Chapter04-4
歩いている。
果てのない平面の上を。足元からは糸のように細い光の筋が、てんでバラバラな間隔で無数に伸びている。その先端は空の彼方にあり、肉眼ではとても見えない。
地平線の先まで続く光の連なりの中を、当てもなく歩く。
ふと立ち止まる。
目の前には無限に存在する光の内の一本。
特別目立っていたわけでもない。ただそこにあっただけだ。たまたま立ち止まった時に目の前にあっただけ。
そっと手を伸ばす。指先が光に触れる。僅かな温もりが伝わってきて。
ゆっくりと。
ゆっくりと力を込めて……手折る。
ガラスの細管を砕いたようなか細い音。
静寂の中でそれは悲鳴のように響き、千切れた光は断面から解けるように形を失っていく。
そして空の彼方から、光の最後の一欠けらが降ってくる。
手のひらに落ちた光は、吸い込まれるように消えていく。
ただそれを、じっと眺めている。
深い悲しみと共に――
……体が重い。
意識が覚醒していく中、最初に感じたのは全身の怠さだった。感覚的には、休日に昼過ぎまで寝過ごしてしまった時のアレに近い。
薄く目を開いてみると、視線の先には天井があった。廃墟の薄汚れたそれではなく、掃除の行き届いた小奇麗な天井。
どうやら、地上で気を失っている間に地下都市まで運び込まれたようだ。
意識を手放す前までの記憶はハッキリしている。俺が無事ってことは、あいつを殴り飛ばした後はノインが上手くやってくれたみたいだな。
でも……何だろう。
今までのことは全部覚えている。何だったら、気絶する間際に見た青年の記憶らしきものまで。
なのに、何故か釈然としない気分だ。
何というか、すごく重要なものを見たのにすっぱり忘れちまったというか。
かなり印象深かったのに、起きた途端その内容を思い出せなくなったみたいな……?
「どうしたの、浮かない顔して」
「いやそれが……って何でやねん」
ごく自然に問われたのでごく自然に返しかけたが、思わずツッコむ。
俺は地下都市の一室にあるベッドで寝かされていたようだが、同じベッドの中にさも当たり前のように別の人物がいた。
誰と言うまでもなくルナリアだった。
「どうして同じベッドに……ていうか、そっちは大丈夫だったのか?」
「私は大丈夫よ。少し凍死しかけたけど、ハルにくっついてたらだいぶ良くなってきたから」
「そりゃよござんした……つーか凍死ってシャレにならねえぞ」
俺と別れた後で一体何があったのか。
未だに離れる気配のないルナリアから離脱後の話を聞いていく内に、どこか寝ぼけ気味だった頭がどんどん冴えていく。
ルナリアたちを襲った少女。あの久道さんを打ちのめした老人。そのどちらもが転移者である可能性。破壊された≪転移ゲート≫。アクシスとの通信障害。
そして、俺たちの戦いの決着についても。
一通りの情報を聞き終わった頃には、すっかり目が覚めていた。
「私が把握できてるのはこのくらい……あなたのこともノインから聞いたわ」
伸びてきたルナリアの手が顔に触れてくる。
少し違和感が残る右目の側に優しく置かれた指先は、微かに震えている。強い感情を必死に抑え込んでいるかのように。
「瞳の色が変わってる……また、無茶したのね」
「分の悪い賭けだったのは確かだけど……他の方法が思いつかなかったんだ」
「わかってる。話を聞いた限りじゃ、私もそれしかないと思った……でも」
顔から手が離れ、そのまま背中へと回る。
痛いくらいの力で抱きしめてくるルナリアの声は、若干の熱と水気を帯びていた。
「心配、だったんだから……もしこのまま目を覚まさなかったらって思ったら、私……」
「……ごめん」
静かに感情を発露するルナリアに謝罪し、そっと抱きしめ返す。
昨晩と比べて、彼女の体温が随分と低く感じた。指先だけでなく、全身も凍えたように震えている。
