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パレット  作者: 青原朔
113/122

ep82.飢餓

飢餓が、頭蓋の内側を掻きむしる。


視界が、赤い。


音が、遅い。


鼓動が、うるさい。


暴食の半身が、春の中で蠢く。


「足りない」


喉の奥で、誰かが呟く。


違う。


俺じゃない。


でも、否定できない。


目の前で、暴食の残り半分が蠢く。


都市の影が、うねる。


削ったはずなのに。


まだ足りない。


もっと。


もっと力がいる。


もっと喰えば。


終わる。


終わらせられる。


視界の端に、動く影。


葵。


傷だらけで立ち上がる。


氷の粒子を散らしながら、春の方を見る。


「……ハル」


声が、震えている。


でも。


逃げない。


その視線が、まっすぐすぎる。


危険だ。


足手まといになる。


喰えば、強くなる。


守れる。


守るために。


一瞬。


理屈が、すり替わる。


春の身体が、勝手に動く。


「下がれ」


低い声。


でも、葵は動かない。


「違うよ……それ、違う」


次の瞬間。


衝撃。


空間が歪む。


黒と氷がぶつかり合う。


爆ぜる。


葵の身体が、弾き飛ばされる。


瓦礫に叩きつけられる音。


鈍い。


ありえない角度で、転がる。


静寂。


春の視界が、ゆっくりと色を取り戻す。


呼吸。


手が、伸びたまま止まっている。


指先が、震えている。


「……え」


地面に、赤。


葵の額から、血が流れている。


意識はある。


でも、動けない。


零が叫ぶ。


「ハル!!」


その声で、世界が戻る。


春の瞳が、完全に焦点を取り戻す。


自分の手を見る。


黒が、まだまとわりついている。


「……俺」


喉が、掠れる。


「俺、今……何した?」


葵が、ゆっくり目を開ける。


痛みに歪みながら。


それでも。


春を見る。


責めない。


怒らない。


ただ。


「……戻ってきて」


小さく、言う。


その一言が。


春の心臓を、握り潰す。


飢餓が、止まる。


ほんの一瞬。


止まる。


だが。


暴食は、笑っている。


削られた半身が、再び蠢く。


都市の影が、さらに膨れ上がる。


飢餓は消えていない。


春の中に、確実に残っている。


そして今。


全員が理解した。


春は。


“もう安全ではない”。

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