↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
LAST VAULT ―300億の遺産―  作者: asnt2026


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/48

第31話 六組

ROOM Cの排水音が消えた。


それまで床の下を震わせていた低い唸りが途切れ、急に水の落ちる音だけが大きくなる。


《DRAIN CLOSED》


水位。


《75.6》


《76.0》


《76.3》


まだ上がっている。


仁科昂平が表示と芹沢洋平を交互に見た。


「おい、ほんとにこのままか」


芹沢は赤いハンドルから手を離した。


濡れた掌に、錆の色が薄く付いている。


「上から入る分だけなら間に合う」


「何で分かる」


「今までの増え方見てた」


「元刑事って水位計算もすんのかよ」


「しねえよ」


芹沢は表示から目を離さない。


「だから外してたら悪い」


仁科の口が開く。


荒巻泰造が先に言った。


「その時は一緒に沈む」


「簡単に言うな」


「簡単じゃねえから、もう閉めたんだろ」


荒巻の右肩はまだ上がりにくそうだった。


それでも仁科と芹沢の間へ入るのではなく、少し離れた場所から二人を見ている。


牧瀬苑子はA側の壁へ近づいた。


拳を当てる。


三回ではない。


一回。


間を空ける。


また一回。


もう一度。


何の意味にもならないかもしれない。


ただ、こちらが排水を止めたことだけでも伝えたかった。


壁は濡れていた。


拳を離すと、白くなった指の跡がすぐ水で消えた。


「返ってこない」


志摩由良が言う。


水面を叩いていた指が止まっている。


苑子は耳を当てた。


流れる水。


天井から落ちる水。


五人の呼吸。


その向こう。


小さく、


コン。


一回。


「来た」


荒巻が顔を上げる。


もう一度。


コン。


それきり。


苑子は壁から離れた。


「分かったのかも」


仁科。


「一回だけで?」


「分からない」


苑子は水位を見る。


《77.1》


「でも、向こうも何か変えた」


*


ROOM B。


柏木晴斗はDRAINのハンドルを握ったまま、ROOM A側の壁を見ていた。


さっきまで何度も返っていた打音が止まっている。


自分たちの排水を開けるたび、Aへ水が流れる。


それはもう分かっていた。


問題は、


閉めたら自分たちの水位が上がることだった。


《57.8》


久保田理玖が目盛りを見る。


「今の増加率なら、排水を閉じても制限時間終了時は七十前後です」


晴斗が振り返る。


「本当に?」


「今と同じ流入量なら」


「その最後の一言いらないんだよな」


「必要です」


一ノ瀬結衣が制限時間を見る。


《02:31》


「二分半」


越智恒成がDRAINの表示を確認する。


「Cからの流入が止まりました」


東雲ルカが壁際へしゃがんだ。


手を水へ入れる。


流入口。


さっきまで強く噴き出していた水が、細い流れへ変わっている。


「ほんとだ」


晴斗の手に力が入る。


「Cが閉めた?」


「おそらく」


越智。


一ノ瀬が晴斗を見る。


「なら、こっちも閉める」


「でもAに送らなかったら、ここが上がる」


「七十までなら死なない」


「計算が合えば」


久保田。


晴斗が久保田を見る。


「今それ言う?」


「合わない可能性もあるので」


ルカが立ち上がった。


「じゃあどうする」


誰もすぐには答えない。


水面は膝を越えている。


服が張りつき、足を一歩動かすだけで抵抗がある。


晴斗はA側の壁を見る。


向こうには誰がいる。


真鍋。


有川。


葉月。


羽鳥。


八田。


顔が浮かぶ。


自分がハンドルを開けている間、


その誰かの水位が上がる。


今までは見えなかった。


見えないから押せた。


壁一枚向こうにいると分かった途端、ハンドルが急に重くなる。


「閉めよう」


晴斗が言った。


越智が聞き返す。


