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次元都市アクシス  作者: 七夜
04 運命の交叉路
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Chapter01-1 何でもない一日

 シア・フリーゼ改め、友柄シアの朝は早い。

 義理の兄である友柄晴近との生活を始めてからしばらくは盛大な機械音痴っぷりを晒してきたが、今となっては交代で日々の食事を任されるくらいの家事上手だ。

 これは貴重な同年代の友人である久道エリカの家――つまりはベイカー邸へ通う折に、家事万能たる執事ミハイル・グッドマンの懇切丁寧な指導を受けてきた賜物である。何故同じ指導を受けている瑞葉・ベイカーの家事能力が壊滅的なのかシアには理解できなかった。

 今朝はシアが朝食の担当する日だったのだが、肝心の晴近は急遽入った東京への出張により不在である。そもそも妹を一人で宿舎に残すことを不安がった兄の依頼で、シアは昨日からベイカー邸の預かりとなっている。

 それでもすっかり身についてしまった生活習慣は、設定されたアラームがなるより少し早くシアを覚醒させた。

「……勝った」

 謎の勝利宣言をしながら、シアはあと一分で鳴り出そうとしているアラームをオフにした。

 ベッドから起き上がり、大きく伸びをして僅かな微睡を吹き飛ばす。軽く頬を叩けば眠気は完全に消え去り、今日も朝から気分は快活だ。

「エリカちゃんは……まだ寝てるんだ」

 ふと視線を下げれば、昨晩同じベッドで眠りについたエリカが規則正しい寝息を立て続けている。隣でシアが起き上がっても目覚める様子はない。

 試しに頬を指先でつついてみる。つんつん。反応なし。軽く額を叩いてみる。ぺしぺし。反応なし。

 どうやら相当眠りが深いらしい。

「……よく寝てるねぇ」

 反応を確かめている内に、シアの中で猫のような悪戯心が立ち上がってきた。

 起こさないよう、そっとエリカの鼻を摘まむ。

「むぐっ」

 唐突に呼吸を封じられ一瞬呻くも、まだ起きない。

 しかし段々と息が苦しくなってきたのか、安らかだった表情は次第に険しくなっていき。

「……っぷは!」

 一〇秒ほどで飛び起きた。兄に仕掛けた時は三秒と持たなかったので、だいぶ健闘した方だとシアは一人感心する。

 エリカはひとしきり息を切らした後、恨みがましい目をシアに向けた。

「研究室で突然洪水が起きて溺れる夢を見たんだけど……シアちゃん心当たりない?」

「え? シアも今起きたところだよ」

「ふーん。ところで私が目を覚ました時、シアちゃんが覗き込んでるの見えてたけど」

「……」

「視線を右上に逸らしたね。それは嘘をついてる視線だね!」

「きゃ~!」

 下手な芝居はあっさりと見破られた。

 エリカはインドア派で見た目も華奢だが、意外と力が強い。見た目通り非力なシアは、為す術もなく全身をくすぐられたり頬を上下左右に引っ張られたりされる。

 一〇秒ほどエリカの気が済むまでもみくちゃにされた後、ぐしゃぐしゃになったシーツや毛布を二人で綺麗に整えてから寝室を後にした。広々とした廊下に出ると、前まで住んでいた家や今住んでいる管理局の宿舎とのスケール差に改めて驚かされる。何度も訪れてはいるが、こうして一日過ごすとまた違った感覚だ。

「大きいお家だよねー。瑞葉さんってやっぱりお嬢様なんだ」

 本人の人柄や戦いぶりから忘れられがちだが、瑞葉はれっきとしたご令嬢である。

「ベイカー家は世界でも有数の資産家だからね。アクシスを建設する際の資金も八割近く負担したみたいだし」

「……シアのお小遣い何か月分だろ」

「いくら貰ってるかは知らないけど、たぶん一生かけても払えないと思うよ」

 もはや小市民には想像のつかない金額が動いていたらしい。

 ちなみにシアが貰っているひと月当たりの小遣いは、同じ年代の少年少女たちと比べて多めだ。晴近が甘やかしまくっているのもあるが、単純に彼は一般的な高所得者と比較しても高給取りである。金銭感覚が高校生な晴近にとって、賃金の使い道の大半は貯金か妹への投資なのだった。


「おはようございます。シア様、エリカ様」

「おはよう二人とも。エリカが寝坊せずに起きてくるとは珍しいじゃないか」

 もはや食堂と呼んだ方がいい広さのダイニングには、既に自分の席についている瑞葉と、手際よく朝食の準備を進めるミハイルの姿があった。

「おはよう。ちょーっと悪戯好きな誰かさんのお陰でねぇ」

「あ、あはは……おはようございます」

 片やジトっとした目、片や誤魔化すような笑みと共に瑞葉の向かいの席へと座る。そこへ殆ど間を開けず、ミハイルが流れるような所作で朝食の載った皿やコーヒーのカップを並べていった。終始途切れのない動きにシアは思わず目を見張る。

