Chapter02-1 静かなる侵攻
『都市全域において異常な寒波が発生しています。市民の皆様は速やかに屋内へ避難し、外出を控えてください。』
エリカがシアと共にその警報を聞いたのは、昨日と同様エリカの研究室でシアに送った短刀型次元兵器の最終調整をちょうど終えたタイミングだった。
「寒波? まだ五月だよね」
シアは事態を把握できず首を傾げている一方、エリカは強い焦燥に駆られる。
今でこそアクシスは居住環境の整った都市の形をとっているが、元々は次元技術を研究するための広大な実験場であった。次元技術は非常に有用である反面、トラブルが発生した際の被害規模が予測できないという危険な側面もある。陸から離れた島にアクシスが建設されたのも、もしもの時の被害を最小限に抑えるためである。
現在では技術への理解が進み、そうそう都市全土へ影響を及ぼすような事故は早々発生しない。それでも万一に備え、あらゆるケースを想定した避難警報が当時のまま残されている。今回鳴ったのはその一つだ。
フューリーが不在の今、都市全域に影響する可能性がある実験は行われないだろう。そもそも予定があるならエリカが把握していないはずがなかった。
そして何より、変異体の出現を知らせる警報は一切鳴っていない。
つまり今報じられている寒波は、都市の人間でもなければ変異体によるものでもなく――
「よりによってこのタイミングで……シアちゃん来て!」
「え、な、なに!?」
「説明は後!」
目を白黒させるシアの手を引き、エリカは部屋を飛び出した。
警報の直後に展開した仮想ウィンドウには、都市全体の気温情報が表示されている。サーモグラフィーのように色分けされた都市の俯瞰図は、B区の中心付近に近づくほど気温が極度に低下しているのを示している。エリカたちのいる管理局周辺は一桁台に留まっているが、中心ではマイナス三〇度を下回っていた。
恐ろしいことに、この気温は今もなお少しずつ下がり続けている。身動きが取れなくなる前に、より安全な場所まで避難しなければならない。
「うわっ冷た!?」
「瑞葉さんの家を出た時はあんなに温かかったのに……」
空調の効いた研究棟から外へ出た途端、あまりの気温差に背筋が泡立った。
氷のように冷たく、乾ききった空気。事前にわかってはいたことだが、実際に体感するとやはり信じられないという気持ちが先行する。
立ち止まっている余裕なんてない。驚きで僅かに止まった足を再び動かし、エリカはシアを連れて駆け出す。
「どこに行くの!?」
「本棟の作戦室! あそこなら安全だし、情報も手に入りやすいから!」
セキュリティ面において管理局以上の場所はない。本棟に関しては直下にウロボロス機関がある都合上、外部からの攻撃に対しても絶対的な防御能力を持っている。それに加えて作戦室には《サードアイ》と連携した戦域把握システムがある。
とにかく迅速な対応が必要だ。身の安全が確保出来たら、早急に都市や仲間たちの状況を把握しなければならない。
逸る気持ちを抑えて、エリカはシアと共に都市の象徴たる塔を目指した。
エリカたちが作戦室へたどり着いた時、そこは無人ではなかった。
「ラッドさんに、フィーダさん? どうしてここに」
「俺たちは警報が聞こえたもんだから、つい反射的にこっちへ来ちまったんだが……そういやいつもの警報と違ったな?」
「ラッド先輩気づいてなかったんですか……まぁ久道さんたちいないとはいえ、いつ指示が来てもいいように射撃場から移動してきた感じですよ」
「そうですか……とにかく二人とも無事でよかったです」
理由はどうであれ、一つ手間が省けたのは純粋にありがたかった。
後は瑞葉たちに連絡を取れれば――そう思ったが。
「瑞葉さんたちはどうしたんだ? シアちゃんは一緒だったみたいだが」
「私とシアちゃんは研究室にいました。瑞葉姉さんたちは……わかりません」
「わからない? それなら無線をパパっと飛ばせば一発で……ありゃ?」
どうやら無線で連絡を取ろうとしたフィーダだったが、すぐに首を傾げてしまう。