「確定しますか」


「確定って何だよ」


「閉めたあと、こちらの水位が想定以上に上がっても再度開けないのかという意味です」


晴斗は口を閉じた。


完全に閉める。


危なくなったら開ける。


その時またAへ送る。


安全を優先するなら、それが普通だ。


けれど全員が同じことをすれば、


水は三部屋を回り続ける。


ルカが晴斗の横へ来た。


「一回、止めよう」


「危なくなったら?」


「その時考える」


「雑じゃない?」


「今まで考えすぎて開け続けてたんでしょ」


晴斗はルカを見る。


数秒。


それからハンドルを回した。


重い。


一周。


二周。


水が渦を巻く音が弱くなる。


三周。


四周。


《DRAIN CLOSED》


床下の音が止まった。


晴斗はすぐA側の壁へ拳を当てた。


一回。


強く。


*


ROOM A。


乾いた打音が響いた。


一回。


理人が顔を上げる。


B側。


羽鳥雅也が流入口へ手を伸ばした。


「減った」


横から入ってきていた水が細くなっている。


数秒後、


ほとんど止まった。


八田周平が目盛りを見る。


《64.7》


《65.0》


増え方が遅い。


葉月が理人を見る。


「閉めた?」


「たぶん」


汐里がすぐ時計を見る。


残り。


《02:04》


理人はAのDRAINへ視線を向けた。


閉じている。


Cへは送っていない。


Cも閉めた。


Bも閉めた。


三部屋全部。


もしそうなら、


もう水は部屋同士を移動しない。


上から入ってくる分だけになる。


八田が数字を追う。


「六十五・三」


十秒。


「六十五・八」


さらに十。


「六十六・三」


羽鳥が息を吐く。


「これなら」


「百には行かない」


理人が言った。


言い切ってから自分で少し驚いた。


汐里が横を見る。


「珍しいですね」


「数字は見えてるんで」


「たぶん、じゃなくて?」


「今回は」


葉月が小さく笑った。


すぐ天井を見る。


水はまだ降っている。


終わったわけではない。


理人は反対側の壁へ三回叩いた。


C。


返事。


一回。


B側へも三回。


返事。


一回。


意味が合っている保証はない。


ただ、三部屋とも排水音は聞こえない。


それで十分だった。


《01:20》


ROOM A。


《68.1》


*


ROOM B。


《62.7》


*


ROOM C。


《80.9》


一番高い。


それでも上昇は緩い。


芹沢は目盛りを見ながら、濡れたシャツを身体から少し引き離した。


荒巻が隣に立つ。


「八十一」


「ああ」


「残り一分」


「ああ」


「九十も行かねえな」


「たぶんな」


荒巻が横を見る。


「お前も使うのか」


「何を」


「たぶん」


芹沢は少し笑った。


「誰かのが移ったんだろ」


残り三十秒。


水位。


八十二・四。


仁科が何も言わなくなった。


苑子は壁へ手をついている。


向こうにも同じように水へ立っている人間がいる。


それを想像する。


見えない相手へ危険を送るのは簡単だった。


数字しか見えなければ、もっと簡単だったのかもしれない。


十。


九。


八。


水が落ちる。


七。


六。


五。


芹沢はDRAINを見た。


最後まで閉じている。


四。


三。


二。


一。


天井の水が止まった。


突然だった。


滝のような音が消え、


三つの部屋に残ったのは、水面が揺れる小さな音だけだった。


《TIME UP》


一拍。


《ROOM A : 70.4》


《ROOM B : 65.1》


《ROOM C : 83.5》


三つとも、


百未満。


表示が青へ変わる。


《AREA 08 CLEAR》


ROOM Cの扉が開いた。


芹沢はすぐには動かなかった。


荒巻が肩を叩く。


「行くぞ」


「ああ」


「正解だったな」


芹沢は水の中を一歩進んだ。


「生きてるうちはな」


*


