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次元都市アクシス  作者: 七夜
04 運命の交叉路
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Chapter01-3

 ――常在戦場。

 瑞葉・ベイカーは日々生きていく上で、常にこの四文字を心の奥底に刻み込んでいる。

 実際に命のやり取りをしているが故に、その覚悟は本物だ。瑞葉はあらゆる事柄に対して妥協せず、油断せず、努力を惜しまない。捧げるのはいつだって全力の己自身である。

 最善を尽くしたならば、如何なる結果になろうと価値が生まれる。勝利は勿論のこと、敗北ですら自らを成長させるための糧となる。挑戦にこそ意義があると瑞葉は信じている。

 だからこそ、思うのだ――


「私、頑張ったよな」

「そう、ですな……」

 己が作り出した惨事を前に自らへ言い聞かせる瑞葉の傍ら、憔悴しきったミハイルから弱々しい声が漏れ出た。


 ベイカー邸の厨房は正に戦場跡地のような有様を晒していた。調理道具や材料が散乱し、オーブンからは黒い煙。十人中十人が「どうしてこうなった」と口を揃えるだろう光景が瑞葉の目の前に広がっている。

 これがたったの三〇分で引き起こされた惨劇だと誰が信じられるだろうか。他でもない、引き起こした元凶である瑞葉自身が信じたくなかった。

「はっ、もしかしてこれは夢なのでは?」

「現実です。紛れもなく現実ですお嬢様」

「即答か……流石だな」

 ミハイルは他人に優しい男だが、決して甘くはない。相手が長年連れ添った主人であっても現実逃避は許さないのだ。

 覚悟を決めた瑞葉は、現状の把握と反省を行うことにした。

「被害状況を」

「砂糖一キロ及び小麦粉二キロを焼失し、バター六〇〇グラムは蒸発。オーブンは五基中三基が暴発し、内一基は再起不能。その他調理器具多数が破損しております」

「今日の夕食に支障は?」

「ありません」

「ならばよし」

 いや何もよくないが。

 内心セルフツッコミを入れつつ、瑞葉は息を吐いた。

 自惚れ抜きにしても、自分は優秀な人材であると瑞葉は自負している。ベイカー家の次期当主として幼い頃から勉学に励み、精神修行としての武道も高いレベルで修め。ガーディアンとしての活動を経て、市民たちからの評判も明るい。


 しかし……料理だけはできなかった。


 敗北のない人生などとは言わない。だが少なくとも挫折のたびに努力と研鑽を重ね、立ちはだかる壁を一つ一つ乗り越えてきた。その度に一つ上の自分になれたという確かな自信が瑞葉にはあったのだ。


 なのに……料理だけはできなかった。


 家族をもってして「向上心の化身」とすら恐れられた瑞葉が諦めるはずもない。ミハイルを始めとした執事やメイドは勿論、時には外部の料理人を講師として呼んだ。巷に溢れる調理本を片っ端から読み解き、幾度となくイメージトレーニングも重ねたのだが。

 

 やはり……料理だけはできなかった。

 できなかったのだ。

 流石の瑞葉も凹みに凹んだ。かつてない敗北感に打ちひしがれ、数日間は死んだように生きていた気がする。

 幸いなことに、瑞葉は立ち直りが早いことに定評があった。何度か寝て起きた頃には「まぁそんなこともある」と受け入れた。

 それからというもの、料理に対しては昔ほどの我武者羅な取り組みは無くなった。多少の諦めも肝心なのだと学んだのだ。

 ふと思い立ったように手を出すことはあるが、そういう時は大抵別の悩み事に対して気を紛らわすためであったりする。今回もその例には漏れていなかった。

「取り合えず片付けるとしよう。このままでは厨房が使えないからな」

「えぇ。そういえば、片付けながらで宜しいのですがあの件についてお話を伺っても?」

「……本当に流石だな、ミハイル」

「伊達にお嬢様の執事は務めておりません故」

 逃げを許さない姿勢に、さしもの瑞葉も感服せざるを得ない。

 へし曲がった泡だて器をダストボックスへ放り込み、投了の意を示した。

「見合いの件なら断った。心苦しくはあったがな」

「これはまた……旦那様もさぞお嘆きでしたでしょうに」

「仕方がないだろう! 今はまだ結婚なんてする気にはなれないんだ」

 大きな声を上げてから、瑞葉は料理が失敗した時以上のため息を吐いた。


 瑞葉には兄弟がいない。そもそも両親は中々子宝に恵まれず、長年に渡る不妊治療の末に生まれたのが瑞葉だった。父と母の年齢や体力を考慮すると、新たに子供を迎えるのは難しかったと言える。

