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LAST VAULT ―300億の遺産―  作者: asnt2026


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第38話 残った十

《PHASE 2 START》


最初の横棒がゆっくり動いた。


十三本の経路は、もう橋とは呼べなかった。


天井から吊られた金属棒が一本ずつ前後へ揺れ、その下には何もない。足を乗せる幅は靴一足分ほどで、次の棒までは七十センチから一メートル。左右には細い補助ロープが垂れているものの、身体を預ければ大きく振られる。


落ちればSAFETY LINEが止める。


ただしLIABILITYの数字だけ、


止まるまでが遅い。


羽鳥雅也。


10。


荒巻泰造。


9。


芹沢洋平。


6。


真鍋理人。


5。


それ以外はゼロ。


羽鳥は一番目の棒へ片足を乗せた。


汐里がすぐ言う。


「呼吸」


羽鳥が振り返る。


「できます」


「深く吸った時は」


「さっきより楽です」


「痛くないとは言ってない」


「そこまで言ったら、何も言えなくなるでしょう」


汐里は返さなかった。


羽鳥が二本目へ進む。


棒が沈む。


膝で吸収。


次。


消防士という仕事が身体へ残したものなのか、足場が動いても重心の置き方に無駄がない。


理人はそれを見ながら、自分の右足首へ一度だけ体重を乗せた。


痛む。


ただ歩ける。


今度は言葉にしなかった。


空気は冷えたままだったが、さっきまでより風が強くなっていた。天井レールの奥から吹き出す乾いた風に、ワイヤーが擦れた鉄の匂いと汗が混じり、動く横棒の影が白い照明の下でゆっくり伸び縮みしている。


