Chapter02-4
本来ミハイルの身体強度では≪アクセラレーター≫による全力の加速に耐えられず、ましてや寒波の中心にほど近いこの場所に留まっていられるはずもない。
それを可能としたのは、瑞葉から一時的に貸与された≪リィンフォーサー≫だ。瑞葉は予備も含めた三機を全てミハイルに預け、代わりにミハイルから受け取った≪アブゾーバー≫を重ね掛けすることでギリギリ極低温に耐えることができていた。
そしてミハイルは持続時間の短い≪リィンフォーサー≫を次々と使い潰しながら途中で瑞葉と別れて身を隠し、サイラムに仕掛ける機会を窺っていた。
不意打ちである必要があったのは、相手に対応する暇を与えないためだ。
思い返してみれば、サイラムが能力を使ったと思われるタイミングは常にある程度の間を置いた後だった。例えば、鉄片を投げる前にしばらく弄んだり。扉を蹴破る前に中の様子をじっくり確認したりと。
最初に蹴りを防がれたのは、ワイヤーに対する防御の延長上だったのではないか。即座に≪マスハンドラー≫へ対応できなかったのは初見である以上に、そもそも能力が発動するまでに時間がかかったのでは?
存在を書き換える能力の弱点は、その途方もない自由度そのものなのではないかと瑞葉は推測した。
次元兵器は出来ることが限定されており、それ故に誰でも簡単に扱うことができる。≪サイレントルーラー≫や≪マスハンドラー≫と言った例外はあるが、機能が単純な装置はただ起動するだけで効果を得られるものが殆どだ。
晴近の能力についても同様のことがいえるのかもしれない。彼の場合は時間操作という枠内に能力が限定されている。実際、彼は能力の発動を即座に行えていた。
一方サイラムはどうだろう。
何でもできるということは、どのような書き換えを行うかその都度自分で決定する必要がある。次元兵器を使おうとするたびに、その次元兵器を一から設計しているようなものだ。
認識外からの不意打ちに対し、即応などできるはずもない。
「シッ――!!」
瑞葉の十八番である≪リィンフォーサー≫と≪リィンフォーサー≫を併用した高速突撃。
鋭く息を吐いたミハイルは、真っすぐ指を揃えた右手をサイラム目掛けて突き出した。放たれた貫手は吸い込まれるように、無防備に晒された胸へと向かい――
「残念」
しかしその心臓を貫くことはなく、乾坤一擲の一撃は体表面で阻まれていた。
「く……っ!?」
「不意打ちって発想は悪くなかったよ。能力の発動が遅いってことに気づいたんだね。でも少し考えてみればわかるんじゃないかな」
口調だけは呆れたような様子で、サイラムは言い放つ。
「存在情報を認識できるぼくに不意打ちが成立するわけないじゃないか」
直後、ぞんざいに振るわれた腕がミハイルを打ち据えた。
見た目からは想像もつかない威力を秘めた一撃が空気を割り裂き、食らったミハイルの体が音速を超えて瑞葉へと迫る。
「ミハイ――ぐぁ!?」
咄嗟に受け止めようとした瑞葉だったが、二重の≪アブゾーバー≫では到底耐え切れない衝撃にミハイルごと路面へ叩きつけられた。その上今のダメージで減衰効果が完全に飽和し、一気に体温が奪われていく。
冷水を浴びせられたなどと生易しいものではない。全身を細い針で滅多刺しにされたかのような、痛みすら伴う冷気が突き刺さる。
「くっ、そ……ミハイル……」
数メートル離れた場所で倒れているミハイルに呼びかけても、返事はない。胸の上下から辛うじて生存だけは確認できた。≪リィンフォーサー≫は打撃を防いだのを最後に時間切れとなり、瑞葉との衝突をもって気絶したのだろう。
微かに安堵したのもつかの間。
「さっきので手札は尽きたのかな」
瑞葉の頭上から恐ろしく平坦な声が降り注いできた。
