67話 姉川⑩ 本陣の告白
― 妹・市 ―
草むらに突っ伏したカオを上げる。わたし、馬から転がり落ちちゃったのだ。
うへぇ、口の中ジャリジャリするぅ。土食べちゃダメでしょ、ベッ!
「だいじょうぶですか、市どの」
「音にびっくりしただけ。ゼンゼン平気だよ! それより今の爆発、何なの?!」
遠藤喜右衛門さんに抱えられて起き上がり。
「織田が仕掛けた罠でしょう。味方はかなり動揺した様子」
「磯野丹波さんはまだ頑張ってるかな?」
「それは……分かりませぬ」
ナガマサはだいぶ離れたところにいる。馬上の人になり、周囲に指示を出しまくってる。話し掛けれるのは、さすがに憚られるな……。
「前進してみよう」
「いや、それはしかし」
「状況を確認するだけだよ」
ちょっと間、黙ったキエモンさん。ため息交じりに手を伸ばし。
「それがし、嘘をつき申した。磯野丹波の奮戦もこのあたりが限界。お味方は著しく不利です。徳川に押された朝倉が瓦解するのももはや時間の問題。ここは早々に退き陣の手立てを講じるのが最善と勘考するところ。……じゃが」
キエモンさんは、自分の馬に相乗りするよう、わたしに促した。
「それでも市どのにご覚悟がおありなら、共に」
「覚悟?」
「市どのには済まぬ話だが、ワシはとうにこの戦場が最期の華舞台と覚悟を決めており申した」
ハッとしたわたし。ややパニック気味になって、ほっぺたの泥をワタワタと袖で拭った。そうしてからあらためて彼に手を伸ばした。
「織田信長を討ち申す。それでもよろしいか?」
馬上に引き上げてもらう。
周りの喧噪がまったくの無になった。キエモンさんの言葉だけが耳朶を打った。
信長を討つ。つまり、お兄ちゃんを殺すって意味だよね。いまさら当たり前のことをわたしは心の中で反芻した。それでも同行しないっていう返事は思い浮かばなかった。
「先陣は更に地獄ですぞ?」
「もう覚悟したよ」
「ここにおられるだけでも大したお方だと思うが……。では参りましょう」
◇ ◇ ◇
ここから先の記憶はあんまり正確じゃないの。
切れ切れの、思い出せる映像を、断片的につなぎ合わせたみたいな語りになっちゃうかも。
……わたしは姉川を渡る直前から目を開けてられなくなった。
そう。
キエモンさんが言うように、そこはまさに地獄。織田の兵も浅井の兵もグチャグチャに入り混じって、真っ赤な死骸を積み上げていた。
えぐれた土の上に無数の指や手や、足先、首なしの胴体が散らばり、折れた槍、血染めの刀、踏みにじられた旗が乱雑に、薄汚れて折り重なっていた。
黒煙を上げ、激しく炎をくすぶり続けているのは、驚いたことに、イカスルメル製の乗用車だった。四輪駆動の……、あの人……お兄ちゃんの持ち物であるのは疑いようがなかった。
戦闘はまだ続いている。近くでビュンビュン矢が飛んでいる。鉄砲弾だろう、ときどき宙を滑る擦過音も耳の脇を通り過ぎる。いつそれらが当たっても不思議じゃないけれど、恐怖心は生まれない。それよりわたしは別の感情が急激に膨らんでいた。
下馬したキエモンさんが一個の死骸に近づき、おもむろに何かを拾い上げた。
――それは、首。
知らないお侍さんの生首だった。
「市どの。どうされる?」
「このまま一緒に」
わたしは懐深くにしまい込んだスマホを取り出した。画面を睨み指を滑らせる。
ウーチューブに、姉川の戦場がパノラマでライブ中継されていた。織田軍の向背を守る安藤守就のしわざだ。地球人が殺し合いしてるところを母星の連中に視聴させてるんだ。きっと彼らは、この究極の不幸事に大興奮してるに違いない。「最高の娯楽だぜ」ってふうに驚喜して。
とことんサイアクなヤツらだ。
歯ぎしりしたわたしは、織田の本陣あたりに映っている松の林を確認した。それから周囲を眺め見る。右前方、そう遠くない場所に見える松の林。その陰、……あれは本陣の幔幕なのか。
「本陣の場所、分かったよ。キエモンさん」
人差し指の先を見据えたキエモンさんの馬は、わたしを同乗させて、一直線に駆けた。
