第25話「両軍が、一緒に心配しました」
第25話「両軍が、一緒に心配しました」
停戦協定の草案が現場に通達された。
翌日から、小競り合いが減った。
完全には止まらなかった。長年戦ってきた兵士たちに、上からの通達がすぐ届くわけではない。現場の感情は、書類より遅く動く。
でも確かに、減った。
「……ライナーから手紙が来た」
ミアが朝食のテーブルで言った。
「なんと書いてありましたか」とセリアが言った。
「『現場への浸透は段階的になりますが、確実に変化しています』って」
「よかったですね」
「うん。でも——」
「でも?」
「『まだ予断を許さない地域があります。引き続きご注意ください』とも書いてある」
ミアはルナを見た。ルナはヴァルの背中の上でウサギのぬいぐるみを抱えていた。第二回会談で連邦王にもらったやつだ。最近のお気に入りだ。
「ぁ……」
今日は窓の外を見ていない。ご機嫌だ。
(今日は大丈夫かも。)
そう思うたびに飛ぶので、あまり油断しないようにしていた。
* * *
昼過ぎ。
振動が来た。
小さかった。でも来た。
「ぁ」
ルナが窓の方を向いた。
「ルナ」
「ぁ……」
「見なくていいよ」
「ぁ……」
ヴァルが動いた。ルナの前に立った。
「ルナ、ウサギを見ろ」
「ぁ……」
一秒、ウサギを見た。
「ぁ……」
また窓を見た。
(やっぱり無理か。)
ルナの体がうっすら光った。
「ヴァル——」
「わかっている」
ルナが浮いた。
ヴァルの尻尾が追いかけた。
今日は尻尾がルナの服の裾をつかんだ。止まるか、と思った。
「ぁ!!!!」
ルナが本気を出した。
光が強くなった。
服の裾がぴりっと音を立てた。
「あ」
ルナが窓から出た。
* * *
「セリア、家にいて!」
「またですか……!」
「また!!」
ヴァルが巨大化した。ミアが飛び乗った。窓から飛び出した。
魔石が光っている。東。またあっちだ。
「ヴァル、ルナの服が——」
「裾が少し破れた。本人は無事だ」
「服の話じゃなくて!」
「わかっている。追うぞ」
空を飛ぶ。風が顔を切る。ルナが見えた。小さな銀色の光が、東へまっすぐ飛んでいる。
「今日も速い!!」
「昨日より速いかもしれない」
「飛ぶのだけ成長しないでほしい!!何回も言ってるけど!!」
「……言うだけ無駄かもしれない」
「わかってる!!」
* * *
戦場に着いた。
小規模だった。でも剣が抜かれていた。魔法が飛んでいた。
その真ん中に、ルナが降りていた。
両軍の兵士たちがルナを見た。
帝国側が一斉に距離を置いた。
連邦側も一斉に距離を置いた。
ここまでは前回と同じだ。
違ったのは、その次だった。
「……赤ちゃんだ」
「またあの赤ちゃんか」
「竜王も来るぞ、気をつけろ」
帝国側の兵士がそう言ったとき、連邦側の兵士が言った。
「……怪我してないか」
「え?」
「赤ちゃん、怪我してないか確認しろよ」
「お前が確認するのか」
「俺たちが戦ってたとこに降りてきたんだぞ。確認しろよ」
「……でも竜王が」
「竜王は赤ちゃんのそばにいるだろう。赤ちゃんに近づかなきゃ大丈夫だ。学んだだろう」
帝国側の兵士が顔を見合わせた。
「……あの赤ちゃん、俺たちの戦場に三回来てる」
「そうだな」
「毎回無事だな」
「そうだな」
「……まあ、確認くらいはするか」
(帝国と連邦の兵士が、ルナの心配を一緒にしてる。)
* * *
ミアが着地したとき、状況が前回と少し違うことに気づいた。
両軍の兵士たちが、遠巻きにルナを囲んでいた。でも剣は鞘に収まっていた。魔法の構えも解けていた。
みんな、ルナを見ていた。
「……怪我してないよな」
「してない。普通に立ってる」
「なんで泣かないんだ」
「わからん。丈夫なんじゃないか」
「赤ちゃんが戦場に降りてきて泣かないって、普通じゃないぞ」
「そもそも飛んでくること自体普通じゃない」
「それはそう」
「ぁ!」
ルナが声を上げた。兵士たちが一斉にびくりとした。
「……手を振ってるぞ」
「俺たちに?」
「他に誰もいないだろう」
「……」
