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LAST VAULT ―300億の遺産―  作者: asnt2026


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第2話 安全の幅

壁が動き始めた。


音は思っていたより静かだった。


巨大な設備ならもっと鈍い振動が来ると思っていたが、床の下から伝わってきたのは低い唸りと、遠くで何かが噛み合う乾いた金属音だけだった。


円形の部屋から伸びる六本の通路。


その入口が、それぞれ違う幅へ変わっていく。


理人たちの正面は狭かった。


両手を広げれば壁へ届くほどではないが、三人並んで歩ける幅はない。


隣の通路は、その倍近くある。


「こっち外れ?」


柏木晴斗が自分たちの通路を覗き込んだ。


理人と汐里、それに晴斗。


十八人は三人ずつ六組へ自動的に振り分けられていた。


頭上の表示。


《ROUTE 04》


《MARGIN : 12》


隣。


《ROUTE 03》


《MARGIN : 28》


「十二と二十八って、何の数字なんでしょう」


汐里が聞く。


その答えはすぐに表示された。


《RULE》


《MAKERは総量100のMARGINを六経路へ配分する》


《MARGIN値が高いほど危険機構から確保される最小離隔が大きくなる》


《制限時間内に反対側のゲートへ到達せよ》


それだけだった。


晴斗が二度瞬きをした。


「終わり?」


表示は変わらない。


「三行だな」


理人は言った。


「分かりやすいじゃん。要するに数字が大きい道ほど安全」


晴斗は隣の二十八を見た。


そちらには荒巻泰造の姿がある。


荒巻は壁へ手を触れず、目だけで動きを追っていた。


「こっちは十二。あっちは二十八。ずいぶん差がありますね」


汐里の声が少し硬くなった。


「決めたのはあの六人か」


理人が呟く。


*


MAKER ROOMには椅子がなかった。


六人は半円形の操作卓の前へ立たされている。


透明な壁の向こうに、六本の通路を上から見た映像が浮かんでいた。


参加者の名前も見える。


鶴巻信也はそれを見た瞬間、一歩だけ前へ出た。


「この制御方式……」


隣にいた二階堂隆雅が顔を向ける。


「何か」


鶴巻は黙った。


「知っているんですか」


「似た設備を見たことがあるだけだ」


「どこで」


「今は関係ない」


二階堂は少しだけ目を細めた。


追及はしなかった。


六人の前に表示されていたルールは、BREAKERS側より一行多かった。


《MARGIN TOTAL : 100》


《各経路最低値 : 5》


《全量を配分せよ》


それだけだ。


柚原茉莉が腕を組んだ。


「これ、誰かにいっぱいあげたら、その分ほかの人が狭くなるってことだよね」


「算数としてはそうでしょうね」


志摩由良が答えた。


「じゃあ十六か十七くらいで均等にしたら?」


「それでは配分の意味がない」


二階堂が言った。


仁科昂平が鼻で笑う。


「意味なんかいるか。全員同じなら文句も出ねえだろ」


「文句が出ないことと、生存率が高いことは別です」


「じゃあ先生はどうしたいんだよ」


二階堂は六つのルートを見た。


画面には参加者の年齢と簡単な身体情報も表示されている。


「移動能力の低い組へ多く回す。高い組は少なくていい」


茉莉が理人たちのグループを見つけた。


「この三人は?」


真鍋理人、三十五。


有川汐里、三十二。


柏木晴斗、二十七。


「十二」


二階堂は即答した。


「少なくない?」


「三人とも健康状態に問題なし。晴斗さんは配送業、真鍋さんも現場職でしょう。有川さんも医療従事者です。身体を動かせる人間へ安全余白を多く割く理由がない」


由良が数字を確認する。


「浮いた分を高年齢層へ」


「ええ」


鶴巻が初めて口を挟んだ。


「その考え方でいいのか」


二階堂は振り向いた。


「何か問題がありますか」


「MARGINが大きければ安全だとしか書いてない」


「その通りでしょう」


