64話 姉川⑦ 小谷城遥か
― 兄・信長 ―
やたらとでかい背中を追いかけている。
けれども全然追いつかないから「ダメだ」と諦めて歩を止める。すると、その壁みたいな背中も前進するのをやめた。
「無能でも、無能なりに努力すれば、人様並みになれる。しかしお前は永久にムリだな」
いつの間にか濃い霧に覆われて見えなくなった背中が、どこからか、冷え冷えと言う。
「ああ、そーかい。じゃあボクはボクなりに自由に生きるさ。もう二度とこの玄関はくぐらないよ」
悲鳴に似た宣言、啖呵。ありったけの強がり。背中はとうの昔に僕を見放してるってのに。聞いてもいないのに。そんなのは承知の上で声を嗄らした。
果てしのない砂丘。流砂に沈みかけた足を片方ずつ抜き上げ、ジタバタともがき、転がり、掻き上げた砂を、霧に向かって思いっきり投げつけた。
「やかましいんだよ! 親父ヤローッ!」
ビクンと体が跳ね、青い景色が一転真っ暗になった。海底に頭を打ち付けたかと思うほどの衝撃と、ツンと鼻の奥が熱くなる感覚。
「……夢か。ま、そうだろうな」
「夢じゃございやせんぜ、信長旦那」
「サル。オマエ何で砂かぶってんだ?」
「砂まみれの自分の手を眺めながら、よくもまぁそんなボケがかませますな」
「あ、やっぱり。コレそう? ごめんな、寝ぼけてた」
旦那の図太い神経にはアタマが下がりますと、イヤミだか、心からの感心だか、判別のつかない独り言を足しながら、サル・木下秀吉が丹羽五郎左とともに地図を広げた。
「横山城はここ。そして、浅井の本拠、小谷城は北の方角。こちらです」
地図を覗き込もうとする。
でもよー。
身をよじったら痛ぇ! ボクは脇腹の包帯部分をさすった。
ついこないだのこと。山道を通って岐阜に帰る途中、ゴルゴばりのスナイパーに撃ち殺されかけたんだわ、そのときのキズがまだズキズキしやがんの。
「痛っ……。ボクの命なんて狙って何の得になるっつーんだ?」
「殿がそれだけ大物になったってことです」
「全力で犯人を捜してござる。もう少し猶予を」
ボクは丹羽くんと秀吉の弁をてんで聞いてなかった。あんまし関心がなかった。
「小谷に急ぐぞ」
「素通りするのですか? 横山城を?」
「ボクは小谷に行きたいんだ」
「徳川を待たないのですか?」
「構わん。松永弾正を呼べ。ジープで北上するぞ」
◇ ◇ ◇
意外と初めてだった。
小谷城を見たのは。
もう、目と鼻の先、そこに市がいる。
そして、長政も。
虎御前山という地に陣を敷いたが、手を伸ばせば届きそうだった。
「丹羽くん、秀吉、半兵衛ちゃん、勝家! 市からの連絡は来たか?!」
「いえ。今のところは」
「……こうなったら強行手段に訴えるか?」
「そう易々と落とせるものではありません」
あんなに近いのに。
ほら、あれ。もしかしたら市が手を振ってるんじゃないか? 「お兄ちゃん、助けてー」とかって、ひょっとして助けを求めているのかもしれないぞ?
「気合いで突撃しようぜ?」
思い詰めて言う。
そしたら丹羽くんと猿が怒ったように声高に主張した。
「殿はお味方の損害をどう考えますか」
「そんなことをしたら、城中のお市さまもどうなるかわかりません」
ジッと下を向き、モブっ子に徹していた半兵衛ちゃんにすがるしか思いつかなかった。鎌刃城、長比城を無血開城させた一番の功労者だ。何か妙案を出してくれるかもしれないと。
「信長さまは、殿は、本気で浅井とケンカする気ですか」
「……というのは?」
「このまま気を長くして和解の道を探るか、大ゲンカしてでも早期の解決を図るか。信長さまの考えをお聞かせください」
後方で拍手が鳴った。松永弾正である。
「そうそう! その通り! グズグズメソメソしている信長ちゃんに、わたしらは、ほとほと嫌気がさしてるのよ。いい加減ハッキリ宣言しちゃってよ。謝りたいの? ケンカしたいの? どっちなの?」
コイツはいつもボクに挑みかかるような質問をぶつけてきやがる。
「……ガツンとかましてやる!」
「ですって。半兵衛ちゃん」
「分かりました。では、誘い受けで行きましょう」
「誘い受けだと?」
「はい城の外に誘い出し、決戦に持ち込みます」
ボクらは虎御前山を引き払い、一旦南下した。横山城を囲むのだ。
「――あ! なんだ、あの黒煙は?!」
「小谷城下に火を放ったのよ。その上で横山城を襲ったら、浅井長政君も黙ってられないでしょ?」「ダンジョー、お前勝手にやりやがったのか」
「バカかしら。あなたが判断を下したんじゃない」
サルも、半兵衛ちゃんも、誰一人目を合わせてくれなかった。
猛火暴れ狂う中、群煙をかき分けて、浅井軍が怒涛の勢いで肉迫してきた。鬼の形相をしている。
「殿。お下知を」
丹羽くんが怜悧にささやく。
「ボクの親衛隊で対処する」
――彼ら馬廻衆の活躍で、ボクらは虎口を脱することができ、無事南下。横山城の攻囲を終えた。誘い受け作戦の第一ステップを完遂させたのである。