「ミハイルさんって、まさに執事って感じですね」

「何その感想……」

「経験の賜物でございますよ」

 得意げに振舞うミハイルが、明らかにやりすぎな高さからコーヒーを注いで見せる。空中に引かれた黒い線は、一滴も飛沫を散らすことなくシアの前に置かれたカップの中へ収まっていった。

「すごーい!」

「抽出後のコーヒーでやる意味ないだろう……調子に乗り過ぎだぞミハイル」

「ふふふ。シア様は人を褒めるのがお上手ですので、つい張り切ってしまいます」

「あれ、おじさんたちは?」

「父上と母上は既に研究室へ向かったよ。室長が抜けた分の研究タスクを引き継いでるそうだからな。お爺様もいつも通りの五時起き出勤だ」

「うへー、絶対起きれる気がしない」

 エリカと瑞葉たちはエリカが赤子の頃からの付き合いということもあり、距離感が完全に家族のそれだ。血の繋がらない家族という点に関しては、シアとしても非常にシンパシーを感じる部分があった。

 ベイカー家の団欒に心を温かくしながら、シアは普段よりも豪華な朝食を楽しむ。フレンチトーストなんておしゃれなもの、自分も兄も作ったことがない。コーヒーは最初の一口だけブラックで飲んだが、僅かに顔をしかめて砂糖とミルクを投入した。シアにブラックはまだ早かったようだ。

 湯気立つコーヒーを冷ましつつ啜っていると、瑞葉が「そういえば」と切り出す。

「昨晩フューリー殿からメッセージが来たが、東京の方は大変だったようだな」

「あ、シアもお兄ちゃんから聞きました」

「変異体が組織的に行動ねぇ……俄かには信じられないけど」

「何はともあれ、友柄様たちや東京の方々が無事で何よりでございました」

「……うん、みんなが無事でよかった」

 ミハイルの言にシアは頷く。

 実際に殺されかけたことがあるシアにとって、変異体は今もなお恐怖の象徴だ。晴近たちが戦いに赴くたびに、また家族や友人を失うんじゃないかと心を締め付けられる。昨晩連絡を受けた時も気が気ではなかった。

 ただ、晴近たちが戦うことで救われる命があることも知っている。自分が正にそうなのだから。

 大きな怪我もなく全員が無事に帰ってこれたのなら、素直に喜んでいいはずだ。

 理解はしていても、心の中にどうしても消えないしこりのようなものを自覚してしまう。上手く言葉にできないそれが、ミハイルの言葉を肯定するのに僅かな時間を要させた。

「現地にいない我々が考えすぎても仕方のないことだ。第一、過度な心配が必要な面子でもないしな」

「お父さんとノインちゃん、ルナリアさんに晴近さんだもんね……勝てる気がしない」

「今更だけど、半分も東京に行っちゃって大丈夫だったのかな」

 詳しい戦力のバランスはシアの知るところではなかったが、ガーディアンの戦力は単純計算でも半減している。もしこのタイミングで変異体の襲撃が来たらと考えたらゾッとしない。

 しかし、当事者である瑞葉とミハイルは至って平静だった。

「これまでならともかく、今は状況が違う。市民らの守護を《カレイドスコープ》が担ってくれるならば、我々は人のいないエリアの掃討に集中できる」

「周りを気にしなくていいとなれば、私たちも動きやすいというもの。特にフィーダ様は獅子奮迅の活躍を見せてくれるでしょう」

「フィーダさんってそんなに凄いの?」

 シアは彼女が戦っているところを直接見たことがなく、いまいちピンと来なかった。

 日常におけるフィーダ・レティエに対して抱いた印象は、どこか抜けたところがある銃火器マニアの少女といった感じだ。あと胸が大きい。一体何を食べればあんなに育つのだろう。

「熱が入ると少々周りが見えなくなるきらいはあるが、装備込みの戦闘力なら秀一殿に次ぐのではないか?」

「そんなに!?」

 久道秀一の強さについては、晴近やその他の人物からもひっきりなしに聞かされてきたことだ。能力に経験と共に並び立つ者がなく、間違いなくこの都市においては最強の人物だろう。

 つまり、時たま趣味の武器弄りで夜を徹した果てに力尽き、玄関の前で干からびているあの少女は実質都市のナンバー2だというのか。俄かには信じがたい事実だった。

「ノインちゃんもそうだけど、EUの特殊攻撃部隊の人たちって色々凄いよね。変異体の群れに自分たちから突っ込んでいくんだから」

「あんな戦い方ができるのは『バベル』だからこそだ。あそこは軍人も市民も訓練されすぎている」

「殲滅が目的の部隊である以上、一握りの精鋭でなければまず生き残れないのでしょうな」

「ほえぇ……」

 もはやシアには想像もつかない世界の話になり、ただポカンとするしかなくなった。

 ガーディアンの面々と話すたび、如何に自分の知っている世界が狭いかを思い知ることになる。自分の生活している都市のことすら深く理解しているわけではなく、ましてや都市の外でのことなんか考えたこともない。