「……」
「ぁ!!」
「……どう反応すればいい」
「わからん」
「ぁ!!!!」
「……とりあえず、振り返しといていいんじゃないか」
帝国側の兵士が一人、おそるおそる手を振った。
ルナが「ぁ!!!!!!」と喜んだ。
「……喜ばれた」
「なんか、すまない気分になってきた」
「何が」
「こんな子が来る戦場やってた、ってことが」
* * *
ミアがルナを抱き上げた。
「ルナ、また飛んで」
「ぁ!!」
「また、じゃないよ」
「ぁ!!!!」
(全然反省してない。)
兵士たちがミアを見た。
「……あんたが育ててるのか、あの子を」
「そう」
「大変だな」
「まあ」
「……飛ぶのは止められないのか」
「止められない。感情で飛ぶから」
「……何かあったらいつでも来い。俺たちが受け止める」
帝国側の兵士が言った。
連邦側の兵士が続けた。
「俺たちもだ。危ないことはしないようにする」
「……ありがとう」
(帝国と連邦の兵士が、一緒にルナの受け皿になると言ってる。)
(何かが、確実に変わってきてる。)
* * *
ヴァルが着地した。
兵士たちがざわりとした。でも逃げなかった。学習していた。
「今日は誰も逃げなかったね」
「慣れたのだろう」とヴァルが言った。
「竜王に慣れるって、どういう感覚なんだろう」
「……聞いてみるか」
「冗談だよ」
ルナがヴァルの背中に戻った。ウサギのぬいぐるみを、まだちゃんと持っていた。
「ぁ!」
兵士たちに向かって手を振った。
帝国側も連邦側も、今度は少し迷ってから手を振った。
(この光景を国王たちが見たら、何と言うだろう。)
(たぶん、黙って見ていると思う。)
* * *
そこにライナーが馬で来た。ガルドが走ってきた。
今日もガルドは全力疾走だった。
「ルナ!!無事か!!」
「ぁ!!」
「よし!!」
ガルドが膝をついた。ルナがぺちんとやった。
「よし!!!!」
ライナーが兵士たちを見渡した。
「……みなさん、今日は」
「俺たちは何もしてない」と帝国の兵士が言った。
「ルナが来たから止めた」と連邦の兵士が言った。
「……そうですか」
「なんか、こんな子が来る戦場やってるのが馬鹿らしくなってきて」
「……」
「……」
ライナーが少し黙った。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることじゃない。ただ、そう思っただけだ」
「それで十分です」
ガルドが立ち上がって、兵士たちを見た。
「今日はここで終わりにしろ!!両軍退け!!」
帝国側も連邦側も、今日は素直に動いた。
文句もなく、剣を収めて、退いていった。
ルナが退いていく兵士たちに向かって、「ぁ!ぁ!!」と手を振り続けていた。
* * *
帰り道。
ヴァルの背中で、ミアはぼんやり空を見ていた。
「……ヴァル」
「なんだ」
「今日、兵士たちがルナの心配を一緒にしてた」
「見ていた」
「帝国も連邦も」
「そうだ」
「……それって、すごいことだよね」
「すごいことだ」
「ルナは何もしてないのに」
「ただ飛んできて、手を振っただけだ」
「それで」
「それで、十分だったのだろう」
ミアはルナを見た。ヴァルの背中の上で、ウサギのぬいぐるみを抱えて、風に髪を揺らしていた。
「ぁ……」
気持ちよさそうだった。
(この子、本当に何も考えてないんだろうな。)
(飛んで、手を振って、ぺちんとして、それだけ。)
(それだけで、何かが変わっていく。)
「ミア」
「なに」
「服が破れている」
「あ、本当だ」
「帰ったら直せ」
「セリアに頼む」
「ぁ!」
ルナが自分の服の裾を見た。破れているところを指でつついた。
「ルナのせいだよ」
「ぁ!!」
「反省してないね」
「ぁ!!!!」
まったく反省していなかった。
<続きます>
【次回予告】
第三回会談。
帝国王と連邦王が手土産を持ってきた。
被っていなかった。
ライナーとガルドの事前調整の成果だった。
停戦協定が正式文書になる日が決まった。
ルナはその間ずっとウサギを抱えていた。