 よって瑞葉が家督を継ぐことは殆ど義務に等しいことだった。

 性別の問題は無かった。今時当主が女性であることなど珍しくもない。本人の意思にも問題は無かった。家を継ぎ更なる繁栄をもたらすことは瑞葉にとっても本意である。

 問題なのはその後――つまりは跡継ぎだった。

 女性当主である以上、瑞葉は婿を取らなければならない。ベイカー家の婿ともなればそれなりの格が求められ、両親が持ってくる縁談の相手も財界で聞かないことはない名ばかりだ。見てくれも平均以上であることは認めるのだが。

 全ての縁談を断り続けているのは、結局のところ瑞葉の我が侭に他ならなかった。

「お嬢様も今年で二二歳でございましょう。そろそろ真剣にお考えしてみては?」

「……私はまだガーディアンを辞めるつもりはない」

 家族への負い目が、返答に若干の遅れをもたらした。

 現在の当主は瑞葉の父親だが、彼は妻共々研究者としての役割が重い。実質的な家業を取り持っているのは、既に老境に入って久しい祖父だ。本来ならばとっくの昔に瑞葉がその役目を継いでいるべきなのだが、これも偏に前線で戦い続けたい彼女の意を汲んでくれているからこそである。

 今でこそ年を感じさせない辣腕を振るっている祖父だが、それがいつまでも続くものではないことくらい理解している。両親だってこのご時世、死ぬ前に孫の顔は見たいだろう。

 責務として以外に、安心させるという意味でも結婚すべきだとわかってはいるのだ。

 それでも理想を捨てられない自分が――妥協を許さない性分が立ちはだかってくる。

「『自分よりも強い相手でなければならない』でございましたか……お嬢様の求める水準は、少々高すぎるのではないかと」

「うぅ……やはりそうなのだろうか」

「人生の半分以上を自宅で過ごす御曹司たちに戦闘力を求めるのは酷でございましょう」

「もう贅沢は言わないから、せめて肩を並べられる程度の実力は欲しい。あとあわよくば年上がいい」

「充分贅沢なのでは?」

 結局のところ、まだ結婚したくないという根本的な部分の解決が出来ていないのでこの手の論争はキリがない。

 流れを切り替えるべく、返す刀で瑞葉は切り出した。

「ミハイルこそ今年で五八だろう。いい加減引退を考えてもいい頃合いじゃないか?」

「おっと……これは藪から蛇でございますな」

 痛いところをつかれたとばかりにミハイルは苦笑する。本人は冗談めかしているが、これに関しては瑞葉にとって冗談抜きでの懸念事項だった。

 いくら鍛えているとはいえ、還暦近いミハイルがこれ以上ガーディアンとして戦い続けるのは厳しいだろう。入隊した四年前の時点で《アクセラレーター》を用いた高速戦闘に体が追い付かず、《マスハンドラー》による待ちを主体とした戦闘スタイルにならざるを得なかった。

 年々戦闘後の疲労が抜けるのに時間がかかっている。本人はおくびにも出さないが、瑞葉にはお見通しだ。そう遠くない内に戦うこと自体が困難になるだろう。

 引退を勧めるのも今回が初めてではないが、返ってくるのはいつでも同じ答えだった。

「魅力的な提案ではございますが、主を差し置いて隠居と洒落こむわけには。お嬢様が戦場に立ち続けるとおっしゃるのであれば、私も共に参りましょう」

「……」

 こう返されてしまうと、瑞葉としては閉口するしかない。

 実のところ、瑞葉の我が侭が通っているのはミハイルが一役買っている。二人は主従の関係でありながら旧友でもあり、彼が祖父に口添えしてくれているからこそ瑞葉の自由が許されていると言っても過言ではなかった。

「……やめよう。不毛だ」

「で、ございますね」

 最近頻度は増えたものの、こういった会話は何度も行われてきた。

 そして今回も決着はつかず、ひとまずの休戦に至るのである。

 厨房の片づけを続けつつ、瑞葉は話題の転換を試みた。

 幸か不幸か、シアがこの場にいない今ならより踏み込んだ内容に触れられる。

「ところで、朝に話していた件の続きだが……」

「統率された変異体の件でございますか?」

 皆まで言わずとも、瑞葉が言わんとしたことをミハイルは察したようだった。

 変異体の不可解な行動と聞き、一般人であれば「そんなこともあるのか」と単純に事実を受け止めるだろう。研究者ならば「何故そうなったのか」と興味を示すかもしれない。

 だが知らされている情報量の差から、瑞葉たち全く異なる感想を抱いた。


「これで二度目だな。脳を持たない変異体が表れたのは」


 一度目は一か月前。

 晴近によって討ち果たされた巨大変異体『スルト』の類似個体。

 その死骸からは脳の存在を確認できなかった。そもそも遺伝子自体が本物とはかけ離れた、完全な別個体だったらしい。見た目も能力もほぼ同一であるにもかかわらずだ。

 二度目は昨日。

 東京にて出現した、『迅龍隊』に対して作戦的な攻撃を行ったという個体群。

 晴近たちは知る由もないが、これらの死骸もその日の夜にフューリーらによる解剖が行われていた。《ブリンカー》を使えば移動にかかる時間はなく、簡単な検証であれば彼女なら一時間もかからない。

