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LAST VAULT ―300億の遺産―  作者: asnt2026


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第5話 利息

重松英嗣は、安全を買うことに迷わなかった。


橋。


照明。


手すり。


固定床。


目の前に《USE SAFE TIME?》が出るたび親指を押し、数字を減らしていく。


一緒のチームにいる羽鳥雅也が何度か止めた。


「次が分からない。少し残しておいた方がいいんじゃないですか」


「残して落ちたら意味ないだろ」


「全部使った後にもっと必要になるかもしれない」


「なら借りる」


重松は腕輪を持ち上げた。


《BORROW AVAILABLE》


「こう書いてある」


「条件をまだ見てない」


「十パーだろ」


重松は笑った。


「十秒借りて十一秒返す。こんなの金利のうちに入らん」


羽鳥は口を閉じた。


汐里は二人のやり取りを聞きながら、足場の先を見た。


照明の届く範囲だけが白い。


その先は黒い。


下から吹き上がる風が時折強くなり、汗で湿った前髪を揺らす。鉄柵を握った掌には冷たさが張りつき、照明装置の焦げたような匂いが鼻の奥へ残っていた。


次の足場まで五メートル。


途中に三枚の可動板。


一定間隔で左右へ滑っている。


表示。


《PLATFORM SYNC : 12 SEC》


《USE SAFE TIME?》


重松の残り。


《19》


「使う」


羽鳥が腕を伸ばした。


「待ってください」


「何だよ」


「使わなくても渡れるかもしれない」


重松は動く板を見る。


一枚。


二枚。


三枚。


速度は一定だ。


「落ちたら終わりだろ」


「でも十九しかない」


「だから借りるって言ってんだ」


「借りた後が分からない」


重松の眉が上がった。


「分からないから今死ぬのか?」


声が少し大きくなる。


羽鳥は言葉を飲んだ。


その隣で、汐里が動く足場を見ていた。


一枚目と二枚目の間隔。


二枚目と三枚目。


渡れないことはない。


ただ、重松の体格では踏み外した時の立て直しが難しい。


呼吸も少し速い。


額に汗。


顔色はまだ悪くない。


足の運びも安定している。


助けられる。


安全装置を使えば。


汐里は自分の残り時間を見る。


《31》


「私が先に渡ります」


二人が振り向く。


「有川さん?」


「安全装置は使わない。渡れるか確認します」


重松が呆れたように笑った。


「看護師って意外と無茶するな」


「無茶かどうか見てから決めます」


一枚目が右へ。


戻る。


汐里は呼吸を合わせる。


足を出した。


靴底が金属板へ乗った瞬間、わずかに沈む。


思っていたより柔らかい。


一歩。


二枚目。


身体の横を風が抜ける。


下を見ない。


三枚目が遠ざかる。


待つ。


戻る。


踏み込む。


向こう側へ着地した。


膝を曲げて衝撃を逃がす。


掌を床へつく。


冷たい。


「渡れます」


顔を上げる。


羽鳥が頷いた。


重松は口を少し曲げた。


「できる人にはな」


「安全装置を使えば十二秒減ります」


汐里は立ち上がった。


「使うかどうかは重松さんが決めてください」


突き放したわけではない。


ただ、代わりに押すこともできない。


重松は腕輪を見る。


十九秒。


次に何があるか分からない。


十二使えば七。


借入可能。


「使う」


押した。


可動板が一列へ揃う。


重松が渡る。


羽鳥も続く。


向こうへ着いた時、重松は笑った。


「な? 安全に来れた」


汐里は答えなかった。


腕輪の数字。


《7》


その下。


《BORROW AVAILABLE》


*


MAKER ROOMで、理人は各チームの消費時間を見ていた。


重松のいるTEAM Bだけが突出している。


「使いすぎだろ」


小さく言った。


新海が数字を見る。


「使えるなら使う。普通だな」


「返済第三にしたんだぞ」


「だから第三で分かる」


「そこで足りなかったら?」


新海はコインを親指で弾いた。


「それもゲームじゃないの」


理人は顔をしかめた。


「死ぬかもしれない」


「ここに来た時点で聞いてる」


「聞いたからって」


「分かってるよ」


新海の声から軽さが少し消えた。


「俺だって死なせたいわけじゃない。たださ、こっちが全部安全にしてやれるなら、そもそもゲームになってない」


「ゲームにする必要があるのか」


「それは九条に聞け」


理人はスクリーンへ戻った。


TEAM B。


重松の残り七秒。


次の装置。


九秒。


画面に、


《INSUFFICIENT》


《BORROW?》


が出る。


重松がほとんど迷わず押した。


《BORROW 10 SEC》


《REPAY 11 SEC AT CHECKPOINT 3》


七が十七へ変わる。


理人の背中が少し硬くなった。


「今、返済条件は表示された?」


越智が答える。


「本人の画面には出ています」


「読んだかな」


「それは本人の責任です」


理人は越智を見た。


「責任って言えば全部終わるんですか」


越智の表情は変わらない。


