68話 姉川⑪ 居直る兄
― 兄・信長 ―
市が離れていく。
今までに感じたことのない悲しさがこみ上げた。深く後悔した。
「オレ。なんで、《あの事》を言っちゃったんだ……?」
あの事とはオレと妹の本当の関係の事である。しかも、市もそれを知っていたとはっきり言った。つまり最初から秘密でも何でも無かったというわけだ。
それに思い当たると、後悔に代わり怒りが増大した。むろん自身に対してだ。
やっぱり口にしたらダメなコトだったんだよ。実は分かってたんじゃねーか? と。おかげでアイツ、オレを《お兄ちゃん》って呼べなくなったじゃねーか、と。
「あの小娘ちゃん、ひょっとして例の妹さんだったの?」
「分かってて、いちいち聞くな」
「あー良かった。うっかり首、刎ねちゃわなくて」
「テメエな。いい加減にしろよ?」
松永弾正、何かにつけ、ネチネチと絡むヤツ。
「追いかけなくていいわけ? 心中するんだったでしょ? もっとも、そう言った本人の方が先に逃げちゃったけど」
「やかましい! ジャンルがラブコメじゃなかったら、テメエこの場で処刑だぞ!」
「おーこわ。でもね、その無様なカオ、味方に晒すんじゃないわよ? それとさぁ、さっさと指示、出しなさいよ。徳川にぜーんぶオイシイところ持って行かれるわよ?」
ソッポを向き、半兵衛ちゃんを手招きする。ビビリながらオレの足下近くにひざまずく彼女。そのあたまにポンと手を置いてやり。
「済まねぇな。半兵衛ちゃんの声掛けで助かった」
「あ……いえ」
「でな、ひとつお願いがあるんだが」
「なんなりと」
「大変申し訳ないが、そこに倒れている武将の首、小谷城に届けてくれないか?」
「……分かりました」
でもひとつ条件があります。と半兵衛ちゃんがいつになく強い口調で言った。
「無事小谷に届けたら、わたし、そのまま織田家を退職します」
「……そうか」
上目遣いの彼女。やや怯えの面持ち。
「……いいんですか?」
「無論。秀吉にも言っておく。いろいろ済まなかったな」
目線を上げたオレは、火を噴かんばかりに命令を開始した。
「朝倉は徳川勢に圧倒され崩れようとしている! 森と佐久間に伝令! 前線に繰り出し、浅井先鋒を掃討せよと。柴田、木下にはここで挽回しなきゃ、テメエらの給料ぜんぶ没収するぞと伝えろ!」
「はっ!」
「浅井、朝倉、ともに一兵たりとも小谷に返すな。琵琶湖の野原に広大な死に場所を作ってやれ!」
わっ! と将士らが四方に飛び散った。
半兵衛ちゃんがオレにしがみついた。
「待ってください、待ってください! それはあまりに無慈悲です。お市さまも、ますます悲しがります」
「悪りぃな。もうアイツの名前は出すな。もともとオレに妹は居なかったんだ。ただ、それだけだ」
シリアスに、しかも冷酷に言い放ったのだが、そこはコメディジャンル。しがみつく半兵衛ちゃんがてこでも退かず、ヤケ気味になったオレは、彼女を扇風機のようにグルグルグルグル回してやった。
そのうち目をバッテンにさせた半兵衛ちゃんが「きゅうぅ」とうなって降参した。オレもとにかくヘトヘトになった。
「オレはな、オレのせいで、片思いの女子と、妹を同時に失ったんだ。そして市はな、そんなオレの気持ちに構わず、とっとと新しい人生見つけやがった。オレは、オレを裏切ったアイツが許せない。それ以上にオレは、自分勝手で思い上がった、ねじ曲がったオレ自身が許せない。だから、オレはアイツと心中する。アイツの死を見届けてから、オレも死ぬ。どうだ、最高の不幸だろう? イカスルメルのクズどもがもっとも喜ぶシチュだ、グッドエンドな最終回だ」
ハアハア息を切らせて吠える。半兵衛ちゃんはその場にへたり込みながら、それでも抗弁を続けた。
「じゃあなぜ、殿は市さまを見逃したんです? 浅井長政を見逃したんです? 遠藤さんの首を届けろなんて言ったんです? わたしに《助けてくれて有難う》的なお礼なんて言ったんです? すべて自分の心じゃないですか! そうしたいから、そう言ったんじゃないんですかっ? 市さまが好きなんだったら、彼女の幸せを願うのが自然の理、それこそが本心じゃないんですか!? あなたは重要なところで、いつも心と反対のことを言う! そういうメンドウくさい殿に、わたしはもう、ついていけないんです!」
丹羽くんが幔幕の隙間から覗いていた。
「痴話ゲンカよ。もう少し待ちなさい」
ダンジョーがヒソヒソたしなめている。
「ダレが痴話ゲンカしとるかーい! 違うわーっ!」
「……お味方、大勝利。後方の横山城も開城。織田兵を入れ接収しました。……失礼しました」
「失礼してくれていーよ、丹羽ちゃん!」
「ちゃん?」
「あー、だからぁ、丹羽くん。メンドーくさいなぁ」
「横山城、どうしますか? 破却しますか?」
数秒、首をひねって答えた。
「小谷攻撃のための橋頭保にする。ここは木下秀吉に在番させる。……半兵衛ちゃん!」
「……はい」
「オマエはあくまで秀吉の部下だ。オレに暇乞いしたのは認めてやるが、今後はアイツの下で働け」
「あの。それじゃ、今まで通りで何も変わりませんが」
「だったらそもそも、それで良かったんじゃないか。なぁ、丹羽くん?」
丹羽くんは迷惑そうな、半兵衛ちゃんに対して申し訳なさそうな妙ちくりんな面持ちで低頭し去ろうとした。
「待て、丹羽くん。ナニ勝手に消えようとしてんだ? 丹羽くんはな、あの磯野丹波の居城、佐和山を落としに行け。秀吉・半兵衛コンビと巧妙争いだ。さっさと行け」
「なっ。……ははっ」
オレは自ら精鋭を連れ、小谷城下まで迫って徹底的に残党掃滅を図った。浅井、朝倉と名のつく者を片っ端から殺害した。言うなればこれは単にフラれた憂さを晴らしたかっただけだろう。この日からオレは、自分の気持ちに忠実になるのに何のためらいも無くなったのだ。
ちなみに、城下に散乱する死体の中に市の姿は無かった。
ホッと胸をなでおろしたオレは、陰々と勃興した怒りを隠さず、小谷の城群を睨みつけた。