 結論から言えば、東京の変異体にも脳が存在していなかったのだ。二〇体近くいた変異体全てにだ。

 ここから導かれるのはあまりにも荒唐無稽な推論だった。

「人為的に造られたか、脳を抜き取られた変異体である可能性……フューリー殿はそう言っていたが」

「到底信じられる話ではございません。ですが仮に事実だとすれば、あまりにも度し難い」

 ミハイルの言葉には僅かに力が籠っていた。抑えきれない感情が漏れ出したのだとすれば、彼が内心抱いている怒りの強さはどれほどのものか。

 斯くいう瑞葉自身、昨晩この話をフューリーから聞いたときは負けじと劣らず怒り心頭だった。

 都市や東京に変異体をけしかけた人間がいるかもしれないことだけではない。変異体について裏の事情を知っていれば、それが極めて生命を侮辱する行為であることは明確だった。

 一晩経って頭が冷えたからこそ、こうして冷静に話していられるのだ。

「戦闘記録も確認したそうだが、奴らは襲ってくる最中すら鳴き声一つ上げなかったらしい。発声器官自体は存在していたのにな」

「それ以前に脳がないのであれば、鳴き声どころか生命活動すら本来不可能……まさか遠隔操作されていたとでも?」

「ありえない話ではない。人造……或いは手を加えられた変異体という前提で考えれば、作った人間が都合よく操作できてもいいはずだ」

 具体的にどうやって操作をしていたかは不明だ。

 それでも一部の変異体や晴近が超能力じみた力をふるっている姿を何度も見た後では、大体のことはどうにかなってしまうんじゃないかと思えてしまう。

 思考停止もいいところだが、学者でない瑞葉にとって大事なのは何故そうなっているかではなく、如何にして対処するかだ。

 何にしても、今は情報が少なすぎる。

「このことについては、秀一殿らが帰ってきてから詳細を詰めるべきか。都市の防衛にもかかわってくる」

「それが宜しいかと。予定通りであれば明後日にはご帰還されるようでございますし」

「そうだな。今は片付けに集中を――」

 焦がしてしまったクッキーの成れの果てを処分しようと、シンクで水につけていた鉄板に手を伸ばした瑞葉は……絶句した。


 ――増えてる。


「ミ、ミハイル……」

「どうかなさいましたかお嬢さ、ま……?」

 戦慄くような瑞葉の呼びかけに振り返ったミハイルすら、あまりにあんまりな光景に持っていた箒を取り落とした。

 炭と言うには光を飲み込み過ぎているような、エリカ的表現をするならば「ダークマター」とでも呼ぶべき物質が、シンクを満たすだけでは飽き足らず床まで零れ落ちている。

 しかも今もなお増殖を続けていた。物質特性としては吸水性ポリマーに近いのだろうかと、半ば逃避気味に考え、いやいやと己にツッコむ。

 何でクッキー焼いただけでそうなる。そうはならんだろ。

 滅多に冷静さを失うことはない瑞葉だったが、これを自らの手で生み出してしまったという事実が精神的にかなり効いた結果、流石に平静を保てなかった。

「うわああ何だこれ! まさか水を吸って増えてるのか? 水止めれば止まるか!?」

「とは言えセンサー部が完全に覆われてしまっていますが……」

 恐る恐るといった様子でシンクへと近づき、蛇口上部のセンサーへと手を伸ばすミハイル。

 しかしその腕ごと飲み込まんと暗黒物質が蠢き、素早く手を引っ込めた。

「……」

「ぐ、偶然だろう。たまたま手を近づけた方向に増殖しただけで……」

「えぇ、如何にお嬢様と言えど料理の失敗で生命を生み出すなど……」

「バターと砂糖と小麦粉から命が生まれるわけがないな! ははははは!!」

 増え続ける暗黒物質を前にして、瑞葉の捨て鉢な笑い声が厨房内に響きわたる。

 最終的に生み出したものの責任ということで、瑞葉が片付けることになった。

 念のため《リインフォーサー》を起動して触ったが、捕食されることはなかった。当たり前である。

 ただほんのり生温かったような気がしたが……きっと気の迷いだろう。そうに違いないと瑞葉は自らにそう言い聞かせ、暗黒物質をそっとダストシュートへ放り込んだ。

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