第39話 請求
羽鳥のいないSAFE ROOMへ戻ると、
汐里は手を洗った。
必要以上に長く。
指。
爪の間。
手首。
水は出ない。
施設から配られた洗浄液を掌へ広げているだけなのに、何度も擦る。
理人は少し離れたところから見ていた。
声は掛けなかった。
止めた。
出した。
正しかったかどうかを聞いても、
汐里はたぶん答えない。
自分なら、
答えを探す。
それが今は少しだけ分かっていた。
苑子は別の場所で資料を見ている。
前に引いた六本の線。
新海と仁科がいなくなったことで、紙の上にも空白が増えた。
それでも線は消していない。
人が出ても、
過去までなくなるわけではない。
照明が暗くなった。
十八人。
《AREA 11》
《CLAIM》
その下。
《請求》
晴斗が文字を見る。
「保険みたい」
苑子が顔を上げる。
「保険、補償、救助。どれでも使う言葉」
片平志乃がその表示を見ていた。
葬儀業。
保険会社ではない。
それでもなぜか、
いつもより目が離れないように見えた。
《ROLE ASSIGNMENT》
六人。
《MAKER》
二階堂隆雅。
志摩由良。
越智恒成。
八田周平。
久保田理玖。
宮部杏。
十二人。
《BREAKER》
真鍋理人。
有川汐里。
柏木晴斗。
東雲ルカ。
柚原茉莉。
荒巻泰造。
片平志乃。
芹沢洋平。
牧瀬苑子。
三雲葉月。
一ノ瀬結衣。
皆川文乃。
杏が自分の名前を見る。
「また決める側」
茉莉が隣から言う。
「変なの決めないでね」
杏が顔をしかめる。
「プレッシャーかけないで」
「冗談」
少しだけ笑う。
床が六人を沈める。
志摩由良は最後までBREAKERSを見なかった。
正面の表示だけを見ていた。
*
十二人が入ったのは、
個別に仕切られた細長い通路だった。
隣の姿は見えない。
声も届かない。
理人の前には、
幅一・五メートルほどの金属路が四十メートル続いている。
途中に可動床。
昇降壁。
手動ハンドル。
単純な障害物。
ただし、
ところどころに黄色い保守箱がある。
空気は乾燥していた。
前のエリアとは違い、湿気がない。古い電気設備の埃っぽい匂いと、温められたケーブル被覆の甘い臭いが薄く混じり、天井の蛍光灯は一本おきに色温度が違っていた。
ルール。
三行。
《BREAKERSは必要時に一度だけCLAIMを申請できる》
《承認されたCLAIMにはRESCUE UNITを一回投入する》
《MAKERSは個人名ではなくRISK SCORE条件のみを設定する》
その下。
《AVAILABLE CLAIMS : 6》
理人が数字を見る。
六。
十二人。
全員は助けられない。
さらに表示。
《CLAIM申請時、RULE ENGINEが現在状況からRISK SCOREを算出する》
《申請者名はMAKERに非表示》
理人は天井を見た。
「名前なしで決めるのか」
返答はない。
《START》
通路が動き始めた。
*
最初の障害は簡単だった。
上下する床。
理人は駆動音を聞き、
上がり切る直前に乗る。
右足首はまだ痛む。
それでも進める。
第二障害。
横壁。
手動ハンドルを回し、
三十センチだけ開いた隙間を抜ける。
第三。
途中で床が止まった。
理人は耳を澄ます。
駆動音がない。
故障。
黄色い保守箱が点灯。
《FAULT》
《SELF RECOVERY AVAILABLE》
《CLAIM AVAILABLE》
理人は箱を開ける。
中には工具。
スパナ。
絶縁手袋。
短い説明。
自分で直せる。
たぶん。
ただ右足をかばいながら床下へ降りる必要がある。
画面。
《ESTIMATED RISK : --》
理人はCLAIMボタンへ指を置かなかった。
まず見る。
モーター。
配線。
機械的な噛み込み。
原因が分かれば。
そう思ったところで、
右側の支柱が一度沈んだ。
床全体が傾く。
理人の足首へ痛み。
手をつく。
表示が赤くなる。
