第32話:深海の排水工事。――世界の詰まりを、超巨大なラバーカップで解消します
北の聖山を「巨大な温泉施設」へとリフォームし、マナの逆流を食い止めた僕たちは、すぐさま次なる現場へ向かった。
西の果て、見渡す限りの群青色が広がる『深淵海域』。
アーカイブの設計図によれば、この海底一万メートルに、世界中の汚れを浄化して地底へと還す「最終排水口」が存在する。
「……ここね。海面の色が、ここだけ死んだ魚の目みたいに濁っているわ」
セレナが船の甲板から海面を覗き込む。
普段は美しい西の海だが、ここ一帯だけは不気味な渦が巻き、腐敗したマナの悪臭が潮風に混じっていた。
「……地上のゴミが詰まって、海が『便秘』を起こしているんだ。このままだと、浄化されない魔力が海中で腐り、あと三日で全ての海洋生物が死滅する」
「海底一万メートルなんて、普通の潜水艦でも粉々に潰れます! カイ様、どうやって作業するおつもりですか!?」
リリスが青ざめるのも無理はない。一万メートルの水圧は、一平方センチメートルに一トンの重さがかかる世界だ。
「……潜水艦で行くから壊れるんだ。……『現場』そのものを、地上と同じ環境に作り変えればいい」
僕は、カイポリスの工廠で急造させた、直径五十メートルの巨大な「円筒形の構造物」を海面へ投下させた。
「バルガスさん、連結開始! 【固有権能:水圧中和・空間固定】――『深海垂直トンネル』、施工!」
ドォォォォォォォォン!!
円筒が次々と海中へと連結され、海水を弾き飛ばしながら、海底へと伸びる「空洞の塔」が形成されていく。
それは海を垂直に貫く、透明なエレベーターシャフト。
「……さあ、行こうか。……レオン、君はバケツとデッキブラシを持って。海底のヘドロ、手作業で掻き出してもらうからね」
「……深海まで行って、掃除かよ……っ!」
***
三十分後。
僕たちは水圧を一切感じることなく、ガラス一枚隔てた向こうに深海魚が泳ぐ海底へと降り立った。
そこには、直径一キロメートルはある巨大な「石造りの排水口」が横たわっていたが、その穴は、ドロドロとした暗黒のマナの塊によって完全に塞がっていた。
「……うわぁ、ひどい。これ、数千年分の『不法投棄』の成れの果てだね」
僕は、背負っていた「初代ハイランドのスパナ」を、別の工具へと換装した。
それは、重力魔法によって極限まで圧縮された大気を噴射する、超巨大な吸引・加圧装置。
見た目は、まさに「宇宙規模のラバーカップ」だ。
「……一回で抜くよ。……バルガスさん、コンプレッサー最大出力! リリスさん、汚水が逆流しないように結界を二重に!」
「了解! 準備完了だ、親方!」
「神聖なる風よ、壁となれ! 【アーク・バリア】!」
僕は巨大なカップを、海底の排水口にぴたりと密着させた。
「……いくよ。――【吸引・加圧:一斉パージ】!!」
ゴォォォォォォォォォォォォォォッ!!!
大気が激しく震え、海底の地盤が浮き上がるほどの衝撃が走る。
次の瞬間、排水口を塞いでいた暗黒の泥が、強烈な圧力によって地底の「浄化層」へと一気に押し込まれた。
ズボォォォォォォォォン!!
耳を突き刺すような音と共に、詰まりが解消された。
滞っていた海水が、巨大な渦を巻いて排水口へと吸い込まれていく。
それと同時に、澱んでいた海面の色が、一瞬にして鮮やかなエメラルドグリーンへと書き換えられていった。
「……抜けたね」
僕は、額の汗を拭った。
排水口からは、地底で浄化された「純粋なマナ」が、心地よい微風となって吹き上がってきている。
「……カイ。あんたって人は、本当に……世界を『トイレの詰まり』みたいに直しちゃうのね」
セレナが呆れを通り越して、感心したように笑う。
「……大切なことだよ。流れるべきものが流れない。それが、この世界の最大のバグ(設計ミス)なんだから」
しかし、喜びも束の間。
僕のポケットにあるアーカイブの端末が、今までで最も激しい警告音を鳴らした。
「……最後のエラーだ。……空でも、海でもない。……『時間』そのものが、歪み始めている」
アーカイブに表示されたのは、どこか特定の場所ではない。
世界の「中心」――僕たちが今いるこの惑星の、まさに心臓部から発せられる絶滅のカウントダウンだった。




