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LAST VAULT ―300億の遺産―  作者: asnt2026


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19/48

第19話 担当

《LL-09-4417》


表示が消えても、杏はしばらく同じ場所を見ていた。


黒くなった画面にはもう何もない。


それでも目を動かせないらしい。


茉莉が一歩近づいた。


「杏ちゃん」


「知らないんだよね」


顔は向けなかった。


「うん」


「本当に」


茉莉の喉が動く。


「知らない」


杏は頷いた。


納得したようには見えなかった。


かといって、疑っているとも言い切れない。


分からないものを分からないまま持っている時、人はどんな顔をすればいいのか。理人にも答えはなかった。


茉莉がもう一歩近づこうとすると、杏は先に歩き出した。


ほんの数歩だった。


それでも二人の間には、さっきまでなかった距離が残った。


誰も埋めようとはしなかった。


SAFE ROOMへ戻る通路は、今までより長く感じた。


壁は白い。


床も同じ色。


空調は二十度を少し下回るくらいで、濡れた服が肌へ触れるたび冷えた。天井の細い照明は均等に並び、風には消毒液と乾いた紙のような匂いが混じっている。


生活再建支援融資。


LIFELINE。


理人は歩きながら、その二つの言葉を何度も頭の中で並べた。


父の会社にも融資はあった。


どこから。


何という名前だった。


そこへ考えが触れた瞬間、自分で切った。


今ここで思い出そうとしても、都合よく出てくる記憶ではない。


だが《K-13》と同じだった。


知らないはずなのに、どこか近い。


そんな感覚だけが残る。


「真鍋さん」


横から汐里の声。


「足、引きずってます」


理人は下を見る。


「ほんの少しです」


「少しでも引きずってます」


「歩けます」


「それは禁止にしませんでしたっけ」


「大丈夫、とは言ってません」


汐里が理人を見る。


「そういう抜け道だけ見つけるの早いですね」


「設備点検なんで」


「関係あります?」


「たぶん」


汐里は何も言わず前を向いた。


口元だけが少し動いた。


その先で、杏と茉莉が別々に歩いている。


汐里も見ていた。


「放っておいていいと思いますか」


理人が聞く。


「今は」


「今は?」


「間に入って、どっちを慰めます?」


答えられなかった。


汐里は続ける。


「茉莉さんは知らないと言ってる。杏ちゃんも、嘘だとは言ってない。今必要なのは、誰かが答えを決めることじゃないと思います」


理人は歩きながら少しだけ汐里を見る。


「俺、そんなに答えを決めたがってます?」


「かなり」


即答だった。


「そうですか」


「そうです」


理人は前を向いた。


反論する材料を探した時点で、たぶん汐里の方が正しい。


*


SAFE ROOMへ戻って十五分ほど経った頃、壁面の照明が一段落ちた。


会話が止まる。


誰かが水のボトルを置く音だけがした。


《AREA 06》


《ASSIGNMENT》


その下に、


《割当》


晴斗が文字を見る。


「仕事みたいな名前だな」


ルカが隣から言う。


「やりたくないやつほど上から割り当てられるんだよね」


「お前、会社員やったことある?」


「ない」


「説得力ゼロじゃん」


少しだけ笑いが起きる。


長くは続かなかった。


《ROLE ASSIGNMENT》


六人の名前が青へ変わる。


《MAKER》


有川汐里。


柏木晴斗。


皆川文乃。


牧瀬苑子。


八田周平。


志摩由良。


残り十五人。


《BREAKER》


理人は自分の表示を見てから汐里を見る。


汐里もこちらを見た。


「今回はそっちですね」


「みたいです」


「変なの決めないでください」


「この前と逆でしょう」


汐里の口元が少し上がる。


「だから言ってみたかったんです」


床が六人の周囲だけ沈み始めた。


晴斗がルカを見る。


「何かあったら」


「助けすぎないでね」


晴斗の口が止まる。


「まだ言う?」


「大事だから」


「分かったよ」


苑子は最後まで杏と茉莉を見ていた。


記者としてなのか、一人の参加者としてなのかは分からない。