急激に言うことを聞かなくなった体に鞭打ち、全身に力を籠める。そこまでしてようやく、上半身と視線が僅かに上げる程度だ。それでも意地として、無表情で見下ろしてくるサイラムに刺し殺すような視線を向けた。
「まだ負けてないって言いたげだね。これ以上打つ手なんてなさそうなのに」
「……」
「また寒くなってきたな。エルナが張り切ってくれるのはいいけどさ。このままじゃ風邪を引きそうだよ」
放たれる言葉は終始薄っぺらく、中身のない空虚なものだった。
サイラムはその場にしゃがみ込むと、挙手するように腕を振り上げる。そのまま振り下ろせば、瑞葉は為す術もなく路面の染みになるだろう。
「それで。まだ続けるの。無駄な抵抗をしても苦しいだけだよ。どうでもいいけどさ」
「……っ」
瑞葉にできたのは、僅かに身じろぐことだけだった。心身共に消耗が大きすぎる。その場から転がって攻撃を回避するということすら出来ないほどに。
その姿に何の思うところもなさそうに、サイラムは躊躇いなく腕を振るった。
致命的な破壊をもたらす腕が、一切の防御を省かれた瑞葉へと迫り。
「それじゃあさようなら」
肉が飛び散った。
慮外の衝撃が体内で荒れ狂い、徹底的に壊し尽くす。砕けた骨。千切れた筋肉。潰れた内臓。人体そのものが水風船のように爆ぜ、中に詰まっていたものを飛散させる。
自らが引き起こした惨劇に対し、サイラムは微塵も感情の機微を見せない。人だったものが目も背けたくなるような屑肉と化す光景を、無表情に見下ろしていた。
首から下を失った頭部が、地へと落ちるその瞬間まで。
「はぁ、はぁっ……!」
極度の緊張から解き放たれ、いつの間にか呼吸を止めていた瑞葉は酸欠に喘いだ。冷え切った空気が肺に満ち咽そうになったが、息苦しさがかえって生を実感させる。
よろめきつつも何とか立ち上がり、改めて状況を確かめてみれば酷い有様だった。異様な丈夫さを見せていたサイラムの肉体は千々に裂け、広範囲にわたり散らばっている。一歩間違えれば瑞葉自身がこうなっていた。
命運を分けたのは二つ。
一つは、瑞葉がサイラムに最後の手札を明かしていなかったこと。
≪リフレクター≫という装置が存在する。その効果は単純明快で、入力されたベクトルを反転させるというもの。仕組みの単純さ故かなりの初期段階に開発され、終ぞ武装として実用化がなされなかった欠陥品である。
反転作用を持つフィールドが全身を包む点は≪アブゾーバー≫と同じだが、≪リフレクター≫は外部からの変化を例外なく全て反射してしまう。いくら息を吸おうと空気は取り込めず、光は網膜へ届く前に反射し使用者の視界は闇に閉ざされる。更には使用者から生じた力すら内側へと反ってしまうため、下手に身動きすら取れない始末。
防御性能は一級品だが、早期の掃討を目的とした場合には致命的な待ちが発生する。≪アブゾーバー≫が実用化されてからは次元兵器としての開発も完全に止まり、一部の設備に用いられるだけの技術と化していた。
瑞葉が≪リフレクター≫を所持していたのは、その使い道に心当たりがあったからだ。
起動中に一切の認識も動作も封じられるというのなら、起動している時間を最小にすればいい。持続力のない≪リィンフォーサー≫を少しでも継続して使えるよう、インパクトの瞬間にのみ起動しているように。
しかし今回瑞葉が利用したのは、≪リフレクター≫を欠陥武装たらしめる使用者への反射だった。サイラムの攻撃が直撃――彼の腕が瑞葉に触れた瞬間、彼自身に≪リフレクター≫を適用したのだ。
一瞬でもタイミングが遅れていたらそのまま潰されていた。サイラムが直接手を下そうとせず、遠距離からの攻撃を選択しても死んでいた。
とどめを刺しにサイラムが接近してきたこと。これがもう一つの勝因。
ただ天運に身を任せたわけではない。サイラムの能力についてある程度の推測を立てた上で勝算があるとは踏んでいた。
