第33話:世界の時計が狂い出す。――壊れた「歯車」を直すには、一度時を止める必要があります
深海の排水工事を終え、エメラルドグリーンに浄化された海を後にした僕たちは、かつてない異変に襲われていた。
アーカイブの警告音が止まらないのではない。……警告音の「間隔」が、不規則に伸び縮みしているのだ。
「……カイ様、見てください! 海鳥たちの動きが……っ!」
リリスが指差した先、空を舞っていたカモメたちが、まるで空間に縫い付けられたかのように空中で静止し、次の瞬間、目にも留まらぬ速さで数キロ先へと「移動」した。
それは魔法現象ではない。世界を構築する「時間という名のインフラ」そのものが、ボロボロの歯車のように空回りを始めている証拠だった。
「……一秒が、一秒として機能していない。……セレナさん、リリスさん、足元をしっかり固めて。……世界の『軸受』が焼き付こうとしている」
僕は甲板の上に、アーカイブから抽出した「世界中心核」の投影図を広げた。
そこには、惑星の自転と魔力の循環を司る、超巨大な『時空歯車』が映し出されている。だが、その表面は摩擦熱で真っ赤に焼けただれ、数千、数万という「歯」が、過負荷によって折れ曲がっていた。
「……カイ。これ、放っておいたらどうなるの?」
セレナが、震える手で乱れる自分の髪を押さえながら問う。彼女の周囲だけ、時間が加速したり停滞したりを繰り返し、視覚的に像が二重に重なっていた。
「……世界中の時間がバラバラになる。ある場所では一瞬で数百年が過ぎて生命が風化し、ある場所では永遠に一秒が繰り返される地獄が生まれる。……そして最終的には、摩擦抵抗に耐えきれなくなった『軸』が折れ、この惑星の自転が止まる。……文字通り、世界が終わるんだ」
「……そんな。……どうすれば直せるのですか!?」
「……『時』を止めるんだ。……物理的に、一度すべてを停止させて、その間に部品を全交換する。……バルガスさん! 全工員に告ぐ! これより、カイポリス始まって以来、最大にして最悪の『全休停止工事』に入る!」
***
僕たちは、アーカイブから繋がる「世界の中心:クロノス・チェンバー」へと降り立った。
そこは、重力も上下もない、ただ巨大な黄金の歯車が噛み合い、轟音を立てて回り続ける異次元の空間だった。
「……ひどい磨耗だ。潤滑油が完全に枯渇している。……レオン! ぼーっとするな、仕事だ!」
僕は、恐怖で腰を抜かしていたレオンの首根っこを掴んで立たせた。
「……この巨大な歯車を、一時的に『固定』する。……君の聖剣『アスカロン』は、不壊の特性を持っているだろう? それを、あの第一歯車と第二歯車の間に、楔として打ち込め」
「な……っ!? 正気か! そんなことをすれば、この剣は、いや、俺の腕はどうなる!」
「……心配するな。僕の『時間停止魔法』で、君の周囲の物理定数だけを固定する。……君がやらなきゃ、君の故郷も、君が愛した名声も、すべて時間の塵になって消えるんだぞ。……選べ、聖騎士」
レオンは、激しく火花を散らす黄金の歯車と、僕の冷徹な眼差しを交互に見た。
そして、彼は震えながらも剣を抜き、決死の覚悟で歯車の隙間へと飛び込んだ。
「う、うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ガギィィィィィィィィィィン!!
耳を劈くような金属音が響き渡り、レオンの剣が歯車の回転を強引に受け止める。
その瞬間、世界中の「音」が消えた。
波も、風も、人々の呼吸も。
僕の【固有権能:全事象・一時停止】が発動し、世界はモノクロの静止画へと変わった。
「……よし。……制限時間は、僕のマナが尽きるまでの『存在しない十分間』。……バルガスさん、野郎ども! 新造した『オリハルコン製・強化歯車』の搬入を急げ! 一秒の遅れも許さないぞ!」
『応ッ!!』
何万トンという質量の歯車を、ドワーフたちがゴーレムを駆使して入れ替えていく。
僕はその中心で、初代ハイランドのスパナを振るい、歪んだ軸をミリ単位の精度で矯正し、新しい潤滑油を注ぎ込んでいった。
自分の心臓の音だけが、やけに大きく響く。
この「十分間」に、世界のこれからの数万年がかかっている。
一文字ずつ、丁寧に、正確に。
僕は「時」という名の巨大なインフラを、その手で組み替えていった。