《CLAIM WINDOW OPEN》
押した。
《CLAIM SUBMITTED》
数秒。
《RISK SCORE : 63》
理人は数字を見る。
高いのか低いのか分からない。
あとはMAKER次第。
*
別通路。
片平志乃は、
昇降床の前で立っていた。
機械は止まっている。
足場は半分だけ上がった状態。
EXIT側までの距離は二メートル。
跳べなくはない。
ただ向こう側の床が少し高い。
横には黄色い箱。
《FAULT : LIFT ASSIST》
《MANUAL BYPASS AVAILABLE》
箱を開ける。
手動ワイヤー。
壁のハンドルを回すと、
一時的に足場を持ち上げられる。
ただし手を離せば戻る。
一人で回しながら乗るのは難しい。
片平はハンドルを握る。
回す。
重い。
一周。
二周。
足場が上がる。
手を離す。
すぐ下がる。
「そうなるよね」
誰に言ったわけでもない。
片平はもう一度回す。
今度は片手で保持し、
身体を伸ばす。
届かない。
葬儀場では、
もっと重いものを動かす。
棺。
祭壇。
花。
ただ、必ず誰かがいる。
一人で持つ仕事ではない。
片平は黄色いボタンを見る。
CLAIM。
押す。
《CLAIM SUBMITTED》
測定。
数秒。
《RISK SCORE : 59》
片平は数字を一度だけ見た。
五十九。
比較対象がない。
高いのか、
低いのか分からなかった。
*
MAKER ROOM。
申請が一件ずつ増える。
名前はない。
番号だけ。
CLAIM 01。
RISK 63。
CLAIM 02。
55。
68。
49。
59。
61。
画面右上。
《AVAILABLE : 6》
最終的に十二件。
数字が並んだ。
68。
65。
63。
61。
60。
60。
59。
55。
49。
45。
38。
31。
杏が眉を寄せる。
「全員出したんだ」
久保田。
「申請できるなら、出さない理由が少ない」
越智。
「承認されるかは別ですが」
志摩由良は数字だけを見ていた。
指が操作卓を叩く。
一。
二。
三。
「六件」
二階堂。
「上から六つなら」
68。
65。
63。
61。
60。
60。
そこで切れる。
次。
59。
一点。
杏も気づいた。
「五十九」
志摩。
「ええ」
「六十と何が違うの」
志摩は杏を見る。
「一です」
「そうじゃなくて」
杏の声が少し強くなる。
「六十は助けて、五十九は助けない?」
「救助枠が六しかありません」
「だからって一で」
「どこかで線は引きます」
部屋が静かになる。
志摩は感情を乗せず続けた。
「個人名は見えない。条件だけを決めるなら、高リスク順が最も恣意性が少ない」
杏。
「じゃあ六十以上?」
「そうです」
久保田が数字を確認する。
「六件ちょうど」
越智。
「条件として明確です」
八田は画面を見る。
「記録上も説明可能です」
杏の目が志摩へ戻る。
「五十九の人が失敗したら?」
志摩の指が止まった。
「六十の人を助けず、五十九を助ける理由はありません」
「そうじゃなくて」
「分かっています」
志摩は少しだけ声を落とす。
「でも六件しかない」
二階堂は十二の数字を見る。
名前がない。
職業も。
怪我も。
顔も。
数字だけ。
「私は賛成します」
杏が二階堂を見る。
「やっぱり」
「この条件なら」
「五十九でも?」
「だからこそです」
志摩が入力する。
《ELIGIBLE RISK SCORE : 60 OR HIGHER》
承認欄。
久保田。
越智。
八田。
二階堂。
志摩。
残る杏。
《DECISION LIMIT : 14》
杏は五十九を見る。
誰か分からない。
十四。
十三。
十二。
押す。
六人。
《DECISION ACCEPTED》
BREAKERS側。
十二の画面が同時に更新された。
片平志乃の前。
《RISK SCORE : 59》
その下に、
判定待ちの白い文字が浮かんだ。




