Chapter01-2
ズシリ、と。
両手に圧し掛かってくる重量に、ラッド・マイヤーズは思わず息を呑む。握った鉄の冷たさに体温を奪われていくような心地になり、全身に小さく震えが走るのを感じた。
何の変哲もない自動拳銃。特別なギミックも何もない、都市においては旧式と言っても差し支えない武器。しかしそれが指を一本軽く動かすだけで人の命を奪う代物である事実に変わりはなく、自分がそれを手にしている違和感が心を波立たせる。
己の鼓動と呼吸しか聞こえない静寂の中、遠くの方でブザーのような音と共に立ち上がる人影。ラッドは反射的に銃を構えた。想定外の重さに腕の持ち上がりがやや遅れ、焦燥に駆られるまま引き金を引く。
「っ……!」
手のひらから肩まで抜けていく衝撃。骨の芯から広がっていく痺れに顔をしかめながら、更に指を動かす。二回、三回――銃口が跳ね上がるのを必死に抑えつけ、三度に渡り乾いた銃声を響かせる。
床を跳ねる空薬莢には目もくれず、ラッドは己がもたらした結果を確かめるべく硝煙の向こう側を凝視した。だが目標にピントが合うより早く、結果を告げるアナウンスが流れる。
『ターゲットに全弾命中』
「よし!」
期待以上の戦果にラッドは手をぐっと握り――
「いやーダメダメですね。二〇点」
「ひっくぅ!?」
想定以上の手厳しい評価が飛んできて、ラッドは危うくその場で転倒しそうになった。
よろめきつつ振り返ってみれば、物凄く駄目なものを見るような眼をしたフィーダが腕組み立っている。
いくら何でもあんまりだと、ラッドは食い下がることにした。
「こちとら初心者だぞ。あの距離で的に全部当たったんだから及第点でいいだろ!」
「着弾位置がバラけすぎなんですよねぇ。二〇メートルしか離れてないんだし、頭とは言わずともせめて一か所に当てて欲しいです」
「無茶言うなって……一発だけならともかく三連射じゃ反動抑えるので精いっぱいだっての」
「抑えるのに必死過ぎて逆に下へ銃口振り回してるんですよ。ほら、段々下の方に向かってるでしょ? そもそも腕が棒なんですよね。もっと肘と手首を使って柔らかく衝撃を逃がしていかないとー」
矢継早に放たれる駄目だし。三連射で一点を狙えなど、銃を握って間もない人間に対してあまりにスパルタすぎる。
しかもたちが悪いことに、シアは自分の要求が高いなどと微塵も思っていないのだ。
「そんなに難しいかなぁ……いいですか? こうして――」
ラッドの隣に立ったフィーダがホルスターからハンドガンを抜くなり、機関銃の如く連なった発砲音が鳴り響いた。辛うじて判別できた回数はきっちり三回。いわゆる三点バーストと呼ばれる、ワントリガーで三発の弾を連射する機能だ。
当然反動も相応に強くなり、まともに狙いをつけられるものではないが。
『ターゲットに全弾命中』
「こんな感じです。ね、簡単でしょ?」
「できるわけねーだろ!」
「えぇ~」
顔面の真ん中に大穴を穿たれた人型の的を見て、ラッドは戦慄する。
弾丸が一発当たっただけではああならない。三発が殆ど同じ位置に当たったことで穴が広げられたのだ。それも抜き撃ちに近い状態で。もはや人間業じゃない。
やってのけた当人は事も無げに銃を仕舞い、苦言を呈するラッドに不服そうな表情をした。
「ラッド先輩は体が硬すぎるんですよ。運動できそうな見た目してるけど、どちらかというと運動音痴ですよね」
「うっ、人が地味に気にしていることを……」
「まー仕方ないんじゃないですかね? 都市暮らしじゃ日常的に運動なんてしませんし」
「実際それはある。運動神経以前に基礎体力のなさがなぁ」
晴近と久道の朝練に飛び入り参加した時は、終わる頃には完全にへばってしまっていた。一週間ほど前まで同じ一般人だった当時の晴近にすら体力負けしていたのだから、どんだけ貧弱なんだとラッドは相当凹んだ。
あれ以来、走り込みや筋トレなど自分なりに体力増強には励んでいる。前ほど疲れを後日に引きずらなくなってきているので、一定の成果は出ていると信じたい。
肝心な戦闘技術に関しては時間がある時に色んな人からレクチャーを受けている。幸いにもガーディアンの人材は幅広く、変異体さえ出なければ基本暇なので機会は多い。久道には晴近と共に剣術の基礎を教わり、瑞葉とミハイルからは格闘術。ノインには狙撃のイロハについて小一時間に渡り知識を詰め込まれた。
