第17話「やっぱり飛びました」
第17話「やっぱり飛びました」
大規模戦闘、当日。
朝から空気が違った。
遠くで何かが揺れているような、低い振動。音ではない。でも体が感じる何かだ。ミアは魔法使いなので余計に敏感だった。
「……始まったね」
「そうですね」とセリアが言った。顔が少し硬い。
東の平野。ここから二十キロ。帝国と連邦、合わせて三千以上。大陸でも久しぶりの規模の戦闘だ。
ルナはヴァルの背中の上でごきげんだった。
「ぁ!」
「……何も感じてないのかな」
「感じているかもしれません。ただ表に出ないだけで」
「そうかも」
ミアは魔石を握った。ルナの居場所。近い。家の中。腕輪も光っていない。
(今日は大丈夫かもしれない。)
そう思った。
* * *
昼前。
振動が強くなった。
本棚の本が少し揺れた。窓ガラスがかすかに鳴った。遠くで何かが爆発したような音が、ぼんやりと届いた。
「……思ったより大きいね」
「帝国と連邦、両方が本気を出しているのでしょう」
ミアはルナを確認した。ヴァルの背中の上。目が窓の方を向いていた。
「ぁ……」
(気になってる。)
「ルナ、こっちおいで」
「ぁ……」
窓から目が離れない。
「ヴァル、窓から離れて」
「わかった」
ヴァルがルナを乗せたまま、部屋の奥に移動した。ルナが「ぅ!」と抗議した。
「外は今日は駄目だよ」
「ぅ……」
「ちゃんと理由がある」
「ぅぅ……」
不満そうだったが、泣きはしなかった。
(よかった。泣いたら暴発する。)
ミアは魔石を握り直した。光っていない。ルナはまだ家の中だ。
* * *
昼。
また振動が来た。今度は少し大きかった。
ガラスが鳴った。テーブルの上のお茶が揺れた。
ルナが「ぁ!」と声を上げた。
「大丈夫だよ」
「ぁ!!」
「揺れてるけど大丈夫」
「ぁ!!!!」
ルナの体が光り始めた。
(あ、まずい。)
「ヴァル、抑えて——」
「ぁ!!!!!!」
ルナが浮いた。
ヴァルの尻尾が追いかけた。
間に合わなかった。
魔石が光った。
* * *
「セリア、家にいて!」
「先生、気をつけて——」
「ヴァル!!」
「乗れ」
ヴァルが一瞬で馬ほどの大きさになった。ミアが背中に飛び乗った。
窓から飛び出した。
空にルナが見えた。小さな銀色の光が、東へ向かってまっすぐ飛んでいる。速い。
「なんであんなに速いの!!」
「知らない」
「毎回知らないって言うね!!」
「知らないから知らないと言っている」
「追いつける!?」
「追いつく」
ヴァルが加速した。風が顔を切る。下に森が流れていく。東へ、東へ。
魔石がどんどん強く光る。ルナが遠ざかっている。
(飛んだ。やっぱり飛んだ。腕輪作ったのに飛んだ。)
(まあ、追いかけられるようにするためだから、腕輪の役割は果たしてるけど。)
(複雑な気持ちだ。)
* * *
東の平野が見えてきた。
ひどい有様だった。
地面が抉れ、魔法の爆発痕があちこちにある。帝国の赤い旗と連邦の青い旗が、煙の中でくすんでいた。両軍がぶつかり合って、戦場は混沌としていた。
その真ん中に。
ルナが降りていた。
「また……!!」
「速かった」
「追いつけなかったよ!!」
「少し遅れた。すまない」
ヴァルが急降下した。ミアが飛び降りた。
両軍の兵士たちがルナに気づいていた。前回もいた兵士は覚えているのか、一斉に距離を置いた。賢い。
「ぁ……」
ルナが戦場を見回していた。煙。爆発痕。倒れた兵士。
目がうるんできた。
(また泣く——!!)
