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LAST VAULT ―300億の遺産―  作者: asnt2026


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第4話 未来から借りる

最初のゲームを抜けた十八人が通された部屋には、椅子がなかった。


白い壁と白い床。


天井から落ちる光も白く、影が薄いせいで距離感まで曖昧になる。空調は先ほどより少し暖かかったが、汗の乾きかけたシャツが背中へ貼りつき、理人にはむしろ寒く感じられた。


金属と油の匂いは消えている。


代わりに、消毒液に似た匂いが薄く漂っていた。


「座れって言われないと、座っちゃ駄目なんですかね」


柏木晴斗が壁際へしゃがみ込んだ。


「床なら椅子じゃないから大丈夫でしょ」


「誰に確認してるんですか」


有川汐里が言いながら近づき、晴斗の顔を少し覗き込む。


「息苦しさは?」


「ない」


「吐き気」


「ないです」


「指先のしびれ」


「それもなし。俺、思ったより健康優良児ですよ」


「二十七歳を児童扱いはしません」


汐里はそう返してから理人へ向いた。


視線が顔から首元へ落ち、呼吸の回数を数えるように一度止まる。


「真鍋さんも大丈夫そうですね」


「そう見えるなら」


「そう見えます」


「なら大丈夫です」


「それ、自分の身体にも使うんですね」


何のことかと聞く前に、汐里は別の参加者へ向かった。


理人は壁へ背をつけた。


あの《K-13》という文字が頭から離れない。


設備番号かもしれない。


部品の型式かもしれない。


現場では英数字の組み合わせなど珍しくもない。それでも妙に引っ掛かるのは、プレートの古さのせいだった。


今の施設より、明らかに前からあった。


それだけだ。


それだけのはずだった。


中央の壁が黒く変わった。


スクリーンではなかった。


白い壁そのものが照明を失い、黒い長方形になる。


《AREA 02》


《CREDIT LINE》


文字が浮かぶ。


晴斗が立ち上がった。


「もう?」


誰も答えない。


黒い面の下に、新しい表示。


《ROLE ASSIGNMENT》


理人の名前が探す前に青く染まった。


《MAKER》


一瞬、読み間違えたと思った。


もう一度見る。


変わらない。


隣に、


二階堂隆雅。


越智恒成。


皆川文乃。


片平志乃。


新海譲。


六人。


理人の右隣で汐里の名前は白いままだった。


《BREAKER》


「今度はそっちなんですね」


汐里が言った。


理人は画面から目を離せなかった。


「みたいです」


「条件、決める側」


言い方に棘はない。


それが余計に残った。


「変なのは選ばないようにします」


「選べるものが分かってから言ってください」


汐里は少しだけ口元を動かした。


「善意で決めたものが、安全とは限らなかったでしょう」


MARGIN。


広くしてやることが安全とは限らない。


理人は返事をしなかった。


床が震える。


MAKERに選ばれた六人の周囲へ円形の溝が浮き、その内側だけがゆっくり沈み始めた。


晴斗が手を振る。


「真鍋さん、今度は俺ら楽にしてよ」


理人は苦笑した。


「できれば」


二階堂が横から言う。


「できれば、では困りますね」


「まだルールも出てないでしょう」


「だからです。先に約束する意味がない」


相変わらずだった。


二階堂の目はもう下の階を見ている。


理人も視線を落とした。


暗い円筒の底に、青白い操作卓が見えてくる。


六人が完全に下りると天井が閉じた。


*


MAKER ROOMは前より狭かった。


空気が乾いている。


冷却装置の風が足元から吹き上がり、機械の熱と混ざって、生暖かい場所と冷たい場所がまだらにできていた。


操作卓には六つの数字が並んでいる。


《TEAM A 60 SEC》


《TEAM B 60 SEC》


《TEAM C 60 SEC》


《TEAM D 60 SEC》


《TEAM E 60 SEC》


《TEAM F 60 SEC》


その下。


《SAFE TIME》


《BREAKERは安全装置を使用するたびSAFE TIMEを消費する》


《SAFE TIMEが不足した場合、未来区画から借入可能》


《MAKERは借入利率と返済開始地点を設定する》


理人は読み終えても、少しの間そのまま立っていた。


たった三行。


意味は分かる。


だから嫌だった。


「要するに時間を借りるゲームか」


新海譲が指先で小さなコインを転がしている。


持ち込み禁止だったはずだが、どこから出したのか分からない。


「今六十秒持ってる。足りなきゃ先の六十秒から持ってくる」


「利息付きで、でしょう」


越智恒成が表示を見ながら言った。


細い眼鏡の奥で視線だけが動く。


「借入単位は五秒。利率は十から百パーセントまで設定可能。返済は第三、第四、第五チェックポイントのいずれか」


「そこまで書いてあります?」


理人が聞く。


越智が一度だけ止まった。


「あちらに」


右端の小さな補足表示を指す。


確かにある。


ただ、理人は画面を見てから越智を見るまでに少し時間がかかった。


六人の中で、彼だけが最初から読む場所を知っていたように見えた。


「契約文は細かいところから読む癖がありまして」


越智は眼鏡を上げた。


「本文だけ読んで署名する人間の方が、私には不思議です」


二階堂が操作卓へ手を置く。


「利率を決めましょう」