今日は管理局の訓練場内にある射撃場にて、フィーダから銃火器の扱いを学んでいる。ラッドとしては手っ取り早く敵を倒せる手段としてある意味本命だったのだが、当の教師役があまりに天才肌でとても困っていた。
「とりあえず、もうちょい基礎的な部分から教えてくれ。構え方とかも正しくできてるのかいまいち自信ねえし」
「仕方ないですねぇ。ちょっとさっきみたいにスタンス取ってくれます?」
「こうか?」
一番初めにフィーダが手本として見せた構えを思い出しつつ、ラッドは体の前に銃を突き出しつつ体勢を整える。
姿勢があらかた固まった時点で、フィーダがさっと身を寄せてきた。
「ちょっ!?」
「やっぱり腕が伸びすぎですね。伸ばしきるんじゃなくて気持ち曲げるようにして……重心はもっと前寄りにしましょうか」
急な接近にビビる中、フィーダは構うことなく次々とラッドの体に触れて構えに修正を加えていく。その手際は良く、あれよあれよと手本通りの自然な構えに直されていく。
しかし、ラッドはそれどころではなかった。
――当たってる。何か柔らかいものが当たってる!
正面から密着されているため、都市が誇るフィーダの凶器じみた胸部が二人の体の間で押しつぶれている。当のフィーダはと言えば全く気にした様子もなく、ラッドの姿勢を直すことに注力している。
「ちょっとラッド先輩、体ガチガチじゃないですか。もっと力抜いてくださいよー」
「おま、人の気も知らんで……!」
健全な一八歳男児たるラッドとしては、これ以上の接触はマズイという確信があった。
このままでは固くなるのが体だけでは済まなくなってしまう。流石にそれは最低すぎる。ていうかバレたら社会的に死ぬ。天国のような感触を享受したまま地獄に叩き落されてしまう。
かといって下手に動けば姿勢矯正のためにより一層くっ付かれる可能性が高い。
あれ、詰んでね?
早々に万策尽き、柔らかな破滅を受け入れかけていたその時。
「いやはや青春だね」
「あ、ジークさん」
唐突に背後から聞こえてきた声にフィーダは振り返った。その際にパッと体が離れ、ラッドはホッとしたのと同時に少しだけ残念な気分になる。複雑な男心なのだ。
二人の後ろにいたのは、どこかで見たような銀髪が特徴的な背の高い男性だった。年齢は三〇の半ば程だが、フューリーほどではないにせよ若々しい。一方で足が悪いのか杖をついており、歩く際の足音も左右で僅かに異なっている。
無表情な娘とは対照的に、ジーク・クラッツァはにこやかな表情をラッドに向けてきた。
「男冥利に尽きる状況だ。ラッドは今全世界の男子を敵に回しているに違いない」
「爽やかな顔で変なこと言うのやめてもらえます? 銃の撃ち方教わってるだけなんで……」
「それはそれは……フィーダが教師役だと色々大変だろう。色々と」
「だからいちいち含みのある言い方するのやめてもらえませんかね!?」
ジークはノインとよく似ているのに、その性格は随分と違う。軍人の如く実直な娘に対し、父親の彼はどこか飄々としている。少年の心を失っていないと言えば聞こえはいいが、実像は悪ガキと表現した方が近いかもしれない。これは実際にノイン自身がジークのことをそう評しているのを聞いた。
彼女曰く、「戦場で笑えない冗談を言って一人で笑ってるタイプの軍人」らしい。
「珍しいですねー、ジークさんが射撃場に来るなんて」
「名目上は管理人だし、たまにはね。ここは何から何まで自動化されてるから正直仕事なんてないわけだけど」
「じゃあ普段はなにしてるんすか?」
「家で寝てる。……冗談だ、そんなごくつぶしを見るような目をしないでくれ」
「いやそこまでは」
若干引いたのは確かだったが。
ジークは特に気にした様子もなく、今度は真面目に答える。
「やっていることと言えば、EU側と連絡や交渉をする際の窓口かな。どちらかというとこっちが本職かもしれない」
「へぇー、そんなことしてたんですね。わたしにはそういう話一切来ませんけど」
「フィーダは腹芸が出来ないからね。まぁ、在宅で間に合う仕事なのは助かるよ。何せ、脚がこんなだし」
