第29話「戦争が、終わりました」
第29話「戦争が、終わりました」
調印式当日。
晴れた。
朝から雲一つなかった。森に光が差し込んで、庭の草が風に揺れていた。
ミアは窓から空を見た。
(よかった。晴れた。)
「先生、ルナちゃんの服、着せておきますか」
「うん。お願い」
セリアがルナに新しい服を着せた。前回の会談で着たやつだ。裾は直してある。白くてやわらかい素材で、袖にフリルがついている。
「ぁ……」
ルナが自分の袖を見た。フリルをつついた。いつもの流れだ。
「かわいい?」
「ぁ!」
「今日は大事な日だよ」
「ぁ!!」
(わかってるのかな。たぶんわかってない。)
(でも、いい返事だ。)
ウサギのぬいぐるみを持たせた。ルナがぎゅっと抱えた。
「準備できた?」
「ぁ!!!!」
準備できたらしい。
* * *
中立館に着いた。
今日は人が多かった。護衛だけでなく、両国の文官や記録係もいる。調印式だから当然だ。
全員がミアとルナとヴァルを見た。
ヴァルを見て固まった人が数人いた。でも逃げた人はいなかった。慣れてきているのかもしれない。
「……先生、注目されてますね」とセリアが小声で言った。
「慣れた」
「私はまだ慣れてません」
「ぁ!」とルナが言いながら周りを見渡した。人が多いのが珍しいのか、きょろきょろしている。
「はしゃがないでね」
「ぁ!!」
(はしゃいでる。)
ライナーが出迎えに来た。
「いらっしゃいました。今日はよく晴れましたね」
「晴れたね」
「……ルナ様、今日はご機嫌ですか」
「ご機嫌。でも人が多いからはしゃいでる」
「……飛ばないといいのですが」
「腕輪があるから大丈夫」
「……そうですね」
ライナーが少し深呼吸した。
「では、参りましょう」
* * *
調印式の会場は、中立館の一番広い部屋だった。
大きなテーブル。両端に椅子。窓から光が入っている。今日は窓が大きく開いていて、風が通っていた。
帝国王が入ってきた。今日は正装だ。金の刺繍が入った上着。背筋が真っすぐだ。
連邦王も入ってきた。同じく正装。深い青の衣装。表情が引き締まっている。
二人がミアを見た。ルナを見た。
帝国王が、少し目を細めた。
連邦王が、小さく頷いた。
ルナが「ぁ!!」と手を振った。
二人が同時に口元を緩めた。
(三回会っても同じだ。この人たちも、もう条件反射になってる。)
* * *
調印式が始まった。
司会の文官が、停戦協定の内容を読み上げた。長い文章だった。領土の境界線、通商の再開、捕虜の扱い、今後の対話の枠組み。
ミアはほとんど頭に入らなかった。
ルナを見ていた。
ルナは、静かにしていた。
珍しかった。
いつもなら「ぁ!ぁ!!」と声を上げたり、浮いたり、がらがらを振ったりする。でも今日は、ただヴァルの背中の上で、ウサギを抱えて、静かにしていた。
きょろきょろはしている。でも声を出さない。浮かない。
(なんで今日は静かなんだろう。)
わからなかった。
でも、静かだった。
* * *
文官が読み上げを終えた。
「では、両陛下に調印をお願いいたします」
帝国王がペンを取った。
連邦王もペンを取った。
会場が静まり返った。
全員が、その瞬間を見ていた。
ミアも見ていた。
ルナも見ていた。
ルナがウサギを少し強く抱えた。
帝国王がペンを走らせた。名前を書いた。
連邦王がペンを走らせた。名前を書いた。
文官が受け取った。確認した。
「……両国の調印が完了しました。ここに、帝国と連邦の停戦協定が正式に成立いたします」
静寂。
一秒。
二秒。
「ぁ!!!!!!」
ルナが声を上げた。
ウサギを高く掲げた。
会場に、笑い声が広がった。
* * *
式典が終わって、少しほぐれた空気になった。
帝国王が立ち上がって、ミアのところに来た。
「……ミア殿」
「はい」
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「ルナ様を戦場で拾ったとき、こうなると思っていましたか」