「最低でいいんじゃないですか」


理人が言った。


「十パーセント」


「全チーム?」


「他に理由あります?」


「ありません」


二階堂はあっさり答えた。


理人は意外に思って顔を向ける。


「ただし返済地点は第五にするべきです」


「一番後ろ?」


「ええ」


皆川文乃が空中に線を描くように指を動かした。


「借りた時間を最後まで先送りするってことですか」


「その方が前半の脱落率は下がる」


「後半にまとめて返すことになる」


「当然です」


「それ、危なくないですか」


片平志乃が静かに聞いた。


二階堂は彼女へ顔を向ける。


「前半で死ぬよりは」


志乃が息を一度吸った。


「後半ならいい、という意味に聞こえます」


「違います。選択肢を増やすという意味です」


「最後まで借り続けられるなら、本人は大丈夫だと思ってしまうかもしれません」


理人は操作卓を見た。


まさにそうだった。


六十秒ある。


足りなければ借りる。


目の前だけなら何とかなる。


機械の応急処置にも似ている。


止められない設備を一時的にバイパスさせて動かす。今は止まらない。現場も助かる。


ただし原因は消えない。


あとで必ず戻る。


「第三にしませんか」


理人が言った。


二階堂が眉を少し上げる。


「理由は」


「早めに返済が来るって分かれば、借りすぎない」


「そのせいで途中脱落する可能性が上がる」


「最後まで借りられる方が危ない」


「それは本人の判断でしょう」


「判断させる条件を決めるのはこっちです」


二階堂の目が理人へ止まった。


数秒。


新海がコインを弾いた。


薄い金属音が操作卓へ落ちる。


「俺は第三に一票。借りたらすぐ返す方が分かりやすい」


「ギャンブラーが言うと説得力ないな」


皆川が呟く。


「だから分かるんだよ。ツケは早く見せた方がいい。見えないツケほど人は張る」


越智が規約表示へ視線を戻した。


「多数決という指定はありません」


二階堂が言う。


「では全員が決めるまで始まらない?」


「確認してみましょう」


越智が画面端へ触れた。


新しい文字。


《DECISION LIMIT : 90 SEC》


残り時間が動き始める。


理人の喉が乾いた。


誰かが決めなければいけない。


決めないことにも時間が付いている。


玄蔵の声は流れない。


ただ数字だけが減る。


八十九。


八十八。


八十七。


「利率十。返済第三」


理人が言った。


「俺はそれでいい」


新海。


皆川。


志乃も頷く。


越智が二階堂を見る。


「四対二なら、反対を維持する合理性はありません」


「私が反対だと決めつけないでください」


二階堂は操作卓へ指を置いた。


《INTEREST : 10%》


《REPAYMENT : CHECKPOINT 3》


「これでいい」


確認画面。


六人の指紋認証欄。


順に触れる。


最後が理人だった。


指先がガラスへ触れた瞬間、表示が赤く変わった。


《DECISION ACCEPTED》


*


BREAKER側では、十八人の前に六つのゲートが開いた。


汐里の腕輪には、


《SAFE TIME : 60》


と表示されている。


隣にいた重松英嗣が笑った。


「六十秒もありゃ余裕だろ」


恰幅のいい身体を揺らしながら、派手な腕時計の跡だけが残った手首を見る。


持ち物は全部預けさせられたらしい。


「一分ですよ」


汐里が言った。


「人間、一分ありゃ結構なことできるんだよ」


「止血なら、できる場合もあります」


「ほらな」


「助からない場合もあります」


重松の笑いが半分だけ残った。


ゲートの向こうは、細長い通路ではなかった。


複数の足場が浮かぶ巨大な空間。


天井から白い光が斜めに差し込み、床のない場所は底まで見えない。下から吹き上がる風には湿った土と鉄錆の匂いが混じり、遠くで水滴が落ちる音が一定の間隔で響いていた。


最初の足場まで三メートル。


間には伸縮する橋。


表示。


《BRIDGE DEPLOY : 8 SEC》


《USE SAFE TIME?》


重松が笑う。


「こういうことか」


迷わず腕輪を押した。


六十が五十二へ減る。


橋がせり出す。


三人が渡る。


次の足場。


今度は、


《LIGHT : 6 SEC》


前方は真っ暗だ。


重松が押す。


五十二から四十六。


白い照明が点く。


「使えばいいんだよ」


歩きながら言った。


「金も時間も、持ってるだけじゃ意味がない」


汐里は腕輪を見た。


まだ四十六秒。


確かに余裕はある。


ただ、その数字が妙に減るのが早く見えた。


次の装置。


《HANDRAIL : 5 SEC》


重松はまた押した。


汐里は何も言わなかった。


目の前の安全が一つずつ増えるたび、数字だけが静かに減っていく。


そしてその下に小さく、新しい項目が表示された。


《BORROW AVAILABLE》


その文字を見た時、汐里は足を止めた。


遠くから重松の声。


「有川さん、何してんだ」


汐里は画面を見たまま答えた。


「借りられるみたいです」


「じゃあ足りなくなったら借りりゃいい」


重松はもう次の足場へ向いている。


その背中を見ながら、汐里の指が腕輪の縁へ触れた。


借りられる。


確かにそう書いてある。


ただ、返す場所については何も書いていなかった。



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