六人が消える。


床が閉じた。


扉が開いた。


*


その先は、円形の空間だった。


中央に一本の太い柱。


そこから十五本の通路が放射状に伸びている。


一人につき一本。


それぞれの入口に名前が表示されていた。


通路は幅二メートルほどで、奥へ行くほど暗い。床の両脇には腰の高さの金属柵が続き、そのさらに外側には黒い溝が走っている。


湿度が高い。


コンクリートが水を吸った匂いに、古い配電盤の焦げた樹脂臭が混ざっていた。照明は天井ではなく床から上向きに当たり、参加者の顔へ下から薄い影を作る。


理人の通路。


《LINE 03》


荒巻。


《LINE 04》


杏。


《LINE 09》


茉莉。


《LINE 12》


番号は飛び飛びだった。


十五人しかいないのに、LINE 01から15まで揃っていない。


理人はそれを一度覚えてから、自分の腕輪を見る。


新しい表示。


《ASSIGNMENT : MANABE RIHITO》


その下に赤い四角。


《1》


全員同じだった。


ルールが中央柱へ出る。


三行。


《自分のASSIGNMENTを他者へ委任しなければ次のGATEは開かない》


《委任を受けた者は対応CHECKを完了するまでASSIGNMENTを保持する》


《ASSIGNMENTは再委任/RELEASE可能》


仁科昂平が声を上げた。


「つまり自分の責任を誰かに押しつけろって?」


越智恒成が画面を見る。


「押しつける、とは書いていません」


「同じだろ」


「相手の受諾が必要なら違います」


その言葉と同時に腕輪へ表示が増えた。


《TRANSFER : WRIST TO WRIST》


《ACCEPT REQUIRED》


仁科が越智を見る。


「細けえな」


「細かいところに殺されかけたばかりでしょう」


仁科は返事をしなかった。


理人は荒巻を見る。


荒巻もこちらを見た。


二人の間に言葉は要らなかった。


近づく。


腕輪同士を合わせる。


理人側。


《TRANSFER ASSIGNMENT?》


荒巻側。


《ACCEPT MANABE RIHITO?》


「いいですか」


理人が聞く。


荒巻が鼻を鳴らす。


「ここまで一緒に落ちかけて、今さら聞くな」


認証。


理人の赤い《1》が消える。


代わりに荒巻の腕輪へ、


《MANABE RIHITO》


の文字が入った。


理人の通路奥で金属音。


最初のGATEが開く。


荒巻が自分の腕輪を差し出した。


「俺のはお前」


「了解です」


受け取る。


《ARAMAKI TAIZO》


文字が増える。


今度は荒巻の通路が開いた。


互いの扉を開ける。


単純だ。


だから理人は中央柱を見る。


まだ何かある。


二階堂は越智と向かい合っていた。


二階堂が自分のASSIGNMENTを差し出し、越智が受ける。


次に越智のものを二階堂へ。


葉月は片平志乃へ。


志乃も葉月へ渡した。


新海は芹沢へ。


芹沢は羽鳥へ。


人の組み方が少しずつ出来ていく。


杏は動かなかった。


茉莉も。


二人の距離は五メートルほど。


茉莉が先に近づいた。


「杏ちゃん」


杏の肩が少し固くなる。


「何」


「私の、持ってくれない?」


理人は視線を外そうとして、できなかった。


茉莉の声はいつもより軽くなかった。


冗談に逃げようとしていない。


杏は茉莉の腕輪を見る。


《YUHARA MARI》


赤い《1》。


「何で私」


「誰でもいいなら」


茉莉が一度止まる。


「杏ちゃんがいい」


杏の指が動いた。


受けようとしたのかもしれない。


けれど途中で止まる。


「ごめん」


茉莉の顔から何かが少し抜ける。


「そっか」


「今は、無理」


「うん」


「茉莉が何かしたって思ってるわけじゃない」


「うん」


「でも」


「分かってる」


茉莉は笑おうとした。


口元だけが動く。


うまくいかない。


その横から仁科が腕を差し出した。


「俺でいいだろ」


二人が見る。


「相手いねえし」


仁科の腕輪にはまだ自分の赤い《1》しかない。


茉莉が迷う。


「いいの?」


「一個増えたくらいで何が変わる」


越智が遠くから顔を上げた。


何か言いかけてやめる。


茉莉が仁科と腕輪を合わせた。


《ACCEPT YUHARA MARI?》