「賭けには違いなかったが……ぐっ」
身を苛む痛みと寒さに顔をしかめながら、瑞葉は考える。
この先に向かえば、寒波を生み出している元凶の転移者がいる。その人物はサイラムの発言を真に受けるのであれば、直接的な戦闘力を持たないらしい。近づく術さえあれば対処は可能なのだろう。ミハイルに貸与した≪リィンフォーサー≫を回収すれば進むことができる。
だがその間、ミハイルを寒波の中心にほど近いこの場へ置いていくことになる。瑞葉ですらかなり堪えているのいうのに、年老いた体で果たしていつまで耐えることができるのか。もし敵が瑞葉の想定よりも手ごわかった場合、それを討ち果たすまで彼が無事な保証はない。
「一度ミハイルを安全な場所に……いやしかし」
今もなお気温は下がり続けている。その勢いは先よりも激しさを増しており、このままでは屋内にも影響を及ぼしかねない。
進むか、戻るか。
どちらを選んでも犠牲は出るかもしれないし、出ないかもしれない。
一つ確かなのは、それを確定できるだけの力が瑞葉にはないということだった。
「選べというのか」
ない以上は選ぶしかないのだ。
全てを取ることができないからこそ、人は優先順位をつけるのだから。
何千人もの市民と、たった一人の従者の命。
「私は……私は……っ!」
揺れ動く天秤が傾いた先は――
「選ぶ必要なんてないよ。どうせ全員死ぬから」
――心臓を掴まれた。
それ自体は錯覚であったが。背後からその声が聞こえた時から、瑞葉の呼吸は数秒間確実に止まっていた。
「馬鹿な、ありえない……!」
間違いなく死んだはずだ。己自身の力を反射され、爆散したのをこの目で見た。あれで生きているわけがない。
そこには誰もいない。それが正しい現実だ。そうでなければおかしいではないか。
瑞葉は振り返る。
「久々だよ。ここまでダメージを負ったのは」
故にそれは、瑞葉の信じる現実を根底から否定するような。
理解を悉く拒絶する、悪夢めいた光景だった。
「なん、で」
何事もなかったかのようにそれは立っていた。路面に散らばった血肉は綺麗に消えてなくなり、本当に何もかもが夢か幻であったのかと疑った。
しかし、紛れもない現実だ。
この痛みと寒気が嘘ではないと叫んでいる。
今瑞葉の目の前にいる、この男は――
「何故貴様が生きている……サイラム・グラフ!!」
「何故と言われてもね」
悲鳴じみた問いかけに、サイラムは無表情なままおどけたように肩を竦めて見せた。
「死んでなかったからとしか言いようがない」
「戯言を! あんな有様で生きているわけがないだろう!?」
「普通の人間ならそうだろうね。でも生憎とぼくは普通じゃないから」
そう言ってサイラムは徐に自分の顔を手で覆い。
一切の躊躇もなく、頭の上半分を自ら握りつぶした。
「なっ――」
「こうして脳が潰れたら本来即死するわけだけど」
血と脳漿に塗れた手を揺らしながら、サイラムは平然と口を動かし続けていた。残った下半分の口腔に溜まった血が、喋るたびに音を立てて泡立つ。あまりにおぞましく、瑞葉は我知らず一歩後ずさった。
脳を無くした生物が、反射を除いてあそこまで動けるのだろうか。増してや明瞭に言葉を発するなど。
「定義からは少しずれるけど群体みたいなものかな。細胞の一つ一つが生き物として完結してるんだ。だから形を崩したくらいじゃ死なない」
「群体、だと」
知識としては瑞葉も知っていた。自然界には分裂した個体同士が分かれず機能分担し、あたかも一個の生物として振舞うものが存在する。
だがサイラムの場合は細胞ごとに決まった役割が存在していない。細胞一つが一個の存在として思考能力を有しているのだと彼は言う。
「細胞一つでも残っていればぼくは能力を使える。後は元の姿や形を存在に上書きすればこの通り。原理は≪タグストレージ≫が近いかな」
