プロローグ
大変長らくお待たせいたしました……プロローグだけで短いけど堪忍
あの日つないだ手の感触を。
ふとした瞬間に失われてしまったあの温かさを、片時も忘れたことは無い。
「ごめんな、僕も母さんも急に仕事が入ってしまって」
「どうしても現場に出なきゃいけなくなったのよ。お留守番頼める?」
家族全員で過ごすはずだった日の朝に、突然上書きされた予定。
それ自体は珍しいことでもなかったのに、二人同時にというのは初めてだったから。今思えば、必要以上に子供っぽく拗ねてしまった。
もしあの時、我儘を言わなかったら。二人の職場までついていくと言っていなかったら、未来はどうなっていただろうか。
意味のない仮定だということはわかっている。あの瞬間には戻れないのだから。
それでも考えずにはいられない。
もしあの時、無理やりにでも引き留めていたらと。
消えかかっていた体温を。
薄れゆく温もりを取り戻してくれたあの声を、片時も忘れたことは無い。
「おはよう。今日の朝ご飯は……待ってくれ、何で食パンが青色なんだ。まさかノインの差し金……いや差し入れか!?」
心に空いてしまった穴を埋めてくれる存在。優しくて強くて。誰よりも真っすぐで、誰よりも深く傷ついて。それでもいつか必ず前を向いて、日々を生きていた。
一緒に過ごした時間。分かち合った喜び。ほんの少しだけ胸を刺すような切なさ。
彼から受け取った何もかもが愛おしい。苦しいことも悲しいこともたくさんあったけれど、それらを補って余りあるくらいに。
大好きだった。
家族として。下手をすれば、それ以上に。
きっとあれは……叶わぬ初恋だったのかもしれない。
全てを失った瞬間を。
手のひらから何もかもが零れ落ちていったあの日を、決して忘れはしない。
「もう、俺たちしか生き残っていないみたいだな」
悔しさと悲しみに満ちていた。
燃え尽き、消え果ていく都市を。そこで失われていった仲間たちの命を前に。
一体どれほどの痛みを抱いていたのだろう。どれだけの感情を抑え込んでいたのだろう。
それでも彼は、笑ってみせた。
今にも泣きだしそうな笑顔が、深く脳裏に焼き付いていた。
「俺はあれを止めに行くよ。……放っておいたら、本当に何もかもが無くなっちまう。それだけは絶対にさせない」
胸の前で握りしめた左手の薬指に、炎が反射する。その手の中にある同じものを身に着けていた人は、もういない。
一人で行かせるなんて選択肢はなかった。大切な人たちを奪われたのは同じだった。
なのに、彼は静かに首を振った。
「わかってくれ。俺はもう仲間を……家族を失いたくないんだ。卑怯だとは思う。だけど、これは駄目な兄ちゃんからの最後のお願いだ」
いつものように真っすぐな瞳。
いつものような優しい表情。
これから死へと向かう人間とは思えないほど、穏やかな声で。
「生きてくれ。兄ちゃんが守る、この世界で」
――考えずにはいられない。
もしあの時、嫌だと言っていたら。聞き分けの悪い子供でいられたら。
何かが変わっただろうか。犠牲が無駄に一人増えただけだろうか。それとも、もっと別の未来があったのだろうか。
わからない。
わからないけど。
「……今度は間違えない」
失われたはずの人々。失われたはずの都市を再び前にし。
半ばから無惨に砕け折れた剣をかき抱き、決意する。
「お兄ちゃんは、私が守るから」