エリカは理由に心当たりがあった。無線での連絡は既に試していたのだ。
フィーダの反応を見れば、自分と全く同じ結果になったのだろうと予想がつく。
「繋がらないんです。通常の通話もガーディアン用の無線も通じなくなっているんです」
「……本当だ。お兄ちゃんに通話が繋がらない」
「マジかよ、そんなことあんのか。生まれてこの方通話自体が繋がんなかったことなんて一度もねえぞ」
「もしかして例の寒波と何か関係が?」
「直接的な原因かどうかは別として、関係はあると思います」
都市を突如として襲った寒波に通信障害。全く同じタイミングで発生した二つの異変。どう考えても自然に起こるものではない。
これは意図的に引き起こされた災害だ。
更に踏み込んだ言い方をすれば、都市に対する明確な悪意を持った攻撃だ
変異体の仕業でもないのなら、他に可能な存在は一つしかいない。
「結論から言います」
これから話す事実は、恐らくラッドたちにとって受け入れがたいものだろう。エリカだって信じたくはない。これから始まる戦闘で少なからず枷となるかもしれない。
それでも、ここで認識を共有しなければ取り返しのつかないことになる。それだけは断固として回避しなければならない。
逡巡も僅か、エリカは一度引き結んだ口を開く。
「現在都市は攻撃を受けています。その実行犯は」
これが最初の戦いだ。それくらいの覚悟をもって、エリカは告げた。
「転移者。私たちと同じ、人間です」
作戦室内に沈黙が下りた。
誰一人として言葉を発さない。発することができない。突然告げられた突拍子もない事実を飲み込めず、喉に詰まらせているのが見て取れる。
飲み下すのを待ってやれる時間はなかった。
今のエリカにできることは、無理やりにでも流し込むことだけだ。
「変異体の出現は確認されておらず、ここまで被害が出るような次元技術の実験も行われていない。そうなれば、答えは一つしかありません」
「待て。いや、ちょっと待ってくれ」
畳みかけるようなエリカに、ラッドは困惑を隠せないまま言葉を発する。
「転移者って……じゃあ晴近みたいな能力を持った奴らが、都市に攻撃してきてるって言ってるのか」
「ひと月ほど前、ライセンスを持たない人間が都市に侵入していたのを母が確認しています。
混乱を避けるために一部の方にしか伝えていなかったようですが」
「で、でも《転移ゲート》周辺は警備ガチガチですよね? バレずに都市へ出るのは不可能だと思うんですけど」
「詳細は不明ですが、向こうには《転移ゲート》や《ブリンカー》に近い移動手段が存在しているようです。何もない路地で忽然と姿を消したそうですから」
「えぇ……そんなの反則ですよ」
がっくりと肩を落とすフィーダ。
外部からの攻撃に対する防衛機構として、最も強く働いているのが侵入経路の限定である。各国に設置された《転移ゲート》以外に都市を訪れる手段はない。
技術として再現可能な能力と言えど、それを容易に突破可能な空間移動の力は脅威だ。
「にしたってタイミング良すぎるだろ。主力が軒並みいない時に攻め込んでくるとか、こっちの予定が全部漏れてたのか?」
「母が東京の訪問を決定したのは出発当日でした。これだけ大規模な攻撃を行うには、かなり綿密な計画が必要なはずです」
「仮に情報が漏れてたとしても、普通一日二日じゃ無理ですよねぇ」
「だからこそこのタイミングでの襲撃が不可解ではあるんですが……今は対処を優先します」
エリカはコンソールの前まで移動し、壁一面を覆うモニター群へ視線を走らせる。
幸いにも《サードアイ》の映像は平常通りに受信できるらしく、各地域の様子は不足なくモニターに映し出されている。
真っ先に探したのは通信妨害の発生源だ。異常な寒波も早急に対処するべきではあるが、中央に向かうほど極端に下がる気温へ対処するには今のメンバーでは心許ない。都市に働いている《アブゾーバー》の出力は個人携行型よりも遥かに強力だ。今の気温低下のペースであればまだ余裕はあると踏んでいた。