ミアが全力で駆けた。
* * *
間に合った。
ルナが泣き出す直前に、ミアが抱き上げた。
「大丈夫、ミアがいるよ」
「ぅ……ぅ……」
「ここにいるから」
「ぅ……」
ルナの体の光が、ゆっくり収まった。魔力が引いていく。
ミアはルナの背中をぽんぽんしながら、ゆっくり息を吐いた。
(間に合った。今日は間に合った。)
周囲が静かになっていた。
両軍の兵士たちが、誰も動いていない。剣を持ったまま。魔法を構えたまま。ただ、こちらを見ている。
帝国側の兵士が小声で言った。
「……また来た」
「赤ちゃんか」
「そうだ」
「前回と同じやつか」
「同じだ」
「……どうする」
「どうもしない。近づかなければいい」
連邦側でも似たような会話がされていた。
(前回より対応が落ち着いてる。学習してる。)
ミアはルナを抱いたまま立ち上がった。両軍を見渡した。
「……ルナが泣いたら暴発します。近づかないでください」
誰も異論を言わなかった。
(こういうとき、前回の実績があると話が早い。)
* * *
そこにヴァルが着地した。
ヴァルが着地すると、また別のどよめきが起きた。前回は気づかれなかったが、今回はちゃんと見えたらしい。
「な、なんだあれ」
「竜……?」
「でかい。でかすぎる」
「色が……夜色だ」
「まさか竜王……?」
ざわめきが広がった。帝国も連邦も関係なく、全員が後退した。
ヴァルはルナを確認して、それだけで満足したように静かに立っていた。
「ヴァル、小さくなって」
「……今は大きい方が抑止力になる」
「……それは正しいけど」
「誰も動けない。好都合だ」
(竜王が戦略を立ててる。)
確かに、両軍は誰も動いていなかった。赤ちゃんと魔女と竜王。この組み合わせに、どう対処すればいいかわからないのだろう。
ルナが「ぁ……」と声を上げた。泣き止んで、きょろきょろしている。ヴァルの大きな体が見えて、「ぁ!!」と手を伸ばした。
「ヴァルだよ」
「ぁ!!!!」
嬉しそうだった。
両軍の兵士たちが、その光景を黙って見ていた。
* * *
しばらくして、ライナーが人込みをかき分けてやってきた。
「ミア殿……やはり来ましたか」
「私が来たんじゃなくてルナが来た」
「……腕輪は」
「光ったから追いかけた。間に合った」
「泣きませんでしたか」
「泣く直前に抱き上げた」
「……よかった」
ライナーが深く息を吐いた。
少し遅れてガルドもやってきた。
「ミア!ルナ!無事か!!」
「無事」
「よかった!!待機してたのに来てしまった!!」
「来るじゃないか」
「心配だったんだ!!」
ガルドがルナを覗き込んだ。ルナが「ぁ!!」と手を伸ばした。ぺちん、とやった。
「よし!!元気だな!!」
両軍の兵士たちが、遠巻きにその光景を見ていた。帝国の騎士団長と連邦の騎士団長が、仲良く赤ちゃんをあやしている。
「……なんだあれ」
「わからん」
「戦争してたんだよな、俺たち」
「してたはずだが」
「……」
「……」
* * *
結局、その日の戦闘は再開されなかった。
両軍とも、どうも戦う気分になれなかったらしい。
ライナーが言った。
「……今日は一旦引きます。仕切り直しを」
「そうだな」とガルドが言った。「今日は終わりだ」
両軍が撤収を始めた。
ミアはルナを抱いたまま、それを眺めていた。
「……ルナのせいで戦争が一日止まった」
「そうですね」とライナーが静かに言った。
「すごいな!!」とガルドが言った。
「ぁ!!」とルナが言った。
(本人は何もわかってないんだろうな。)
(でも、まあ。)
ミアはルナの頭をそっと撫でた。
(悪くない。)
ヴァルが小さくなって、ミアの肩に乗った。
「帰るか」
「帰ろう」
夕暮れの平野を、三人で空に上がった。
下で、帝国と連邦の兵士たちが、まだぼんやりと空を見上げていた。
<続きます>
【次回予告】
翌日、ライナーとガルドが二人で来た。
珍しく二人とも真剣な顔をしていた。
「また戦闘の予定がある」
ミアはお茶を出した。
ルナは二人の顔を交互に見ていた。