 こういう時、話についていけているエリカが少しだけ羨ましく思えた。


 EU話題にひと段落つくと、「ところで」と瑞葉が切り出した。

「二人は今日、この後予定はあるのか?」

「予定? 特には無かった気がするけど……」

 少なくともシアが覚えている限りでは、これといった用事は無かったはずだ。しいて言うなら、エリカの部屋で勉強を見てもらおうと思っていたくらいか。

 シアの返事を聞いた瑞葉は我が意を得たりとばかりに表情を明るくさせた。

「ならばちょうどいい。実はミハイルにクッキーの作り方を教わるんだが、もし二人が良ければティータイムに試しょ――」

「あー!!」

 瑞葉が何かを言おうとしたところ、突然エリカが大声を上げた。

 シアも瑞葉も目を丸くする中、どこか抑揚の欠けた調子でエリカは矢継早に言う。

「そう言えば今日は研究室に用事があるんだったすっかり忘れてたなー。シアちゃんにも関係があることだし午後一杯かかりそうだから、非っ常に残念だけどティータイムには戻れないかなー」

「む、そうか……それは残念だ。せっかく私の成長を実感してもらおうと思ったのに」

 あ、信じちゃうんだ。

 誰がどう見てもたった今ひねり出したとわかる言い訳なのだが、瑞葉は疑うことなく受け入れてしまった。素直すぎるのも考え物なんだなぁと、シアは少しだけ彼女が心配になった。

 とは言えエリカの機転で命を拾ったのも事実。「だよねーシアちゃん!?」と抑えきれない必死さを滲ませる彼女に、シアは曖昧な笑みを浮かべつつ頷く。

 瑞葉の家事能力については知っての通りだが、特に料理は本格的にいけない。過去に彼女が挑戦した料理の記録をエリカに映像付きで見せてもらったが、料理というより何かの実験を見せられている気分だった。それもかなりマッドな方面の。

「仕方がない。試食はいつも通りミハイルに頼むとしよう」

「これはこれは……身に余る大役に武者震いが止まりませんね」

 果たしてあれは武者震いなのか、純粋な恐怖からくる震えなのか。

 いずれにせよシアたちに、どこか遠くを見つめる哀れなミハイルを救う手立てはなかった。


 尊い犠牲を払って食堂を後にしたシアとエリカは、ホッと一息つく。

「ふー危なかった」

「ちょっと瑞葉さんが可哀そうな気もするけどね」

「一〇年以上も改善が見られないのが悪いよ……私が初めて姉さんの料理食べたの四歳の時だよ? 宇宙の真理が見えかけたよ」

「あー……」

 寒気を覚えたように身を震わせるエリカに、流石に同情の念が湧く。

 自分だったらトラウマになっていてもおかしくない。あれは年端のいかない子供に食べさせていい見た目じゃない。

 かつて映像越しに見た玉虫色のナニカを思い出しながら、シアも小さく身震いさせた。

「でもどうしようかな。用事があるって言った手前、ここにはいられないし」

「言った通り研究室に行っちゃう?」

 咄嗟の言い訳だったとはいえ、ここで他の場所へ遊びに行くのは忍びなかったのでシアはそう提案した。行って何をするかに関して具体的なプランは無かったが。

「うーん、今日は非番だから研究室に行ったところでやることが……ん、ちょと待って」

 一度は難色を示しかけたエリカだが、ふと何かを思い出したかのように己の眼前で指を宙に走らせる。幾つかの仮想ウィンドが展開されるが、プライベート設定なのかシアからは内容を読み取ることができない。

「発注した部品は全部届いてて、ソフトも用意済み……本格的な調整は時間かかるけど、素組みして試運転くらいなら……」

「おーいエリカちゃーん。戻ってきてー」

「――あっ、ごめんごめん」

 自分の世界にのめり込んでいくエリカの肩を叩き、現実へと引き戻す。

 エリカは軽く謝罪したのち、さっきとは打って変わって迷いのない表情で告げた。

「シアちゃん、研究室行こうか」

「いいけど、やることないんじゃなかったっけ?」

「今思い出したんだよ。まぁ何をするかは……着いてからのお楽しみってことで」

「……?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべるエリカに対し、疑問符を浮かべるシア。

 まさか朝の意趣返しでもされるのだろうか。多少の警戒心を抱きつつも、気分よさげに前を行くエリカに続いて屋敷の外へと向かう。

 ちらりと窓から外を覗いてみれば、快晴とは呼べないまでも殆ど雲のかかっていない空が垣間見えた。東京の天気は果たしてどうだったろう。

 東京のことを考えると、どうしても出張中の晴近たちのことが気になる。しかし同時にもう一方の――アクシスに残った面々たちのことも何となく気になり。

「みんなは今日何をしているんだろう」

 小さな呟きとなった疑問は、誰に拾われるということもなく空気に溶けていった。

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