コンソールを操作し、表示情報を切り替える。都市全体の電波状況を可視化し、地図上へと反映。あらゆる種類の電波が飛び交っている中、干渉を受けているものを探した。
「メッセージに無線に遠距離通信……やっぱり連絡を取るための手段をピンポイントで妨害してる」
「な、何かわかりそう?」
「うん。無差別ならともかく、ここまで狙い撃ちされているなら辿りやすい」
妨害電波の発生源を特定するのには五分とかからなかった。
恐らく隠す気は毛頭なかったのだろう。発生源と思しき装置は外気に晒される形で外に放置されており、《サードアイ》からも直接視認できたからだ。
問題はその置いてある場所だった。
「F区の発電区画……また面倒な場所に」
「あの迷路みてぇに入り組んだとこか。久道さんがいりゃ《ブリンカー》で一発だが……俺が行ってくるか? 空飛んでけば地形関係ないし、ぶっ壊すだけでいいならできるぜ」
「……」
ラッドの申し出はもっともだが、エリカはふと考える。
妨害装置があるのは行きづらい場所とは言え、歩いていけば普通にたどり着ける。ここまでの攻撃を計画した敵が、果たしてこうも簡単に対処されるような妨害をするだろうか。
もし装置に爆弾でも仕掛けられていた場合、ラッドの手には余るかもしれない。安全な遠距離から破壊する手段に富んだフィーダを送り出すのが最善か。
そう考え、エリカは口を開きかけたが。
『倉庫区画付近にて侵入者を発見。警備班は現場へ急行してください』
再び鳴り響いた警報がそれを邪魔した。
「次から次へと……今度は何!?」
苛立ち交じりにエリカは管理局内の監視カメラ映像をモニターへ映す。
倉庫区画に近いカメラの一つに映っているのは、目を見張るような大男だった。見かけはミハイルよりも更に年を重ねた老人ではあるが、コート越しにもわかるほどに恵まれた体格からは衰えというものが一切見られない。自宅の庭であるかのような悠然とした歩みからも、男の己に対する自信を感じる。
だが、何よりも顕著だったのはフィーダの反応だった。
「あれヤバい」
「え?」
「今すぐ警備班を下がらせてください! 皆殺しにされますよ!」
モニターに映った男を見るなり、焦りだしたフィーダがそう叫んだ。
しかし僅かな逡巡の間に、警備の者たちが続々と現場へと到着してしまう。無線は妨害されていて使えない。咄嗟の判断でエリカはコンソールから内線を起動し。
「全員退却してください! 相手は次元兵器を――」
それでも遅かった。
否、相手が速過ぎたのだ。
駆けつけた一二人が、殆ど同じタイミングで糸が切れた人形のように崩れ落ちる。地に伏した体は自らが作り出す血だまりへと沈んでいき、ピクリとも動かない。バイタルサインを確認するまでもなく、即死だった。
惨状を作り出した男はいつの間にか抜いていた二挺の拳銃をホルスターへと収め、再び歩き出す。彼が足を止めていた時間は、僅か五秒にも満たなかった。
あまりの光景に誰もが言葉を発せないでいた。特にシアは血を見てしまったせいか酷く青ざめている。
気を使って映像を止めるべきなのだろうが、エリカはそれどころではなかった。男の進行方向から、敵の目的に思い当ってしまったからだ。
「一番倉庫に向かってる……狙いは《転移ゲート》か!」
「《転移ゲート》? 何でそんなもんを」
「あれは都市に入る手段であると同時に出る手段でもあるんです! このままゲートを抑えられたら救援も来れない上に脱出も封じられます!」
「おいおい、それって滅茶苦茶ヤバいんじゃないのか!?」
滅茶苦茶ヤバいなんてものではない。
退路を断たれるのも不味いが、何よりも不味いのは東京に向かったフューリーたちが戻ってこれなくなることだ。
転移者を相手取るには、次元兵器で装備したガーディアンで最低限だ。都市に残った四人の内、瑞葉とミハイルは連絡が取れない状況。戦闘能力を鑑みれば、実質的に動かせるのはフィーダだけ。
寒波を後回しにしたとしても、対処できるのはゲートか通信妨害のどちらか一つ。
――本当に?