瑞葉が見ている中で、サイラムの頭部が元に戻った。
まばたきはしていない。遮るものもない。見逃す要素はなかった。
にもかかわらず、サイラムの頭が再生する瞬間を認識することができなかった。まるで最初からなかったことにされたかのように。
もはや治癒や再生という次元ではない。こと不死性という点において、サイラムは晴近すらをも凌駕していた。
「生き物を作り変えるのは次元兵器の真似事をするよりずっと容易い。生物的な構造を弄るだけだから」
つまりサイラムを殺すには、ただ肉体を損壊させるだけでは到底足りない。
細胞の一遍に至るまで滅殺しない限り、何度でも復活する。
「まともじゃない」
瑞葉は心の底から恐怖した。しかしそれは相手の怪物性に対してではない。
自らを怪物へと改造するに至った、サイラムの精神構造がこの上なく恐ろしかった。
「何故、そんな馬鹿げた真似を……人であることを捨てるなど!」
「おかしなことを言うね。ぼくら転移者は最初からまともじゃない。正真正銘怪物だ」
「違う! お前たち転移者は人間だ……人間、だろうが……!」
脳裏に浮かんだのは、やはり一人の少年の顔だった。
転移者の真相を知り、苦悩し。それでも未来へ向かっていくことを決意した彼の姿だった。
あれを人と呼ばずに何と呼べばいい。どれだけ本質が変異体へ近づこうとも、それは決して揺るがない。
「当事者でもないきみにはわからないよ。増してや世界の真実を知らない者には」
「世界の真実……それは一体――」
続く言葉は紡げなかった。
がくりと全身から力が抜け、瑞葉はその場に倒れ伏す。肺が悴んで深く息を吸えない。浅い呼吸を繰り返すばかりで、体に力が入らない。
「はっ、ぁ……な、にを……」
「別に何も。立ち話が過ぎたんじゃないかな。こんな寒空の下でさ」
サイラムに指摘され、瑞葉は再び己の迂闊さを思い知った。
特別なことは何もなかった。ただそこに立ち、淡々と問いかけに答える。
たったそれだけで、瑞葉は自滅したのだ。
本来なら生身の人間が意識を保つことすら難しい、極低温の世界によって。
「精神力で耐えるのも限界だったんだろうね。まぁ頑張った方だと思うよ」
勝敗を分けたのは両者の間に存在する生物的限界の差か。それとも瑞葉やミハイルが選択を誤ったのか。
どちらでもない。
最初から勝負などではなかったのだ。瑞葉たちにはサイラムを抹殺しうる手段が何一つとしてなかったのだから。
終わる。殺される。
薄れゆく思考の中で瑞葉は己の末路を確信するが。
「さてと」
サイラムは倒れた瑞葉を放置し、そのまま通り過ぎていく。
とどめを刺されなかったことに違和感を感じたのもつかの間。彼が向かう先に何があるかを思い出した途端、眠りかけた意識が発火した。
「ま、て……貴様、何を……!」
「優先順位の問題だよ。ぼくにとっても≪リィンフォーサー≫は天敵みたいだから。意識を取り戻す前に殺す」
「や、めろ……ミハイル……ミハイルっ!」
ミハイルへ必死に声をかけるが、目覚める兆しはない。這いずって追いすがろうにも、サイラムの歩みはそれより遥かに早い。
たった数メートルの距離が、瑞葉とミハイルを決定的に隔てる。
「やめて、くれ。頼む……やめて……」
掠れた懇願にも、サイラムは反応一つ返さない。ただ無表情に足元のミハイルを見下ろし、機械的に腕を振り上げる。
かけがえのない従者に確実な死が迫っているというのに、何もできることが無かった。無力感が視界を滲ませ、強く保ち続けていた心の芯が音を立ててひび割れていく。
もはや彼女に許されているのは、力なく声を上げることだけ。
「誰、か。誰か……ミハイルを、助けてくれ……!」
その声は、アクシスに存在する誰にも届くことはなかった。