戦闘の――低体温症の名残もあるのかもしれない。
だがそれ以上にルナリアへかけた心労の重さを実感して、申し訳なさで一杯になる。
あの時の選択に後悔はないが、みんなにどれだけ心配をかけるかに関して少し配慮が足りていなかった。
こういう所が未熟なんだろうな……。
「俺もルナリアから無線で応答がなかった時、滅茶苦茶心配だった。無事でいてくれてよかったよ」
「うん……」
しばらくの間、抱き合ったまま静かな時間が流れた。互いの体温を感じ、互いの生存を確かめるだけの時間。
一、二分程度の短い間だったが、それを経ることでようやく心の整理がついてきた。
意識が戻った以上、ずっと寝ているばかりではいられない。
今後のことを決めなければ。
ルナリアが話してくれた通りなら、あいつも来ているはずだ。
「フューリー室長たちはどこにいるんだ? 合流しないと」
「待って、あなたが起きたら連絡することになってるの。ハルは絶対安静だから」
ルナリアはもぞもぞとベッドから這いだし、何やら無線で話始める。
どうやらフューリーたちがこの部屋まで来てくれるらしい。
体調に関しては殆ど問題ないんだけどな。寝起きで少し怠いくらいで、自分でも驚くほど身体には何ともない。そういえば……前に無茶して時間を止めた時も起きた直後は全然元気だったな。
これも存在の歪みが進行した影響なんだろうか。自分で考えたところで、答えは出そうにないけど。
そんなことを考えている間に、話はついたようだ。
「すぐに来るみたいよ。ハルは寝たままでいいから」
「別に平気なんだけどな。ところで、ここってどこなんだ?」
「研究者用の仮眠室ね。室長たちは今外にいるから、しばらくかかりそうだけど」
「外? 一体何をしに――ってうぉおお!?」
「え、な、何!?」
不意に視界内に現れたそれに、俺とルナリアは思い切りビビった。
部屋の真ん中に開いた、直径二メートルほどの黒い穴。
見間違えるはずがない。
ついさっきまで幾度となく俺たちを苦しめた、あいつのゲート……!
刻みつけられたトラウマから思わずベッドを飛び出そうになるが。
「いやはや、安定化フレーム無しにゲートを作り出せるのは反則だね……おや、どうしたんだい二人揃って」
さも当たり前のようにゲートから現れたフューリーが、ぽかんと口を開いたまま固まった俺たちを見て首を傾げる。
すると今度は久道さんが出てきて、それに続いてノイン。
最後に来たのは……あの青年だ。
「し、室長、今のって」
「あぁ、そういえばルナリア君は我々が外に出た後に帰投したんだったね」
思い出したかのようにフューリーは、背後にいる青年へ振り返りつつ。
「彼の名前は榊幸矢。天蓋を破壊した張本人で、ついさっきまで晴近君やルナリア君と熾烈な戦いを繰り広げていたが……今は協力者ということになっている」
……榊、幸矢。
やっと名前を知ることができた。
思えば、名前も知らない相手と命の奪い合いをしていたんだな。今更ながら変な気分だ。
「敵対の意思はないそうだが、念のため秀一君とノイン君が常に目を光らせているから安心してほしい。今も彼の案内で拠点に使っていたという建物を調べていたんだ」
「は、はぁ……」
フューリーの説明に未だ理解が追いついていないのか、呆然としたまま頷くルナリア。
それを他所に、俺は青年――幸矢をまっすぐに見据える。
視線に気づいた幸矢は、どこか困ったような笑みを浮かべた。
「参ったな。君には言わなきゃいけないことが多すぎて、何から話したものか」
実際、言葉が見つからないのだろう。
逆の立場になれば、きっと俺もどう声をかけていいかわからなくなる。散々敵意や殺意を向けていた相手に、今更どんな態度で接すればいいのか。