仁科が押す。


茉莉のGATEが開いた。


金属が擦れる音。


茉莉は開いた通路を見た。


それから杏を見る。


「行ってくる」


杏は一拍遅れて頷いた。


「うん」


今度は杏のASSIGNMENTが残った。


羽鳥が近づく。


「俺でよければ」


杏が少し驚く。


「いいの?」


「消防やってると、頼まれてから動くより先に言った方が早い時がある」


「それ、今関係ある?」


「たぶん」


杏が理人を見る。


理人は黙った。


杏が少しだけ笑う。


「みんな使い始めてる」


羽鳥へASSIGNMENTを渡す。


杏のGATEも開いた。


十五人が少しずつ自分の通路へ散っていく。


最後に中央へ残ったのは、自分のASSIGNMENTをまだ渡せていない仁科だった。


茉莉の分を受け取ったため、相手はできた。


だが自分の分は誰にも渡していない。


「誰か」


仁科が周囲を見る。


皆すでに通路へ入っている。


二階堂が足を止めた。


「こちらへ」


仁科が眉を上げる。


「あんた持つの?」


「越智さんの一件があります。二件でも構わないなら」


「知らねえぞ」


「何が」


「重くても」


「物理的な重さではないでしょう」


仁科が笑う。


「そういうとこ、嫌いじゃねえよ」


二階堂へ渡す。


最後のGATEが開いた。


十五本の通路。


全てが解放される。


中央表示。


《PHASE 1 CLEAR》


《PROCEED TO CHECK 1》


その文字を見て、理人は自分の通路へ入った。


右腕には荒巻泰造の名前。


自分の名前は、


自分ではない誰かの腕にある。


出口へ進むには、


自分の責任を誰かに渡すしかなかった。


*


MAKER ROOM。


汐里たちの前には十五本の通路が上から表示されていた。


すでに誰が誰のASSIGNMENTを持っているか、細い線で結ばれている。


晴斗が眉を寄せる。


「蜘蛛の巣みたい」


皆川は線を追っている。


「完全なペアじゃない。三人以上でつながってるところもある」


苑子が杏と茉莉の線を見る。


杏から羽鳥。


茉莉から仁科。


二人の間には線がない。


何も言わなかった。


別の表示が開く。


《SELECT DEFAULT GUARANTOR : 3》


八田が声に出す。


「保証人?」


その下。


《ASSIGNMENT NETWORKの安定化に使用》


《各GUARANTORの担当範囲はRULE ENGINEが自動設定》


晴斗が画面を見る。


「これ、何を保証するの」


回答はない。


志摩由良の指が卓上を二度叩く。


「三人を選ぶだけ」


「選ぶだけって、また嫌な言い方」


汐里が呟く。


候補一覧。


十五人。


皆川が言う。


「今までのゲームを考えると、何かを引き受ける側でしょうね」


「なら体力?」


晴斗。


「それだけじゃないと思います」


汐里の目が三人で止まる。


真鍋理人。


荒巻泰造。


二階堂隆雅。


晴斗が理人の名前を見る。


「真鍋さん?」


汐里は数秒黙った。


それから首を横に振る。


「理人さんは、自分で何とかしようとする」


晴斗が少しだけ汐里を見る。


呼び方には触れなかった。


「保証人には向かない?」


「何でも引き受けたら、最後に自分が動けなくなる」


苑子が画面を見る。


「荒巻さんは」


「引き受けすぎる」


汐里。


「それでも選ぶ?」


答えはすぐには出なかった。


皆川が二階堂を見る。


「判断を切り分けられる人の方が向いているかもしれない」


晴斗の顔が少し曇る。


「二階堂さん、また使うの?」


「使う、という言い方は好きじゃないです」


苑子。


晴斗は口を閉じた。


最終的に三人へ印がついた。


《NIKAIDO TAKAMASA》


《ARAMAKI TAIZO》


《OCHI TSUNENARI》


汐里は荒巻の肩の状態を知っている。


それでも外せなかった。


迷った指が認証欄へ触れる。


六人の承認。


《DECISION ACCEPTED》


画面の三人に、


《GUARANTOR》


という小さな表示が追加された。


その意味を知っている者は、


まだ誰もいなかった。



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