「無礼、まかり通る! 大将首を挙げましてござる! とくとご覧あれい!」
織田の陣中に割入ったキエモンさんは、本陣手前でわたしを残したまま下馬すると、「浅井家臣、三田村左衛門が首を挙げてござる! ご検分あれ!」大声で幔幕の内に入ろうとした。あわてて付き従おうとしたら、突然幕が上がり、半兵衛ちゃんがカオを出し。
「あ、は、半兵衛、ちゃん……!」
キエモンさんは「しまった!」という表情をしたけど、そのままズカズカと踏み込み、持っていた首をそばの床机に置いた。そしてわき目もふらず前へ。
ほんの五メートルほど先に「あの人」がいた。
「と、殿っ、お逃げくださいっ! そのひと、えんどう……」
半兵衛ちゃんが叫ぶ間にキエモンさんの刀が光った。
「ご免! 織田弾正忠(信長の事)どの、御覚悟!」
そのとき横合いから刀が飛び出し、キエモンさんの首すじを一閃した。まるでマネキンの頭がもげるように胴から首が離れおちた。少し遅れて赤いしぶきが空中に噴いた。
「危ないところだったわねぇ。信長ちゃん」
目付きの悪い女装の男の人が、あの人に言った。手にしている刀がギラギラ太陽に反射した。
「何、この小娘? コイツも後を追いかけさせてあげましょうね」
あの人がわめいた。
「ヤメロ! ソイツは……!」
「ソイツは?」
カッとしたわたしは、キーキーとなんか分からない声をだして、女装男に掴みかかった。いえ、掴みかかろうとして、蹴られてコケた。
ダーッて立ち上がったわたし、あの人に訴えた。
「この、鬼! 悪魔! わたしの大事な人をよくも! サイテーだ、あなた、サイテーだよ! 人を使っていっぱい人を殺して、そんなにヒトゴロシが好きなの!?」
「い、市! 落ち着け」
「ひとりで不幸になろうって思わなかったの?! どうしようもないよ!」
「市、ボ、ボクは……!」
「声、もう聞きたくないよ」
「市……」
手がヌルッとした。
キエモンさんの返り血を浴びてたんだ。
「お兄ちゃん、あなたも、それとわたしも、もうどうしようもないくらい、サイテイなんだよ。どれだけ悪いことしたのか、もう見当もつかないくらい。……だからわたし、ここに死にに来たんだよ。お兄ちゃんと心中するつもりで、ここに来たんだよ?」
「な、なに言ってんだ」
「わたしさぁ、もうお兄ちゃんの考えてること、ちーっとも分かんないんだよね。だってさ、わたし、もうカオ、忘れちゃってたもん」
お兄ちゃん、わたしに一歩、また一歩と近づいた。
「聞いてくれ。ボクはずっと悩んでた。ボクとオマエは実は血のつながらない兄妹だ。だから」
「わざわざ告白されなくてもそんなコト前から知ってたよ。おばあちゃんがこっそり教えてくれてたもの。だから、わたしから、おばあちゃんを遠ざけてたんでしょ」
「ボクはずっと、オマエが好きだった。でも、だからこそ、兄妹を貫かなきゃダメだって思ったんだ。だから」
「何、それ! いまさら何言ってるの! 遅いよ! 遅すぎるよ! それに、あまりにヒドすぎるよ……」
スプーンでひとすくいするみたいに、軽々と持ち上げられたわたしは、ナガマサのふところに収まっていた。
「……探したぞ、市」
まさか。
あなたも死ぬ気なの!?
「な、ナガマサ。なんで、ここに」
女装男がお兄ちゃんに指示を仰いだ。
「信長ちゃん。絶好のチャンスだわよ? どーすんの?」
「……捨て置け。ただの雑魚だ」
「そんなワケにはいかないわよね」
ふたたび刀を振り上げようとしたので、お兄ちゃんが怒鳴った。
「ダンジョー! チョーシ乗ってんじゃねぇ。捨て置けと言っただろ!」
「あのねぇ……」
「テメエ。まだ何か言うか?」
「……はいはい。いいえ」
女装男が刀を投げ出すのを見届けたナガマサは、馬を駆り、わたしを乗せて悠々とその場を去った。お兄ちゃんの声が遠くで響いた。
「徳川が横槍を突き、朝倉が崩れたった。このまま一気に踏みつぶせ! やがて浅井も力尽きよう。機会を捉え、肩をつけろ! 全軍、総攻撃!」
そのころにはわたしは、ナガマサの腕の中でグッタリと気落ちし、眠り込んでしまってた、らしい……。