羽鳥が五本目へ移る。


胸元を一度押さえた。


汐里の目が動く。


「羽鳥さん」


「大丈夫」


汐里の顔が変わる。


羽鳥も気づいた。


「いや、言い直します。痛いけど進めます」


「どれくらい」


「三くらい」


「何点満点」


「十」


「さっきは?」


羽鳥が少し考える。


「二」


汐里の手が止まった。


悪化している。


ほんの少し。


羽鳥は六本目へ足を伸ばす。


理人も棒を見る。


左から右へ動いている。


タイミング。


羽鳥の足が乗る。


その瞬間、


胸を押さえていた右腕がわずかに遅れた。


補助ロープを掴むはずの手が、


空を切る。


「羽鳥さん!」


汐里の声。


羽鳥の身体が横へ傾いた。


足元の棒だけが反対へ動いていく。


身体はついていかない。


左足が外れる。


腰。


肩。


人間の身体が、立っていた形のまま一瞬だけ宙に残る。


次の瞬間、


落ちた。


十センチ。


二十。


羽鳥の腕が補助ロープを探す。


届かない。


四十。


五十。


理人が走ろうとする。


自分の足場が揺れる。


止まる。


七十。


羽鳥は顎を引いた。


前と同じ。


身体を丸める。


八十。


九十。


一メートル。


ワイヤーが張った。


鈍い衝撃音が空間へ響く。


羽鳥の身体が大きく一度跳ね、


そのまま止まった。


今度は声が出なかった。


「上げて!」


汐里が救助クランクへ走る。


晴斗。


ルカ。


杏。


三人がすぐに入る。


荒巻も動こうとして、


右肩を押さえたまま止まる。


茉莉が代わった。


「回すよ!」


四人。


ハンドルが動く。


羽鳥が少しずつ上がる。


汐里は橋際へ膝をつき、


近づいてくる顔を見る。


目は開いている。


ただ呼吸が浅い。


「羽鳥さん、聞こえます?」


羽鳥が頷く。


声は出さない。


胸が橋の高さまで来る。


晴斗とルカが腕を掴む。


引く。


羽鳥の身体が床へ滑り込んだ。


汐里がすぐ胸へ手を当てる。


「息、ゆっくり」


羽鳥が吸おうとする。


途中で顔が歪む。


止まる。


もう一度。


浅い。


「右?」


羽鳥が頷く。


汐里の手が胸郭へ触れる。


さっきとは違う。


右側の動きが小さい。


羽鳥の額に汗。


空気は冷たいのに。


「ここで終わりです」


汐里が言った。


羽鳥の目が開く。


「まだ行けます」


「行かせません」


「有川さん」


「止まるって言いましたよね」


羽鳥の口が閉じた。


前に交わした条件。


痛みが強くなったら。


呼吸が浅くなったら。


自分の判断で進まない。


汐里が止まれと言ったら、


止まる。


羽鳥は目を閉じた。


一秒。


二秒。


開く。


「分かりました」


それだけだった。


理人は羽鳥を見る。


意外だった。


もっと揉めると思った。


羽鳥は理人の視線に気づいた。


「約束したんで」


口元だけ少し動く。


「今度は従います」


汐里は何も言わなかった。


*


羽鳥の頭上に表示が出た。


《CONTINUATION RISK DETECTED》


《SAFE EXIT AVAILABLE》


続いて、


《CURRENT LIABILITY : 10》


羽鳥が画面を見る。


「これ持ったまま出たら?」


答えは次に出た。


《HOLDER EXIT》


《LIABILITY WILL RETURN TO COMMON POOL》


晴斗の顔が止まる。


「消えないの?」


中央表示。


《TOTAL LIABILITY MUST REMAIN 30》


理人は数字を見る。


羽鳥が出れば、


十が残る。


人が一人減っても。


責任を持っていた身体が消えても、


数字は残る。


羽鳥が低く息を吐く。


「誰かが持つんですね」


誰もすぐ答えなかった。


汐里が先に言う。


「残った人が」


羽鳥は汐里を見る。


「また四、戻りますよ」


「必要なら持ちます」


「さっきは俺に返した」


「条件が変わりました」


羽鳥が少し笑う。


「それ、便利ですね」


「便利じゃありません」


汐里の声は強くない。


「変わった条件で、また決めるだけです」


羽鳥は腕輪を見た。


10。


その数字の向こうに誰かを探すような顔をしたあと、


SAFE EXITへ手を伸ばす。


途中で止まる。


理人へ。


荒巻へ。


芹沢へ。


最後に汐里。


「お願いします」


何を、


とは言わなかった。


汐里も聞かなかった。


羽鳥が認証する。


《HATORI MASAYA――CONTINUATION ENDED》


側面の扉が開く。


白い光。


羽鳥は胸をかばいながら歩き出す。


一度だけ振り返った。


手は上げない。


汐里を見る。


軽く頷く。


汐里も同じように返した。


扉が閉じる。


《ACTIVE PARTICIPANTS : 18》


その直後、


中央表示。


《UNASSIGNED LIABILITY : 10》


残った十は、


誰もいなくなった場所にそのまま浮いていた。


*


《TRANSFER WINDOW : 90》


汐里が最初に腕輪を開いた。


「四、戻します」


理人が見る。


「有川さん」


「さっきの四です」


「でも」


「条件が変わったって言いました」


理人は口を閉じた。


汐里が、


《ACCEPT LIABILITY : 4》


承認。


《ARIKAWA SHIORI : 4》


残り。


《6》


杏が画面を見る。


「じゃあ私、三」


茉莉がすぐ横を見る。


「何で」


「一人で六は嫌でしょ」


「それ理由になってない」


「じゃあ半分」


茉莉が少し考える。


腕輪を開く。


「私も三」


杏の目が動く。


「いいの?」


「それ、こっちの台詞」


二人の指がほぼ同時に動く。


《MIYABE AN : 3》


《YUHARA MARI : 3》


残り。


《0》


最終配分。


荒巻9。


芹沢6。


理人5。


汐里4。


杏3。


茉莉3。


合計30。


二階堂はMAKER ROOMからその数字を見ていた。


自分なら、


そうは配らない。


羽鳥が抜けたなら、


もう一度身体能力を並べ直す。


汐里に4。


杏に3。


茉莉に3。


その選択は、


最大生存率の計算では上位に来ない。


少なくとも、


今ある情報だけなら。


それでもBREAKERS側では誰も止めなかった。


自分から持った。


二階堂の指が操作卓へ触れかけ、


そこで止まる。


PHASE 2。


MAKERはもう配分できない。


見るだけだった。


*


横棒を渡る。


ゼロだった者は、


落ちれば即座に止まる。


LIABILITYを持った六人は、


数字の分だけ下がる。


杏が一度落ちた。


三十センチ。


声を上げる前にLOCK。


茉莉が笑いながら、


「思ったより怖い!」


と言い、


杏に「笑うとこじゃない」と怒鳴られる。


汐里も落ちた。


四十センチ。


止まった瞬間に息を吐き、


自分で身体を安定させる。


理人は五十。


芹沢六十。


荒巻九十。


誰かが落ちるたび、


残った者がクランクへ走った。


さっきまでLIABILITYを持っていなかった杏も、


自分が引き上げられたあと別の誰かを引く。


汐里は救助されてから、


すぐ荒巻の肩を確認する。


茉莉は自分の三十センチを怖がった直後、


芹沢のハンドルを回す。


持つ人間は変わる。


助ける人間も変わる。


三十だけは変わらない。


最後の一人が出口側へ上がった時、


中央表示が青へ変わった。


《AREA 10 CLEAR》


《LIABILITY SETTLED》


《ACTIVE PARTICIPANTS : 18》


汐里は最初に羽鳥が消えた扉を見た。


そこにはもう何もない。


腕輪の4も消えている。


ゲームが終わったからだった。


理人は自分の5が消えるのを確認する。


数字はなくなった。


だが羽鳥が出ても、


十が残ったことを忘れられなかった。


人がいなくなれば、


その人が持っていたものまで消える。


そんな簡単な仕組みではなかった。

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