第34話:世界の再始動。――「一秒」の重さを、時計職人ではなく土木師が教えます
音が死に、色が剥落した世界。
【全事象・一時停止】が発動した「クロノス・チェンバー」の中では、僕たちの吐息だけが白く濁って、その場に固まっていた。
歯車の隙間に聖剣を突き立て、全身の筋肉を硬直させて「楔」となっているレオン。彼の瞳は、恐怖の瞬間のまま静止している。
その傍らで、バルガスたちドワーフが、重力魔法で極限まで軽量化した「新造・オリハルコン歯車」を、ミリ単位の精度で軸へと嵌め込んでいく。
「……親方、……左の軸受、……コンマ〇二……狂ってる……ぜ……」
静止した時間の中での会話は、肺から空気を絞り出すような苦行だ。声すらも、空気の振動が伝わらないために、魔力を介して直接脳内へ送り込まなければならない。
「……了解。……今、……矯正する……。……リリスさん、……軸受への『超伝導潤滑剤』の塗布を……急いで」
「……はい……っ!」
リリスが、神聖魔法で純化された黄金のオイルを、巨大な軸受へと流し込む。
僕は、初代ハイランドのスパナを軸の根元に当て、全身の魔力を一点に集中させた。
【固有権能:軸心補正――極限出力】
バキィィィィン!!
静止した世界の中で、物理法則を捻じ曲げるような衝撃音が脳を揺らす。
歪んでいた巨大な中心軸が、一ミリの狂いもなく垂直へと戻り、新しい黄金の歯車と完璧に噛み合った。
「……よし。……全部品、……換装完了。……バルガスさん、……撤収!」
ドワーフたちがゴーレムを回収し、一気に退避する。
僕は、今にも砕け散りそうなレオンの聖剣の元へ走り、その柄を掴んだ。
「……レオン、よく耐えた。……あとは、僕が引き受ける」
僕はレオンを背後に突き飛ばすと同時に、聖剣を歯車の隙間から一気に引き抜いた。
その瞬間、僕の【時間停止】を解除する。
――カチッ。
世界に、「音」と「色」が、津波のように戻ってきた。
ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!
新しくなった歯車が、かつてないほど滑らかに、そして力強く回転を始める。
一秒が、正確な刻みを刻み出す。
空中で止まっていた海鳥が羽ばたき、止まっていた波が岩を打ち、世界中の時計の針が、一斉に「正しい現在」へと飛び移った。
「……はぁ、はぁ、はぁ……っ!!」
レオンが床に倒れ込み、激しく酸素を求めて喘ぐ。彼の聖剣は、あまりの負荷に刀身が真っ赤に熱を帯びていた。
「……カイ……、今、……何が起きたんだ……。俺は、……永遠の中にいたような……」
「……ただの定期メンテナンスだよ。……でも、これで世界の時間は、あと一万年は狂わない。……一秒を刻むのに、どれだけの『鉄の重み』が必要か、少しは分かったかい?」
僕は、熱くなったスパナを冷ますように、掌の魔力で温度を下げた。
アーカイブの画面を見ると、世界を埋め尽くしていた「ERROR」の文字が、次々と緑色の「ONLINE」へと書き換わっていく。
だが。
全ての機能が正常化に向かう中で、一つだけ。
これまで一度も表示されていなかった、漆黒のウィンドウが中央にポップアップした。
『――全インフラの正常化を確認。……最終工程、――【設計者】への報告シークエンスを開始します』
「……報告? 誰に?」
アーカイブの奥底から、これまで感じたことのない「意志」を持った巨大な魔力が、僕たちを包み込み始めた。
それは、世界を修理した「現場監督」に対する、神という名の「施主」からの呼び出しだった。
「……カイ様、上です! 空間が……溶けていきます!」
リリスの叫びと共に、クロノス・チェンバーの天井が、星空さえも超えた「次元の裂け目」へと姿を変えていく。
「……なるほど。工事が終われば、検査(検収)があるのは当然だよね。……いいだろう、施主さん。……請求書(これまでの苦労)を持って、会いに行ってあげるよ」
僕は不敵に笑い、天から降りてきた光の階段へと足を踏み出した。




