の窓を薄く照らしていた。
<続きます>
【次回予告】
帝国の都に到着した。
大きかった。
ルナがヴァルの背中からハイハイで降りようとした。
石畳の上に。
ミアが止めた。
帝国王が出迎えに来た。
ルナがハイハイで向かっていった。
止められなかった。