ミアは少し考えた。
「……全然」
「そうですか」
「ただ、泣いてたから拾いました。それだけです」
「……そうですか」
帝国王が少し笑った。
「それが、一番正しい理由かもしれませんね」
「ぁ!」とルナが言った。
「……ルナ様もそう思っているようです」
「寝言みたいなものです」
「そうかもしれませんが」
連邦王も近づいてきた。
「ミア殿、ルナ様。今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「次は、もっと穏やかな場でお会いしたいものです」
「……穏やかな場?」
「戦場でも会談室でもなく」
「森の家に来ます?」
「……よろしければ」
(国王が森の家に来る。)
(なんか、色々と変わったな。)
「ルナが飛んでも知りません」
「……それでも構いません」
「ヴァルがいても知りません」
「……竜王には、少し慣れました」
「少しだけなんだ」
「……少しだけです」
* * *
ライナーとガルドが並んで立っていた。
今日は二人とも正装だ。帝国の騎士団長と連邦の騎士団長が、同じ場所に並んでいる。
「ライナー」
「なんですか」
「今日、どんな気分?」
「……終わった、という気分です」
「よかった?」
「……よかったです」
「ガルドは?」
「すっきりした!!長かったからな!!」
「何年戦ってたの」
「俺が騎士団長になってから十二年だ!!」
「十二年」
「ああ!!長かった!!でも終わった!!」
「ぁ!!!!」とルナが言った。
「そうだ!!終わった!!」
ガルドが笑った。ライナーも笑った。
「……ルナ様のおかげで、終わった気がします」
「違うよ」とミアが言った。「二人のおかげだよ。板挟みになりながらも、ちゃんと動いてくれたから」
「……それは」
「それだよ。ライナーとガルドがいなかったら、国王たちはルナに会えなかった。ルナが会わなかったら、変わらなかった」
「……そういう言い方をされると」とライナーが言った。
「照れる!!」とガルドが言った。
「ぁ!!!!」とルナが言った。
(この三人の会話、ずっとこうだ。)
(これからもずっとこうなんだろう。)
* * *
帰り道。
ヴァルの背中。今日も空が青い。
ルナはウサギを抱えたまま、空を見ていた。
「ぁ……」
「気持ちいい?」
「ぁ!」
「今日、おりこうだったね」
「ぁ!!」
「静かにしてた。飛ばなかった」
「ぁ!!!!」
(誇らしそうだ。わかってたのかもしれない。)
(今日が大事な日だって。)
「ヴァル」
「なんだ」
「戦争、終わったね」
「終わった」
「……どんな気分?」
ヴァルが少し間を置いた。
「……何百年も、戦争を見てきた」
「うん」
「始まって、続いて、終わる。また始まる。それの繰り返しだった」
「今回は?」
「……今回は、少し違う気がする」
「なんで?」
「終わり方が違った」
「どう違ったの」
「……誰かが負けて終わったのではない。誰もが、赤ちゃんの前で、戦う気をなくした」
ミアはルナを見た。
「……そんな終わり方、初めて見た」とヴァルが言った。
「ヴァルが初めて、って珍しいね」
「珍しい。だから覚えておく」
「ぁ……」
ルナが空を見ながら、小さな声を出した。
雲が流れていた。
森が近づいてきた。
(帰ろう。)
(今日は、セリアに戦争が終わったって報告しよう。)
(それから、夕飯を食べよう。)
(ルナの離乳食は、今日は南瓜にしよう。)
(好きだから。)
「ヴァル、急いで」
「なぜだ」
「南瓜の離乳食、作る前に帰りたい」
「……そのために急ぐのか」
「大事なことだよ」
「ぁ!!」とルナが言った。
「ルナも南瓜好きだもんね」
「ぁ!!!!!!」
ヴァルが少し速度を上げた。
文句を言わなかった。
<続きます>
【次回予告】
夜。
森の家。
満月。
ルナが、もぞもぞした。




