第29話 壁の向こう
ROOM Cの水位が跳ねた。
《11.8》
《14.6》
《18.2》
荒巻が目盛りを見る。
「急に増えたぞ」
苑子が天井を見上げる。
ノズルの水量は変わっていない。
それでも数字だけが速く上がる。
床際。
別の配管口から水が流れ込んでいた。
仁科が指さす。
「そこ!」
壁の下部。
さっきまで何も出ていなかった黒い穴。
水が勢いよく噴き出している。
芹沢が近づく。
しゃがむ。
手を差し出す。
「冷たいな」
荒巻。
「水なんだから冷てえだろ」
「そういう意味じゃねえ」
芹沢は濡れた手を鼻へ近づける。
「塩素臭がない。上からの水と同じだ」
苑子が壁を見る。
「どこかの部屋から来てる?」
志摩由良の指が濡れた太腿を一定間隔で叩いている。
一。
二。
三。
「さっきまでは出てなかった」
苑子が赤いDRAINを見る。
「誰かが開けた」
全員の目が向いた。
自分たちのではない。
別の部屋。
「AかB」
仁科。
「どっちだよ」
「分からない」
「ならこっちも流せ」
仁科がハンドルへ向かう。
芹沢が腕を掴んだ。
「待て」
「水増えてんだぞ」
「俺たちが開けたら、どこへ行く」
「そんなの」
仁科の声が止まる。
苑子がルールを思い出す。
別ROOMへ移送。
自分たちが助かれば、
どこかへ行く。
水位。
《23.1》
荒巻がハンドルを見る。
「待ってたらこっちが先に終わる」
芹沢は手を離した。
「少しだけだ」
荒巻が回す。
DRAIN。
開く。
水位。
22.9。
22.4。
下がる。
同時に、
ROOM B。
*
晴斗の膝下へ水がぶつかった。
さっきまで一定だった流れが急に強くなる。
「何これ!」
一ノ瀬が壁際を見る。
「横から来てる!」
越智はすでに目盛りを見ている。
《16.0》
《19.8》
《23.6》
久保田の親指が爪の脇を押す。
「増加率が変わりました」
晴斗。
「見れば分かる!」
「量を見ています」
「今そこ?」
ルカが横から入る。
「今そこ。たぶん」
久保田が水位変化を見る。
「上部ノズルだけなら一分あたり約三・二センチ。今は七を超えています」
越智。
「別室からの移送が始まった」
晴斗がDRAINを見る。
「じゃあこっちも開ければ」
一ノ瀬がすぐ言う。
「誰かの部屋へ行く」
「でも開けなきゃこっちが」
「分かってる」
五人。
誰もハンドルへ手を伸ばさない。
水だけが増える。
《26.2》
ルカが壁へ近づいた。
掌で叩く。
コン。
一回。
返事はない。
もう一度。
コン。
コン。
晴斗が見る。
「何してるの」
「隣いるか確認」
「防音だろ」
「やってみないと分からない」
ルカが三回叩く。
コン。
コン。
コン。
少し待つ。
水の音。
ノズル。
排水。
それ以外は聞こえない。
「駄目か」
晴斗が言った時、
遠く。
壁の奥。
ほんの小さく、
コン。
全員が止まった。
もう一度。
コン。
そして、
コン。
三回。
晴斗が壁へ近づく。
「返ってきた?」
ルカが耳をつける。
「三回」
越智も壁を見る。
「隣室とは限りません」
「でも人いる」
ルカがもう一度三回。
返事。
三回。
*
ROOM A。
理人が壁へ拳を当てていた。
三回。
向こうから返る。
小さい。
水の音に消えそうになる。
それでも聞こえる。
「誰だろ」
葉月。
「位置的にはBかC」
八田が壁の向きを確認する。
「施設図がないので判断できません」
羽鳥がDRAINを閉じた。
ROOM Aの水位は、
《17.4》
さっき下げた分が戻り始めている。
理人は壁を三回叩く。
また三回返る。
「合図決められない?」
汐里。
「今から?」
「三回だけじゃ誰かいるしか分からない」
理人は考える。
一回。
止める。
二回。
止める。
三回。
相手が返す。
同じ。
意味はまだない。
「数字なら」
八田。
「水位?」
「そうです」
壁を叩く回数で十の位。
一回=十センチ。
二回=二十。
三回=三十。
細かい数字は捨てる。
理人が一回叩く。
間を空ける。
もう一度一回。
現在十七。
十台。
一回でいい。
だが相手に規則が伝わらない。
「最初に十回叩くとか?」
羽鳥。
「長すぎる」
葉月が壁へ近づく。
「一回叩いて、こっちの水位を指で書けたら楽なのに」
理人は濡れた壁を見る。
その言葉で少し考えた。
音。
数字。
完全な文章にする必要はない。
「開けた時に知らせる」
汐里が言った。
理人が見る。
「DRAIN?」
「開ける直前に三回。閉じた時に一回」
八田。
「相手が同じ規則を理解する保証は」
「ない」
汐里。
「でも何もしないよりは」
理人はDRAINを見る。
今は閉じている。
試す。
三回。
コン。
コン。
コン。
羽鳥がハンドルを少し開く。
排水音。
十秒。
閉じる。
理人が一回叩く。
待つ。
返事はない。
「伝わってないかな」
葉月。
その時、
壁の向こうから、
三回。
コン。
コン。
コン。
すぐに、
別の音。
壁の下を水が走るような低い唸り。
ROOM A。
水位。
《19.1》
《21.7》
《24.5》
増える。
羽鳥が目を見開く。
「今の三回」
理人は壁を見る。
相手がDRAINを開けた。
そして、
その水がAへ来た。
「Bだ」
八田が言う。
「少なくとも今叩いている部屋のDRAINは、Aへ接続している」
理人の頭の中に線が一本引かれる。
B→A。
ならAの水はどこへ行く。
Cか。
Bか。
さっきAを開けたあと、向こうの壁から反応はなかった。
もう一つの部屋に届いている。
理人は壁を三回叩いた。
今度は、
別の壁。
反対側。
耳を当てる。
しばらく何もない。
やがて、
ごく小さく。
コン。
コン。
コン。
葉月が目を見開く。
「両方いる」
理人は左右の壁を見る。
三部屋は離れていない。
互いの音が届く。
見えないだけだ。
そして、
水もつながっている。
*
MAKER ROOM。
六人は三部屋の水位を見ていた。
A。
24.5。
B。
21.1。
C。
18.7。
杏が画面に近づく。
「気づいた?」
皆川。
「B→Aはほぼ」
茉莉がCを見る。
「C→Bも」
新海。
「残りA→C」
二階堂は理人が左右の壁を叩く映像を見ている。
「もう気づくでしょう」
杏が葉月を見る。
画面越し。
葉月は濡れた髪を耳へ掛け、壁へ耳を押し当てている。
「こっちから教えられないの?」
「決定後通信不可」
片平が言う。
杏は唇を噛む。
「また見てるだけ」
二階堂は答えなかった。
杏が横を見る。
「何」
「いえ」
「また合理的に何か言う?」
「今言っても役に立たない」
杏は少しだけ目を細めた。
「そういうの分かるようになってきた」
「何がです」
「二階堂さんが黙る時」
今度は二階堂が黙った。
*
三つの部屋。
見えない。
声も届かない。
ただ壁を叩く音だけが行き来する。
理人は濡れた拳を壁へつけた。
三回。
返事。
三回。
向こうにも人がいる。
向こうも、
自分たちと同じように水の中へ立っている。
その事実だけで、
壁が少し薄くなった気がした。