三部屋が同じホールへ合流した。


水浸しの十五人。


晴斗が理人を見る。


「そっち何センチ?」


「七十」


「うち六十五」


「勝った」


ルカが言う。


晴斗が振り向く。


「何に?」


「低さ」


「勝負じゃないだろ」


少し笑いが起きた。


それも長くは続かない。


ROOM Cから出てきた苑子が芹沢を見ていた。


「さっきの判断」


芹沢が靴の水を抜きながら顔を上げる。


「何だ」


「私、昔も似たこと聞いた気がする」


「何を」


「自分の場所だけ助けても終わらないって話」


芹沢の手が止まった。


「どこで」


苑子はすぐ答えなかった。


頭の中で何かを探している。


煙。


消防車。


規制線。


倉庫。


まだ記者になって数年しか経っていなかった頃。


臨港地区の火災。


隣接倉庫への延焼を防ぐため、一棟を捨てる判断がされた夜。


「あの火事」


芹沢の顔から、ほんの少し何かが消えた。


苑子は続ける。


「臨港倉庫」


周囲の声が遠のいた。


芹沢が靴から手を離す。


「お前、いたのか」


「取材で」


苑子の目が細くなる。


「芹沢さんも?」


返事の代わりに、芹沢は靴先を見た。


その癖を苑子は何度も見ている。


嘘を探す時、


彼は人の靴を見る。


今は自分の靴だった。


「捜査本部にいた」


苑子は何も言わない。


理人が二人を見る。


臨港倉庫。


どこかで見た。


そう思った直後、


苑子が立ち上がった。


「紙」


「何?」


晴斗。


「前の資料」


SAFE ROOMへ戻ると苑子は濡れたまま、保管していた印刷資料を床へ広げた。


二十一人分。


完全な文章は少ない。


黒塗り。


番号。


案件名の断片。


それでも今まで拾ったものはある。


苑子は一本のペンを取り出した。


施設側から支給された記録用のものだった。


紙の余白へ参加者の名前を書く。


柏木晴斗。


東雲ルカ。


二人の間に線。


《東雲地区再開発》


次。


柚原茉莉。


宮部杏。


線。


《LIFELINE》


真鍋理人。


越智恒成。


理人が眉を寄せる。


「俺?」


苑子は二人の資料を並べた。


片方には、


《再建支援撤回》


もう片方には、


《決裁補助記録》


同じ案件番号。


理人の喉が動く。


会社名の大半は黒塗りだ。


それでも末尾に残った文字。


《……精工》


父の会社。


見間違えるわけがない。


苑子はまだ何も言わず線を引いた。


三本。


次。


有川汐里。


羽鳥雅也。


《北央医療センター撤退》


汐里の顔が止まる。


羽鳥も。


「俺がいた救助隊の管轄だ」


汐里は資料を見たまま答える。


「私、あそこの救急にいた」


四本。


三雲葉月。


八田周平。


八田の《第十三号》が記された書類。


葉月の信託関連資料。


二つに同じ管理印。


五本。


苑子の手が止まる。


最後に、


自分の名前を書く。


牧瀬苑子。


その横。


芹沢洋平。


《臨港倉庫火災》


線を引く。


六本目。


誰もすぐには喋らなかった。


晴斗が床へしゃがむ。


「六組?」


「今見つかったのが」


苑子。


「まだあると思う」


久保田が資料へ近づく。


親指の爪へ触れる。


「参加者二十四人」


その数字で、


理人の背中が冷えた。


二十四。


二人ずつなら、


十二組。


苑子は床に並んだ名前を見た。


まだ線で結ばれていない者たち。


二階堂。


久保田。


皆川。


荒巻。


新海。


片平。


一ノ瀬。


志摩。


仁科。


そして、もうここにいない者。


重松。


鶴巻。


赤城。


偶然という言葉を置くには、


六本は多すぎた。


苑子はペン先を六本目の線から離した。


その先に、


まだ引かれていない六本があるように見えた。


牧瀬苑子は、


参加者の名前の間に六本目の線を引いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。