でも俺が知りたいのは、とりあえず一つだけだ。
「ちゃんと思い出せたか?」
「……あぁ」
傍から見れば、理解のできないやり取りだろう。
同じ記憶を共有した俺たちだからこそ、その意味は重く伝わる。
「彼女から託されたもの……生きる理由を、思い出せた」
静かに言いながら、首から提げたドッグタグを握る幸矢。
その姿はまるで、失くしていた大切なものを取り戻したようだった。
……初めての戦いの後、目覚めたシアと対面した俺のように。
「ならいいよ。説教なんてガラじゃなかったし、これ以上俺から言うこともないさ」
「ありがとう。それと、ごめん」
「謝るなら俺よりもノインとか東京の人に謝ってくれ。迷惑かけたってレベルじゃねーぞ」
「機会を得たら必ず。それでも、君をその状態にまで追い込んでしまったのは僕の責任だ」
「……これって、やっぱり不味いのか?」
俺は自分の右目を指して尋ねる。
さっき幸矢の存在を見ていた時と違い、今は左目と同じように通常通りの景色が見える。
ルナリアは瞳の色が変わってるって言ってたけど、どんな色になってしまったんだろう。鏡とかないのだろうか。
ともかく俺の問いに、幸矢は少し間をおいてから答えた。
「不味いか不味くないかと聞かれたら、かなり不味い。でも直ちに影響はない……と思う」
「おいおい最後の方、自信なさげだけど本当に大丈夫なのか?」
「僕自身は門外漢なんだ。経験に即してないことは断言し辛い」
「安心したまえ。そのために私がいる」
とここで、今まで口を挟まず静かにしていたフューリーが会話に加わる。
「今の晴近君は、ちょうど変異体の手前くらいで安定している。確か侵度だったかな?」
「はい。博士は存在情報の歪みの度合いを、三段回で区別していました」
「博士?」
「僕らを保護してくれた人だよ……今回の計画の首謀者でもあるけど」
そう言って僅かに俯く幸矢。
彼なりに恩があり、裏切っていることへの後ろめたさもあるのだろうか。
それでも割り切るように小さくかぶりを振り、続ける。
「この世界に来たばかりの転移者は、存在情報の歪みがごく小さい。この状態がC侵度。そこから能力を使うことで歪みが進行し、侵度もあがっていく」
つまり、フューリーの予想通りだ。
能力を使えば使うほど、変異体へと近づいていく。
情報が確定したことで、一気に現実感が湧いてきた。
内心を極力表に出さないよう努め、俺は問う。
「俺は、どの段階なんだ」
「A侵度」
間を開けることなく、短く告げられた。
三段階の一番下がCなら、Aは最も上だ。
「存在情報を認識可能な段階で、ここから更に進むと存在自体が破綻……そちらで言う所の存在崩壊に至る」
「……もう後はないってことか」
「本来ならここまで症状が進むことはないんだ。僕はこの世界に来て一年ほどになるけど、B侵度にすら到達していない」
「恐らく能力の差だろう。幸矢君の力は空間座標……即ち三次元の情報を弄っているに過ぎない。だが晴近君の場合、時間という一つ上の次元に干渉している」
実に分かりやすいハイリスクハイリターンだった。
でも実際に戦った俺としては、ゲートの能力も十分やばいと思うんだけどな……あれだけバンバン使っておきながら何ともないとか、納得いかないぞ。文句言ってもしょうがないから言わないけどさ。
「ただ、A侵度ってかなり安定した状態らしいから。よほど強い負荷をかけ続けない限り、存在崩壊まではいかない」
「晴近君の場合どこまで参考になるかはわからないが……少なくとも、今すぐどうにかなる問題ではないのは確かだよ」
「……そうか」
フューリーからお墨付きをもらえると、少しだけ肩の荷が下りたような気がした。
心に若干の余裕が出来たことで、俺はふと湧いてきた疑問を口にする。