そう言って彼は手にした杖で自らの左脚を軽く叩いて見せる。ズボンの内側がどうなっているのかは伺えないが、返ってくる音は明らかに金属のそれだ。
四年前に変異体との戦いで左脚を失い、軍を引退して都市に拠点を移してからもずっと義足を着けて暮らしているらしい。
「その脚、治す気はないんすか?」
ノインにジークの話を聞いて以来、ラッドは疑問でしかなかった。
現代の、特に都市の再生医療ならば、完全に失われた手足や内臓を取り戻すことだって可能だ。施術は高額だが、管理局勤めのジークなら払えないことはないだろう。何だったら高給取りのノインだっている。
少なくともラッドなら迷うことなく治すことを選ぶのだが、ジークは僅かな時間をおいて静かに首を横に振った。
「必要ないさ。短い距離なら杖を使わなくても歩けるし、何より見た目がかっこいい」
「そ、そんなもんっすかね……」
「あぁ。後はそうだな、流石に懲りた」
「懲りた?」
「脚を食われて帰った日、初めて娘に泣かれてしまってね。僕が無茶をしてしまうのは性分だから……五体満足でないくらいが丁度いい」
思わぬ返答に、ラッドは返す言葉が見つからなかった。
そうしている間にも、ジークは自らの言葉を証明するかの如く軽やかに踵を返して見せ。
「施設に不調はなさそうだし、後は若い二人に任せるとするか。お邪魔虫は早急に退散するとしよう」
「あ、あの……何というか、すんません」
「別に気にしてはいないさ。ただ、娘には内緒にしておいてくれよ? 泣いたことを口外したとバレたら殺される」
辛うじて出てきた謝罪を鷹揚に受け取りつつ、ジークが射撃場を去っていく。
彼の背中が見えなくなった段階で、ラッドは深く深くため息をついた。
今更になって自己嫌悪の念が押し寄せてくる。どう考えてもデリケートな話題なのに、どうして不躾に聞いてしまうのか。
「俺、聞いちゃいけないこと聞いたかな……」
「あれは本当に気にしてないと思いますよ? デリカシーないのは事実ですけど」
「ぐっ……反省してます」
「でもノイちゃん先輩も泣いたりするんですねぇ。全然想像つかないなー」
「え、フィーダは知ってたんじゃないのか?」
「わたし直接見たわけじゃないんですよ。あの時の戦闘でハイになって、気づいたら基地まで帰投してて……」
「完全にやべー奴じゃん」
「えー、それを言うなら六歳の時点で立派に軍人してたノイちゃん先輩の方がヤバいじゃないですかー」
「それは確かに、な」
自分はどうだったか、とラッドは思い返す。
現在ノインが一四歳だから、彼女が軍へ入隊したのが八年前。八年前と言えば自分は一〇歳で、当時はおもちゃの銃や剣を振り回して遊んでた、将来について何も考えていないただの子供だった。
それがどうしたことか、今はこうして生まれ育った都市を守るために戦おうとしている。
「……人生、何が起こるか分かったもんじゃないな」
「急にどうしたんです?」
「いや、ガキの頃はこうしてガーディアンになったり、戦うための力を身に着けようなんて微塵も思ってなかったからさ」
「そういえば、ラッド先輩がガーディアンになった理由って聞いたことないですね」
「あれ、話したことなかったか? 別にもったいぶるような理由でもないんだけどな」
ラッドがフューリーの元で働くようになった経緯は、他のガーディアンとは少々異なる。一年前に新開発された《グラビティボード》。個人搭乗用としては初となる重力航法ビークルのテスターとして採用されたのが始まりだった。
重力航法の原理は、重力加速度のベクトルを操作することにより任意の方向へ自然落下するというもの。ベクトルの変更以外に情報の改変がないため次元エネルギーの消耗が少ない上、どんな質量の物体でも一定の速度で運べるというメリットがある。自然落下の速度は物体の質量に依らないからだ。
都市の移動手段として大型ビークルが実用化され、次は個人用の小型ビークルを……と、簡単に話が進めばよかったのだが、現実はそう甘くなかった。
重力航法にはある欠点が存在していた。
同じ場所に留まるのが非常に困難という、乗り物としては致命的すぎる欠点が。
