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次元都市アクシス  作者: 七夜
04 運命の交叉路
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Chapter02-3

 そこには、ある意味見慣れた……いや。

 見慣れたというのはおかしい話だ。その性質上同じ外見の個体が現れることはほぼない。

 そもそも瑞葉は自分が倒した変異体の姿を全て記憶しているわけでは――

「お嬢様ぁ!!」

「ぁ――」

 ミハイルの声が聞こえた瞬間、瑞葉の全身を衝撃が貫いた。

 丸太のような剛腕に肉体を打ち据えられ、ノーバウンドで壁に叩きつけられる。《リィンフォーサー》を起動する暇などなかった。

「がっ、はぁ!?」

 《アブゾーバー》が起動していたとはいえ、あまりに無防備過ぎた。防御はおろか受け身すら取れていない。直撃を食らった腕や壁と衝突した肩が、骨の内側から焼けるような痛みを発している。ひびが入ったか、最悪折れている。

 その痛みがかえって瑞葉を現実へと引き戻してくれた。

 目を背けたくなるような、最悪な現実へと。

「じゃあぼくは行くから。しばらく遊んでて。無視して通ってきたら周りの人たち殺していいから」

「ま、待て……っ」

 立ち去ろうとするサイラムを追おうと立ち上がる瑞葉だが、大きな影が立ちふさがった。

 雀蜂のような頭に、毛皮に覆われた筋骨隆々の体躯。そこにかつて少女であった時の面影など何一つ残っていない。周囲に倒れた人間には目もくれず、サイラムの元へ向かおうとする瑞葉の進路を塞いでいる。