そこまで思考したところで、エリカの脳内に一つの考えが浮かんだ。
「フィーダさんには《転移ゲート》の防衛をお願いします」
「あれ相手にですか? まぁラッド先輩には色んな意味で荷が重そうですし、やるだけやってみますけど……F区の方はどうするんです?」
「F区には私とラッドさんが行きます」
「エリカちゃんも!?」
「そりゃ無茶だろ!」
ある意味予想通りの反応が返ってきた。ガーディアンでもない、自分のような子供が危険だとわかっている場所へ向かおうと言うのだから。
「もしも何か仕掛けられていた場合、安易に破壊するのは危険かもしれません。私なら大抵の装置であれば解体できます」
「確かにそうだが……我ながら情けない話だけど、やばい状況になっても守ってやれる余裕はないぞ」
「大丈夫です。これでも父から指導を受けてますので、自衛くらいなら」
加えて、あえては言わないがエリカはあの久道秀一の娘だ。肉体的なポテンシャルは鍛え抜かれた瑞葉に僅か劣る程度であり、ラッドよりは当然高い。
不安があるとすれば、実戦経験ではこの場の誰よりも劣るということだろうか。無論シアを除いてではあるが。
「危険は承知の上です。それでも、この状況で戦力を遊ばせている余裕はありません」
《転移ゲート》を守る。通信を回復させる。都市を襲う寒波を取り除く。
やらなければいけないことは多く、時間は限られている。
一刻も早く行動を起こさなければならない。
己に喝を入れる意味も込めて、エリカは言い放つ。
「これは都市の防衛を任された私たちの役目です。皆さん、最善を尽くしましょう」
◇
エリカたちが行動を開始する一方で、瑞葉たちも独自に動き出していた。
耳慣れない警報に通信の途絶。かねてより懸念していた、都市外部の人間による攻撃であると思い至るのにそう時間はいらなかった。
瑞葉が真っ先に対処すべきと判断したのは、都市を覆いつくす寒波だ。多少の設備があるとはいえ自宅で得られる情報は少なかったが、気温の分布から中心がどこであるかは即座に判断できたからだ。連絡のつかない状況であっても、エリカたちの方でも動きがあれば合流できる可能性もある。
「この辺りからまた一段と寒くなってきているな……ミハイル、《アブゾーバー》の出力は落とすなよ」
「はっ!」
寒波の発生源へ向けて都市を駆ける二人に、容赦のない冷気が突き刺さる。最大出力で《アブゾーバー》を起動してなお、肌寒さを感じているのだ。生身であればとっくに動けなくなっていたに違いない。
A区とB区の境を超えたあたりだが、これ以上近づけば更に気温が下がっていく。そうなってくると、もはや《アブゾーバー》すら約に立たなくなってしまう。
今のペースであればあと数分程度でたどりつくだろう。その前に瑞葉はミハイルへの指示を済ませる。
「中央付近まで差し掛かったら私だけで行く。ミハイルは管理局へ向かって他のガーディアンたちと合流しろ」
「……ご武運を」
普段のミハイルであれば間髪入れず拒絶する命令だが、彼は苦渋の表情で了承した。
自分のような老体。増してや《アブゾーバー》も通用しない極限環境では主の助けになどなれないと重々理解しているのだ。
先へ進めるのは短時間とはいえあらゆる干渉を無視できる、《リィンフォーサー》の使い手である瑞葉をおいて他にいないのだと。
しかし理性ではわかっていても、感情が受け入れられないことなど多々ある。
従者を安心させ、己を鼓舞するためにも瑞葉は気丈に振舞う。
「さぁもう一段速度を上げるぞ。こんな問題さっさと解決して昨日のリベンジを――」
「それは困るな」
――完全に勘だった。
声をかける余裕もなく、瑞葉は並走するミハイルに速度も落とさず飛びついた。諸共にバランスを崩して景色が回る中、背中のすぐ後ろを強烈な圧を伴った何かが横切る感覚。
地に体が着いた途端、強烈な衝撃が路面を伝わってくる。まるで巨人が地団駄を踏んだかのような激しい揺れだ。これが都市の《アブゾーバー》の影響下で発生したと理解した途端、背筋に氷柱を差し込まれたかのような怖気が瑞葉の全身を駆け巡った。
「あんまり平気な顔で近づかれると困るんだよね。エルナは直接的な戦闘力ないからさ。ぼくにあるかと言われたら微妙なとこだけど」
その男は金属製の路面に深々と突き刺さった足を引き抜きながら、一切波立たない声でつらつらと独白している。
感情。表情。外見的特徴。個人を特定するのに必要なあらゆる要素を徹底的にそぎ落としたかのような人間だった。一度でも目を離せば人相を思い出せなくなるような、不気味な程の無個性。
しかもそれは生身では命の危険すらある低温の中、涼しい顔をしている。見たところ特別な装備をしている様子もない。
怪物――そんな言葉が瑞葉の脳裏を過った。
「お前は、何なんだ」
起き上がりながら瑞葉は振り絞るように尋ねた。
何者かと問えなかったのは、あまりに相手が人間だと思えなかったからだ。
当人は気分を害した様子もなく、抑揚のない返事をしてきた。
「サイラム・グラフ。でもぼくの名前とか別にどうでもいいよね。どちらかというとぼくが転移者だって情報の方が重要かな。ぼくにとってはどっちもどうでもいいんだけど」
「転移者……一体何のつもりで都市を攻撃している! 何が目的だ!?」
「そんなことどうでもいいでしょ。だってさ」
サイラムがスッと手を上げる。
まるで合図のような所作をした、その直後。
「キミたち二人ともここで死ぬんだから」
呼びかけに応えるが如く、物陰から何体もの変異体が姿を現した。
咆哮することもなく、ただ粛々と。