物体が動かない状態は言い換えれば、物体に働く力が釣り合っている状態だ。海の上に浮かぶ船を思い浮かべるとわかりやすいだろう。船は重力に従って海中へ沈もうとするが、同時に発生する浮力が重力の作用を打ち消すことで、完全に沈むことなく海面へ留まる。ここで船に横から力を加えるとどうなるか。大きく横へと流れるか、最悪転覆してしまうだろう。
これと全く同じことが《グラビティボード》でも起こってしまう。むしろ水よりも抵抗の小さい空中であるが故、その頼りなさは船の比ではない。
大型ビークルならばその大質量が外力に対する抵抗となるのだが、個人向けに開発された軽量小型の物となるとそうもいかない。しかもこちらは決められた航路ではなく、搭乗者の体格や意思によって動きも受ける抵抗も変わってくる。
現行の自動運転技術でこれに対応するのは難しいと判断したフューリーは、逆転の発想を用いることにした。自力で《グラビティボード》を制御できる人物の運用データから制御則を作り出せばいいと。《カレイドスコープ》の制御AIをルナリアの思考パターンから生成したのと同じ方法論である。
そしてラッドが選ばれた理由は至極単純。
試乗会にて搭乗テストを行った結果、彼以外の参加者はまともに扱えなかったからだ。
三桁に届く参加者の殆どが浮いた状態でまともに立つことができず、静止状態を一〇秒以上保てたのが四、五人。そこから自由に飛び回れたのはラッドのみだった。
「興味本位で応募したのに、あれよあれよとガーディアン入りが決まっちまって。俺も最初は変異体と戦う気なんて無かったし、断ろうとしたんだけどな」
「フューリーさんに丸め込まれたって感じですね」
「あの人の口先の上手さは尋常じゃないんだよ。学習プログラム終わった後の進路決まってないこととか的確に突いてきやがるし……結局、直接戦闘に参加しなくていいって契約でサインしちまったわけだ」
「なのに今は戦おうとしてるんですね」
「……まぁな」
少々気恥しくなって、ラッドはフィーダから目を逸らした。
ガーディアンになったことを何度も後悔したことがある。
直接戦わなくていいとはいえ、ガーディアンとして戦場に立つ以上、変異体に襲われて命を落とす人々を間近で見ることになった。自分がもっと手際よく誘導できれば、救えた命だってあったかもしれない。
しかし今となっては、他の道を選んだ自分を想像することができなかった。同時に、戦わない自分に妥協できなくなっていた。
思いの外性に合っていたのか。
それとも、どこかの誰かにいい意味で影響を受けたのか。
いずれにせよラッドは自嘲気味に笑う。
「とはいっても、《グラビティボード》以外は本当にからっきしなんだよな俺。色々やってはみてるけど、正直付け焼き刃の域は出なさそうだ」
全く身についていないとまでは言わないが、自らの力で変異体を倒して回るみたいなことはできる気がしない。今の時点では自衛が精々だろう。
晴近はたった一か月であそこまで戦えるようになったというのに、情けない限りだった。
「……ラッド先輩は立派ですよ」
「え――っ」
不意にかけられた優しい声に、ラッドは思わず振り返る。
そして息を呑んだ。
「先輩が頑張っているのはみんな知ってますし。ハルさんがあそこまで強くなれたのも、一緒に強くなろうとしてくれた先輩がいたからこそだとわたしは思ってます」
ラッドにそんな言葉をかけるフィーダは、これまでに見せたことがない表情をしていた。
花の蕾が綻んだような微笑。普段の賑やかさとはかけ離れた、儚さすら感じさせる。あまりのギャップに本気で数秒間呼吸をするの忘れてしまった。
「わたしと違ってラッド先輩は戦うのが嫌なのに、それでも必死に頑張ってるから……そういうところは凄く尊敬してますよ」
「きゅ、急にべた褒めするのはやめろって。……ったく、勘違いしちまうだろ」
「勘違いって何がです?」
「なんでもねえよ! いいから続きしようぜ続き!」
羞恥を振り払うべく大きな声を上げ、ラッドは再び銃を構える。
今、自分はどんな顔色をしているのだろうか。
少しでも早く首から上の熱が引いてくれるのを願いながら、ラッドは手にした鉄塊の冷たさに意識を集中するのだった。