「同じ、なのか」

 先の変異体と同じ、意思を感じさせない個体。東京に現れたものと同じ、操られているかのような挙動をする個体。

 これ以上考えたくない。確信してしまえば研ぎ澄ませてきた決意が鈍る。

 だが、現実として迫りくる脅威から目を背けることなどできるはずがない。

「ぐッ――!」

 真正面から振るわれた剛腕を躱し、後方へ飛び退く。激しい動きに一層強い痛みが走るが、砕けんばかりに奥歯を噛みしめて耐える。

 変異体はあくまで緩慢な動きで瑞葉を追って来ていた。殺傷が目的なのではなく、あくまで足止めの為に襲い掛かってきている。

 それがサイラムの命令によるものなら、仮に瑞葉たちがあれを無視して彼を追えば巻き込まれた他の市民たちが犠牲になるということ。

 現実的に取るべき選択は一つしかない。

「……止まれ」

 わかっている。

 わかってはいても、瑞葉は呼びかけずにいられなかった。

 どれだけ変わり果てた姿になろうと、目の前にいるのはついさっきまで人間の少女だったのだから。

 晴近の両親だった変異体は、人であった頃の精神が断片的に残っていた。万が一にも希望があるのならば。

「頼む。止まってくれ」

 答えは返ってこない。変異体は止まらない。

 与えられた命令だけをこなす機械の如く、瑞葉めがけて腕を振り下ろす。

「加重」

 その直前、ミハイルが《マスハンドラー》を起動した。

 急激な荷重を受けた変異体が躓くようにして倒れ伏した。サイラムのように無効化することはできないらしいが、起き上がろうともせずそのまま這いずってくる。

 このまま出力を上げれば、それで終わる。

「待て。殺すな」

 出てきたのは、自分でも信じられないほどに弱々しい声だった。

「……お嬢様」

「奴なら元に戻せるかもしれない。そうだ、人間を変異体に変えられるのなら人間に戻すことだって――」

「彼が彼女を救うと本気でお考えですか」

 切りつけるようなミハイルの言葉に、瑞葉は声を発することができなかった。

 振り返ってみれば、そこには未だかつてないほどに表情を押し殺したミハイルがいた。それでいてなお湧き上がる怒気は抑え込めていない。

 瑞葉ですら恐怖を覚えるほどに、彼は怒り狂っていた。

「今の我々に彼を屈服させるだけの隔絶した力はありません。生きたまま捕縛することすらも難しいでしょう」

「……私たちには、無理なのか。あの子を救うことは」

「不可能です。我々に力が足りていれば、或いは別の道も選べたでしょうが……」

 口惜し気に言葉を濁すミハイル。苦渋に満ちた声を聞けば、この選択は彼にとっても決して本意ではないのだとわかる。

 わかっていたはずだ。

 ミハイルに言われるまでもなく、今の自分たちにあの少女を救うことはできないのだと。出来ることがあるとすれば、元凶を一刻も早く取り除き被害の拡大を防ぐことだけだと。

 理想を実現するには、時間も実力も足りなかったのだ。

「そうか」

 瑞葉は再び変異体へ――かつて少女だったものへと向き直った。

 瞳を閉じ、名前も知らない少女の姿を思い浮かべる。守ることができなかった市民の姿を記憶から呼び起こし、深く脳裏に刻み込む。

 瞳を開け、現実を見据える。

 這いつくばったまま、それでもなお瑞葉たちの方へと向かおうとする巨躯を見下ろして。

「……すまない」

 千切れてしまいそうなほどにか細い白銀が数度瞬き、世界に沈黙が降りた。


 ◇


『負荷率70%』

「うっ……ふぐ、ぅぅ……!」

 都市を覆う寒波を発生させた直後から、エルナはその場から一歩たりとも動かずにいた。

 仮に動けと言われたところで、到底無理な話だった。

 エルナが抱えているクマのぬいぐるみ。その内側に仕込まれた《フリズスキャルヴ》は、無数の《サードアイ》から形成される都市の監視システムとエルナの脳を繋ぐ中継装置だ。今のエルナの脳はBCを通じて流れ込んでくる膨大な量の情報を処理するのに精一杯であり、立ち上がることすら困難だった。

 代わりに効果は絶大だ。

 認識した存在から速度を奪うエルナの力を、《フリズスキャルヴ》によって都市全域にまで拡大。都市には高出力な《アブゾーバー》が備えられているが、このまま能力を使い続けていればいずれ限界がくるだろう。

 これだけ大規模かつ目立つ異変を起こせば、ガーディアンはこぞって対策に乗り出す。自分だけではない。幸矢のゲートを通じて放り込んだ装置で情報伝達の手段を奪い、クラウスは敢えて真正面から管理局へと乗り込んだ。

 これら全てが陽動などと、相手は思いもしないだろう。こうしている間にも、本命の二人は着々と目的の場所へと近づいている。

 だから、もうひと踏ん張りだ。

 少しでも長くこの寒波を維持しなければ。

『負荷率73%』

「づぅ……!」

 負荷率が上昇するたびに視界が赤く染まる。先ほどからずっと全身が熱い。まるで都市から奪った熱を全て己の身で受け止めているかのようだった。

 本来ならば高度な演算装置で処理するレベルの情報量だ。転移者と言えどエルナの脳自体は一般人のそれと大差なく、あまりに大きな負荷がかかれば壊れてしまう。

 数奧は負荷率が90%を超えたらすぐに強制連結を解除するようエルナに厳命していた。そこから先は本格的に後遺症が残る懸念があるという。

 今の状態を維持するだけならば80%を超えることはないだろう。これ以上負荷率を上げれば自分の身は勿論、屋内に避難した市民の命まで脅かすことになる。

 エルナの役目はあくまで陽動。命の危険を冒してまで殺戮をする意味も理由もない。

 必要性以前に、エルナ個人としてもこの世界の人間を殺したいとは思わなかった。

 彼らにも自分と同じように、大切な人がいるのだとわかってしまったから。

「やぁ。調子はどう」

 不意に、聞き覚えのある声が頭上から降ってきた。

「返事はしなくていいよ。する余裕もないだろうし。ぼくが一方的に話をしに来ただけ」

 こちらの世界に来てからよく聞くようになった電子音声よりも抑揚のない声を、聞き間違えるはずがない。

 ガーディアンの足止めに向かっていたサイラムが戻ってきたようだ。既に片がついたということなのだろうか。

「敵はしばらく来ないと思うよ。二人いたけど軽く痛めつけてきたから」

 心を読んだようなサイラムの発言にエルナは驚きを禁じ得なかった。

 いくら転移者の能力が強力であるとはいえ、相手であるガーディアンはこの世界における最先端の技術で装備を固めた戦士たちだ。実際エルナは不意打ちとは言え能力を破られ、クラウスが助けに来なければ命を落としていたかもしれない。

 反面、サイラムは事も無げに二人のガーディアンを撃退したという。彼の能力は転移者としても特殊だと数奧は言っていたが、その力は戦闘でも遺憾なく発揮されるものらしい。

「別にあのまま殺しても良かったんだけどさ。ちょっとエルナに話しておきたいことがあったんだ」

 そしてサイラムは告げた。


「キミって本当に健気だよね。何をしても無駄なのに」


 ――何を言われたのか、最初は理解できなかった。

 しかしサイラムは止まらない。

 淡々と原稿を読み上げるように。理解の追いつかないエルナを置いて、宣言通り一方的に語り続ける。

「博士も人が悪いよね。確かに次元炉を破壊したら何が起こるかわからないけどさ。絶対に起こらない奇跡をチラつかせるのはいけないと思う」

「な、にを……」

「ぼくも榊くんもクラウスさんも知っている。当事者で知らないのはエルナだけだ。ひどい話じゃないか。後で知る方が余計に傷つくだろうに」

 いつしか脳への負担からくる熱などないと思えるほどに、エルナは全身が冷え切っていくのを感じた。

 サイラムは具体的なことをまだ何も言っていない。

 それでも、彼が言わんとしていることをエルナは察せてしまった。

 この世界において、この戦いにおいて。

 エルナが抱いていた希望など、たった一つしかないのだから。

「だから教えてあげるよ。転移者の真実を。ぼくたちの現実を」

「や、めて」

「遠慮しなくていいよ。これはある意味きみにとって救いでもある。捉え方次第だけど」

 辛うじて絞り出した拒絶の意思は容易く受け流されてしまう。

 今すぐにでも両耳を塞ぎたかったが、体は凍え切ってしまったかのように言うことを聞いてくれなかった。

 何も聞きたくない。聞いてしまえば取り返しがつかなくなる。

 やめて。やめて――!