「その博士って、随分と転移者について詳しいんだな。有名な人なのか?」
「私も気になっていたんだ。転移者自体が表に出ない存在とはいえ、これだけの知見を持つ研究者を私が知らないはずがないんだが」
普段の行動を見ていると忘れがちだが、フューリーは次元技術に関してならば他の追随を許さない権威だ。その方面での顔はかなり広いのだろう。
「君の装備も見させてもらったが、どれも既存技術を利用したものとはいえ素人に作れるものではない。≪ヒドゥンコート≫に至っては、私はこんな使い方考えもつかなかった」
「まさか博士って名前じゃないよな」
可能性的にゼロとは言い切れないぞ。世の中もっとすごい名前の人が大勢いるからな。
「違うよ。彼がそう呼んで欲しいと言ったからそう呼んでるだけさ」
「本名は知っているのかい?」
「一番最初に名乗っていましたよ。確か――」
「失礼しますー!」
幸矢が名前を口にしようとした直前、それを遮るように部屋のドアが開いた。
入ってきたのは……翠さんだ。
全力疾走してきたのか、息も絶え絶えに俺たちの下まで来た途端ドッと膝をつく。
「どうしたんだい翠君、そんなに疲れ切って」
「どうしたもこうしたも、フューリーさんが今すぐこの部屋に来いって言うから……しかも、何で外にいた人たちが私より早く……」
相変わら他人を振り回すことに定評のあるフューリーである。
フューリーたちが幸矢のゲートで楽をしている裏で、翠さんは最下層からダッシュしてきたんだな。そりゃ疲れるわ。
やがて息が整ったのか、顔を上げた翠さんは幸矢を見ておずおずと尋ねる。
「ええっと、あなたが例の?」
「はい、テロリストの榊幸矢と申します」
いやその肩書はどうなんだ。他に名乗りようがないのも確かだけど……。
「こ、これはご丁寧に……私は東京で研究主任を務める数奧翠です」
戸惑いつつも幸也に対し礼儀正しく頭を下げる翠さん。
だが意外なことに、彼女以上に戸惑っていたのは。
「数奧だって?」
翠さんの名前を聞いた幸矢が驚いたように目を見開く。
雰囲気の変化を感じ取った久道さんとノインが二人の間に入ろうとするが、フューリーはそれを片手で制して尋ねる。
「彼女の名前に聞き覚えが?」
「えぇ。〝彼〟と共通してるのは名字だけですが、こんな偶然もあるんですね」
「……!?」
幸矢の物言いに何か思い至ったのだろうか。
フューリーの顔から一気に血の気が失せ、病的なほどに青白くなっていく。何か込み上げるものを抑えるように口元を手で覆ったまま、フューリーは問う。
まるで、恐ろしい事実を確かめるかのように。
「数奧、と……君を保護した研究者は、そう名乗ったのか?」
「漢字まで同じかはわかりませんが、確かに」
「で、では……下の名前は、何と言っていた?」
本当に恐る恐るといった感じで尋ねるフューリー。
そんな彼女に若干困惑しつつも、幸矢はその名を告げる。
「……保」
「博士の名前は、数奧保です」
――その名前に顕著な反応を示したのは、三人。
「馬、鹿な……!?」
一人は久道さん。
愕然とした表情で立ち尽くす彼は、今まで見てきた中で一番動揺しているように見えた。
「嘘……」
一人は翠さん。
或いはフューリー以上に蒼白な顔となった彼女は、その場に力なくへたり込んでしまった。
そして。
「数奧、博士か」
依然として悪い顔色のまま、フューリーは呟く。
「それなら確かに辻褄は合う。彼ならば、既存の次元技術を弄る程度なら容易いだろう」
「……知ってる人なのか」
「知らないなどと言えるはずがないよ」
尋ねた俺にフューリーはそう言って自嘲気味に笑う。
「数奧保氏は私の祖父……ローグ・バレンタインの右腕だった人だ。研究者としては私の先輩であり、翠君の父親であり」
「私が……私たちが、殺してしまったはずの人物だ」