「終わりません。ただ、誰の選択かは区別しなければいけない」


「条件を決めたのは俺たちです」


「そうです」


「じゃあ俺たちにも責任がある」


「あります」


即答だった。


理人は少し黙った。


越智は淡々と続ける。


「だからこそ、本人の責任までこちらが引き取る必要はないと言っています」


二階堂がTEAM Bを見ている。


「重松さんは借り続けるでしょうね」


「止められないんですか」


皆川が聞く。


「今から条件変更は」


「できません」


越智が先に答えた。


二階堂の目が一瞬だけ越智へ動く。


「ずいぶん早いですね」


「何がです」


「答えが」


越智は眼鏡を上げた。


「表示されています」


画面の最下部。


《RULE CHANGE : LOCKED AFTER ACCEPTANCE》


確かにある。


理人はまた、そこを見るのが一歩遅れた。


*


第二チェックポイントを重松たちは突破した。


SAFE TIME。


重松、十二秒。


羽鳥、二十八秒。


汐里、二十四秒。


ここまでで重松は二度借りている。


借入総額二十秒。


返済額二十二秒。


まだ本人の数字には反映されていない。


汐里は何度か画面を確認した。


「重松さん」


「何」


「第三チェックポイントで、返済二十二秒って出てます」


「見えてる」


「今十二秒しかありません」


「その前にまた借りる」


汐里は歩みを止めた。


「返済のために?」


「そう」


「借りた時間を返すために、また借りるんですか」


重松も止まった。


振り返る。


白い照明が真上から落ち、額の汗だけを強く光らせていた。


「有川さんさ」


声は怒鳴っていない。


それでも少し硬い。


「俺は商売やってたんだよ。資金繰りなんてそんなもんだ。今日払えなきゃ明日の売上で払う。明日足りなきゃ来月で調整する。回ってる間は死んでない」


汐里の視線が重松の胸へ落ちた。


呼吸。


速い。


でもまだ歩ける。


「会社と身体は違います」


「似たようなもんだ」


「違います」


今度は少し強かった。


重松が黙る。


「身体は、後でまとめて休めば全部戻るとは限らない」


重松の口が動いた。


何か言い返そうとしてやめる。


羽鳥が二人の間へ視線を入れた。


「先へ行きましょう。止まってても時間は増えない」


その言葉で三人とも動いた。


第三チェックポイントは、白いゲートだった。


何も危険そうには見えない。


床も動かない。


壁もない。


ただゲートの上に数字がある。


《DEBT SETTLEMENT》


重松が近づく。


腕輪が振動した。


その一回が妙に長かった。


表示。


《SAFE TIME : 12》


《DEBT : 22》


《SETTLEMENT》


十二が消える。


ゼロ。


まだ十足りない。


すぐに別表示。


《ADDITIONAL BORROW AVAILABLE》


重松が笑った。


「ほら」


押す。


十秒借りる。


安全時間が十。


その瞬間。


表示が切り替わった。


《BORROWED TIME AFTER SETTLEMENT IS SUBJECT TO CURRENT DEBT RATE》


《REPAYMENT : NEXT CHECKPOINT》


汐里の目が止まった。


十秒借りる。


返すのは十一秒。


だが今借りた十秒のうち、十秒は今の不足分に消える。


残りゼロ。


次へ進むための安全時間は増えない。


重松も気づいた。


「は?」


もう一度押す。


十秒。


不足分には使われない。


今度はSAFE TIMEが十へ。


その下。


《NEXT DEBT : 11》


「なんだよこれ」


声が低くなる。


押す。


また十。


《SAFE TIME : 20》


《NEXT DEBT : 22》


「重松さん、もう止めた方がいい」


羽鳥が言う。


「止めたら進めねえだろ」


「二十あれば」


「足りる保証あんのか」


誰も答えられない。


重松の親指がもう一度動いた。


十。


三十。


次の返済三十三。


また押す。


四十。


四十四。


汐里の手が重松の腕へ伸びた。


指先が袖に触れる。


「待って」


重松が振り払った。


強くはない。


それでも汐里の手が空中で止まる。


「俺の時間だ」


汐里はその言葉を聞いて、何も言えなくなった。


確かにそうだった。


重松の腕輪。


重松が押す。


理人たちが設定した利率。


九条が作った場所。


誰の時間なのか。


その境目だけが、急に分からなくなる。


重松はさらに借りた。


《SAFE TIME : 60》


《NEXT DEBT : 66》


重松が息を吐く。


「これでいい」


ゲートが開く。


その先は暗かった。


汐里は腕輪の数字から目を離せない。


六十。


始まった時と同じ数字。


なのに中身はまるで違う。


背後で白いゲートが閉まり始めた。


閉じ切る寸前、上部の表示が変わる。


《NEXT SETTLEMENT POINT : CHECKPOINT 4》


汐里は、その文字を見たまま動けなかった。


借りた時間には、


返す場所があった。


そして、その場所は一つではなかった。



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