「違う。書いてあるのは、危険機構からの最小離隔が大きくなる、だけだ」


少し沈黙した。


茉莉が首を傾げる。


「同じじゃない?」


鶴巻は答えなかった。


操作卓の中央にタイマーが出る。


残り二十秒。


二階堂は数字を入力した。


12。


18。


28。


14。


17。


11。


合計100。


鶴巻の指が一度だけ動いた。


止めなかった。


表示。


《CONFIRM》


二階堂が押した。


《DECISION ACCEPTED》


*


八分。


開始と同時に、六本の通路の奥で赤いランプが点灯した。


理人は最初の一歩を急がなかった。


晴斗が半歩先へ出て振り向く。


「行かないの?」


「行くよ」


「なら急ごう。八分しかない」


「だから見てる」


「何を」


理人は答えず、壁へ耳を近づけた。


冷たい。


金属ではなく複合材の化粧板だ。その奥に駆動部がある。


低いモーター音。


一度止まり、今度は上方から別の音がする。


ガコン。


その直後、十メートルほど先の壁がこちらへせり出してきた。


晴斗が一歩退いた。


「うわ」


壁は人を押し潰す速度ではない。


しかし通路を斜めに分断するように動き、まっすぐだった道を曲げていく。


反対側の壁も少し遅れて動いた。


通路が迷路のように変わる。


汐里が言う。


「十二って、この壁との距離?」


「たぶん」


頭上に白いラインが点いた。


移動壁から一定距離を保つよう床へ描かれている。


ラインの内側を歩けば機械に触れない。


それがMARGIN。


理人たちは進んだ。


曲がる。


また曲がる。


晴斗が先頭で速度を上げる。


「思ったよりいける!」


その声が反響する。


少し先で、別ルートの参加者が透明な隔壁越しに見えた。


荒巻のいるROUTE 03。


広い。


歩く場所も余裕がある。


「二十八、楽そうだな」


晴斗が言った。


その直後、荒巻たちの前に巨大な壁が降りた。


彼らは右へ迂回させられる。


さらに奥で、もう一枚。


理人は歩みを緩めた。


「どうしました?」


汐里が振り返る。


「いや」


荒巻たちが遠ざかっていく。


正確には、横へ。


出口方向ではない。


理人は自分たちのルートを見る。


こちらも曲がっている。


ただ、曲がり方が小さい。


モーター音がするたび壁がせり出し、MARGINの白線が引き直される。


変だ。


理人は天井へ目をやった。


ケーブルラック。


駆動用の配線。


壁ごとに独立しているように見えて、一部が連動している。


「真鍋さん」


汐里が少し低い声を出した。


晴斗が先で止まっている。


通路の幅が急に狭くなっていた。


左右の壁がゆっくり近づいている。


晴斗が白線ぎりぎりまで下がった。


「十二でこれなら、十一のとこどうなってんだよ」


理人は壁へ手を伸ばしかけ、止めた。


触るなとは書いていない。


だが触る必要もない。


耳を近づける。


ゴウン。


一つ目。


その奥から少し高い駆動音。


二つ目。


最後に短い金属音。


カン。


壁が止まる。


三段階。


理人は首を傾けた。


もう一度。


ゴウン。


高い駆動音。


カン。


「またそれやってる」


晴斗が言った。


「仕事柄?」


「まあ」


「何か分かる?」


「まだ」


そう答えながら、理人の目は白線ではなく壁の足元を追っていた。


細いローラー。


横方向だけではない。


レールが奥へ続いている。


壁を近づけたり遠ざけたりするだけなら、いらない構造だった。


「急ぎましょう」


汐里が腕時計代わりの端末を見る。


残り五分二十二秒。


理人は頷いた。


三人でまた走り出す。


その背後で、最初に通った壁が動いた。


誰もいなくなった通路を閉じるのだと思った。


だが違った。


壁は横へ退いたあと、前方へ滑っていく。


理人は走りながら振り返った。


鉄の塊が、自分たちのいる側から動いていた。



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