彼女の好きな物語
三日後。
エイデンは再びジャスミンと喫茶店で会う約束をしていた。
その三日間は、彼にとって驚くほど長く感じられた。
魔猿討伐の依頼中でさえ、頭の中は「次に会ったら何を話そう」ということでいっぱいだった。
そのせいで魔猿に噛みつかれそうになり、思わず叫びそうになる。
幸い、最後の最後で声は飲み込んだ。
本当に叫んでいたら、面倒なことになっていたかもしれない。
その日、エイデンは危うく待ち合わせに遅れるところだった。
右肩には紐で吊った細長い筒を下げ、慌ただしく喫茶店へ飛び込む。
ジャスミンはすでに席についていた。
かぎ針と糸を手に取り、器用な手つきで何かを編んでいる。
その真剣な横顔は、新しい命でも生み出しているかのようだった。
「ごめん! 遅くなった!」
エイデンは慌てて向かいの席へ滑り込み、何事もなかったかのように優雅に座ろうとする。
ジャスミンは腕時計を見て、不思議そうに首を傾げた。
「ちょうど時間ぴったりですよ? 遅れてはいません。」
「いや、でもジャスミンさんは早く来てたでしょ? だったら僕も早く来るべきだったんだ。」
エイデンは慌てて弁解する。
「全部ギルドマスターのせいなんだよ。今日は約束があるって伝えてたのに、朝まで依頼を詰め込まれてさ。」
ディマン王国から緊急依頼が届いたのだ。
ノーマンはかつて勇者ヨウタ一行と共に何度も魔物討伐へ参加した実績があり、当然のように今回も最優先で招集された。
その息子であるエイデンも、ロイの判断で同行していた。
「何かあったんですか?」
ジャスミンは心配そうに尋ねる。
「ディマン王国の国境に新種の魔物が現れたんだ。真っ黒な猿みたいな姿で、身長は二メートル以上。力もすごく強くて、みんなで協力しないと倒せなかった。」
エイデンは魔猿との戦いに夢中になって語った。
ジャスミンは興味深そうに耳を傾ける。
その真剣な眼差しを見ていると、エイデンは自分が英雄になったような気分になった。
ジャスミンは魔物にも興味があるらしかった。
「魔猿の体毛から分泌されるものには毒がある、と聞いたことがあります。本当なんですか?」
「ディマン王国の研究者はそう言ってた。でも、かなり大量に採取して抽出しないと毒にはならないらしいよ。」
「どれくらい必要なのか……少し気になりますね。」
「ジャスミンさんって、魔物にも興味があるんだね。」
「ええ。エリカ王妃殿下が魔物素材の再利用を進めていると聞いていますから。」
彼女は手元の糸玉を見せた。
「今回使っているこの糸も、魔蚕の糸が使われているそうなんです。」
「何を編んでるの?」
「夜会用の小さなバッグです。完成したらヘクトール伯爵夫人へお送りしようと思って。」
「ヘクトール伯爵夫人?」
エイデンは内心ぎくりとした。
ジャスミンさん、母さんとの関係には気付いてないよね?
……いや、きっと大丈夫だよね?
「せっかくこちらへ来たので、お隣の領地を治めるヘクトール伯爵ご夫妻には一度ご挨拶したいと思っていたんです。でも、お手紙では伯爵夫人から『伯爵は療養中なので、回復してから改めてお招きします』とお返事をいただいて。」
「せっかくですから、心を込めて作った物を贈りたいと思ったんです。」
エイデンは胸をなで下ろした。
母さんがそんな理由にしてくれていて助かった。
今はまだ、ジャスミンさんへ事情を説明せずに済みそうだ。
編みかけの模様を眺めているうち、ふと去年の光景が頭をよぎる。
「そういえば、去年セリーナさんが羽織っていたあのマントも、ジャスミンさんが編んだもの?」
「ええ。」
ジャスミンは微笑んだ。
「あの子、いつも自分のことを後回しにしてしまうので……それで作ってあげたんです。」
「すごいなぁ! あんな大きなマントを編むなんて、すごく時間も根気も必要でしょ? 僕だったら、一番の親友のためでもできないよ。」
エイデンは心から感心した。
「あ、そうだ。」
肩に掛けていた筒を開け、中から丸めた一枚の紙を取り出す。
「これ……去年の巡礼の時から、ずっとジャスミンさんに見せたいと思ってたんだ。できれば、受け取ってほしい。」
「急にこんなこと言われても困るかもしれないけど……どうしても見てもらいたくて。」
ジャスミンは不思議そうに紙を受け取り、ゆっくりと広げた。
そこには一枚の絵が描かれていた。
寄り添う一組の若い恋人。
右側には白い礼服をまとった若い女性。
純白の衣装は褐色の肌を際立たせ、黒髪には桃色の花が飾られ、頭には黄金の花冠が輝いている。
彼女の瞳は、まるで絵を見る者の心を見透かしているかのようだった。
左側の人物は、中性的な美しさを持っていた。
頭には白いヴェールをまとい、色鮮やかな布を羽織っている。
ヴェールの奥から覗く髪は淡い桃色で、人間にはあり得ない色彩だった。
足元へ落ちる影だけは異様に大きく歪み、無数の触手のような長い脚に包み込まれている。
「これは……豊穣の女神様と闇の神様の肖像画ですか!?」
ジャスミンは目を輝かせ、絵の細部を食い入るように見つめた。
「終わりなき部族の族長様から、この絵のお話は聞いたことがありました。でも、本当に見ることができるなんて……!」
エイデンは少し照れくさそうに笑う。
「これは模写なんだ。本物は神殿に飾られてるから。」
「それでも十分です。」
ジャスミンは顔を上げ、優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。」