 焦燥だけが激しく募る中、頭の上にそっと何かが置かれた。

 温かくも冷たくもないそれが人の手であると理解した直後。


「ぼくらの世界は既に   っている」


 サイラムは告げた。

 誤解のしようがないほど明確に。解釈のしようがないほど具体的に。

 絶望的な現実を、無防備なエルナへと叩きつけた。


「あ……ぁあ……!」

「きみは何も悪くない。知らなかったんだからしょうがない。誰もきみを責めたりしない」

 ひび割れ崩れかけた心の隙間に、声が蛇の如く潜り込んでくる。

「悪いのはあんなものを創り出したこの都市だ。ぼくらをこんな目に合わせたこの世界だ」

 前にも一度、同じように負の感情を煽られたことがあった。あの時はまだ希望と言う名の支えがあったからこそ、戻ってくることができた。

 だがそれを失った今、エルナの精神は前以上に大きく深く傾いていく。

 もはや理性などでは歯止めが効かない段階まで。

「大丈夫。何も心配はいらない。だってそうだろう」



「きみはもう一人じゃないんだから」



「――ぃや、だ」

『負荷率79%』

 こうして容易く。

 溶けかけの薄氷を踏み砕かれたかのように。

「いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!」

『負荷率86%』

 エルナの心は壊れた。


 ◇


 発生源から最も近い大通りに至り、一層激しさを増す寒波の中を瑞葉は無言で進み続ける。

 凍り付きそうな冷気に晒されながらも、不思議と歩みは鈍らなかった。無数の感情が胸中で渦巻き続け、いつまで経ってもまとまらない。皮肉にもそれが一時、寒さを忘れさせた。

 幽鬼の如き足取りで寒波の中心へと近づく瑞葉の前に、それは姿を現す。

「思ったよりも早く来たね。こっちの用事はもう済んだよ。あの子には感謝しないと」

 無機質な声が数十メートル先の路地裏から聞こえ、後に続いてサイラムが大通りへと出てきた。気温の分布を見る限りでは、恐らく彼がいた路地裏に発生源がいるのだろう。温度低下がより激しくなったのと無関係ではあるまい。

「顔色が悪いね。気温が低いからかな。エルナに少し発破をかけたんだけど中々――」

「黙れ」

 何食わぬ顔のサイラムを目にした瞬間から、瑞葉の中でまとまりのない感情が一つの色へと塗り潰されていくのを自覚した。これまでに抱いたことのない、どす黒い感情が凍えそうな身を焼き焦がした。

「これ以上貴様の戯言に付き合うつもりはない。非道の報いを受けさせてくれる」

「うん。じゃあお喋りはこのくらいにしておこうか」

 瑞葉から放たれる突き刺すような殺意も意に介さず、サイラムはそこらを散歩するような歩調で近づいてくる。対峙する瑞葉は自分から距離を詰めはせず、機を窺った。憤怒に満ちた精神状態であっても、戦闘となれば思考は急速に冴えわたる。

 相手の能力が開示された通りのものだとしたら、それに対抗する手段は実質無いに等しい。存在そのものを自在に書き換えることができるのなら何でもありだ。

 故に解せなかった。

 何故サイラムは《マスハンドラー》による攻撃を防げなかったのか。

 すぐに無効化されてしまったとはいえ、少なくとも最初は効き目があったのだ。それ以前の攻撃は全て最初から効かなかったのに。

 何故あらゆる動作が緩慢なのか。

 本気で瑞葉たちを殺す気があるのなら、さっさと距離を詰めて縊り殺せばいい。チャンスは何度だってあった。身体能力を弄れば不可能ではないだろうに。

 全ては憶測にすぎない。

 だが、彼が嘯いた「使いづらさ」がそこにあるとすれば。

「怒ってる割りには襲い掛かってこないね。どうでもいいけど」

 距離が縮まるにつれて、極低温の中にありながら汗が滲むのを感じた。

 読み間違えていれば死ぬ。タイミングがずれても死ぬ。

 何より今ここで自分が死ねば、状況はより悪い方向へと傾いてしまう。

 だとしてもやるのだ。

 あの少女のような被害者をこれ以上出さないため。

 愛する都市と市民を守るために。

「もしかして寒さで動けなくなっちゃったのかな。無理もないと思うけど。でもおかしいな。確かきみは《リィンフォーサー》で外気の影響を――」

「今だ!」

 サイラムとの距離が半分程度になった時点で、瑞葉は合図を送り。

 彼がいる場所からほど近い建物の陰から、一人の男が躍り出る。

 《アクセラレーター》の最大出力で加速したミハイルが矢の如く疾走し、無防備なサイラムへと迫った。

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