Chapter04-3
東京最下層のシェルターに翠を送り届けたフューリーは、その場に留まらず再び上層へと移動していた。
久道の指示に反する行動ではあったが、そうせずには居られなかった。
「どうして無線が繋がらないんだ……それにアクシスとの通信まで」
下層に辿り着いてすぐ、フューリーは久道に対して無線を飛ばしていた。しかし返事はおろか、無線自体が繋がらなかったのだ。
考えられる可能性としては二つ。
相手の意識がないか、もしくはBCの完全停止――即ち死だ。
そこへ被せるようにアクシスとの遠距離通信すら確立できなくなり、未だかつてないほどの危機感を覚えたフューリーはシェルターを飛び出していた。研究員たちには止められたが、ほぼ最低出力とはいえ≪アクセラレーター≫が使えるフューリーに追いつけるはずもない。
「全く、普段の運動不足が恨めしいな」
それでも実際に動かすのは自分の体であり、運動量が減るわけでもない。
急激な運動で痛む脇腹に顔をしかめながらも、フューリーは走る。最悪の予想を否定するべく、ひたすら≪転移ゲート≫のある部屋に向かって。
果たして、辿り着いた先で目撃したのは最悪ではなかった。
ただし、その次くらいに悪い状況であることも一目瞭然だった。
「……秀一君!」
フューリーは血だまりの中心に倒れ込む男の下へ駆け寄り、白衣が汚れることも厭わず抱き起す。
真っ先に首筋に指をあて脈拍を確認。続けて顔に耳を寄せ、呼吸を確かめる。
「どちらも安定……生きてる……」
若干の低下は見られつつも、規則正しく刻まれる生存の証。
少なくとも直ちに命の危険はないとわかった途端、全身の力が抜けそうになった。
泣き出したくなるのをぐっと我慢し、フューリーはポケットから無針注射器を取り出す。
久道の負傷具合は一般人の基準からすれば完全に致命傷だが、彼は一般人ではない。こうしている今も、体内を循環するナノマシンが肉体の損傷を修復している最中だろう。
だがこのダメージでは、意識レベルが回復するのに半日はかかる試算だ。
「ゆっくりと寝かせてあげたいけど、そうも言っていられない」
緊急事態だからと謝りながら、フューリーは久道の首筋から注射の中身を投与した。
内容物はシアの治療に用いたものと同型のナノマシンだが、より修復作用の強い特注品。まともな人間に投与すれば、生命活動に必要なエネルギーすら食いつぶす劇物である。継続的な栄養供給なしで使用に耐えうるのは久道だけだろう。
「……ぐっ」
「おはよう秀一君。目覚めの気分はどうだい?」
ナノマシンの投与から数分後、フューリーの膝の上で久道が僅かに身じろいだ。
抱きしめたくなる衝動を抑え声をかけると「最悪だ」と短く返事をしながら目を開く。
「この年になって膝枕をされている状況に、かなり堪えている」
「そんなこと言って嬉しい癖に……と言うか、君が冗談を言うなんて珍しいね」
「冗談の一つでも、言いたくなる……」
高速治療の反動か気だるそうに言って、風穴の開いていない左手で顔を覆い隠す久道。
満身創痍だが、肉体よりむしろ精神的なダメージの方が大きいように見えた。
「随分と手ひどくやられたみたいだが、君は一体何と戦っていたんだ?」
正直に言って、フューリーは久道が負けたという事実が信じられなかった。
仮に一対一で争った場合、まず久道に勝てる人間はいないだろう。同じ体格の大人が対峙しても、その身体能力差は獅子と赤子のそれに等しい。
「まさか、クマやライオンに襲われたとか言わないよね」
「……」
「おいおい否定しないのかい? 冗談のつもりだったんだけどな……」
「猛獣であることに、違いはない。ただし……奴は人の姿をしていた。俺と、同じだ」
「同じって、まさか……あり得ないだろう」
この状況で久道が嘘を言うとは考えられない。
それでも否定の言葉が出てくるくらいに、フューリーは驚愕していた。
彼と同等の存在であるということは、遺伝子レベルでの改造を施された人間兵器であるということに他ならない。
しかし、この世界に存在する人間兵器は久道たった一人のみであるとフューリーは知っている。彼が保護された違法研究施設における摘発作戦の顛末が、記録にある通りならば。
「あの男……クラウス・イェーガーは、帝国の『狩人計画』で造られたと自称していた。単語に覚えはあるか?」
「いや、帝国なんて存在しないし。そんな計画聞いたこともない」
「お前が知らないということは、奴はやはりこの世界の人間ではなかったか」
「……転移者」
ライト教授との邂逅から晴近と出会うまで二二年。今度はそこから一か月しか経っていない。
もはや二度と会うことは無いと思っていた平行世界からの来訪者が、こうも立て続けに現れるなんて。
明らかに、異常事態だ。
「……ふぅ」
迷い。疑念。
あらゆる感情が胸中を渦巻く中、フューリーは一度それを心の奥底へ押し込める。
今するべきことは、理解不能な状況に対し途方に暮れることではない。
東京を襲った事態の究明と、その解決だ。
頭を使うことしか能のない自分が、思考を放棄して何が残るというのか。
フューリーは改めて、室内の様子をざっと見渡す。さっきまでは久道を心配するあまり、他のものが全く目に入っていなかったのだ。
散乱した物資。原型を留めていない死体。
そして……重機で叩きつぶされたような有様のゲート装置。
「最初の予想通り、敵の目的は≪ゲートポータル≫だったわけだ」
「あぁ。奴も、確かにそう言っていた」
「自分の個人情報といい、随分とあけっぴろげな刺客がいたものだね」
情報リテラシーのなさに若干呆れつつも、フューリーは考察する。
ゲート装置の破壊による影響は、アクシスと東京の実質的な断絶。問題は、これが何のために行われたかだ。
考えられる可能性は二つ。
都市間で相互に行われている物資の流通を断ち、干上がらせるためか。
もしくは、人の行き来をできなくするためか。
予想では恐らく後者……より限定するなら、フューリーたちを東京へ釘付けにすること。
現在東京を訪れているのはフューリー、久道、ノイン、ルナリア、晴近。自分を除く四人はガーディアンであり、都市を守る戦力は数の面で見れば半分まで落ち込んでいる。
天蓋の破壊以降、明確な攻撃があったのはフューリーが知る限りこの部屋のみ。移動中にさりげなく地下都市の情報ネットワークにアクセスしたが、変異体による被害もなく避難自体はどの区域でもつつがなく行われていた。
つまり、敵の真の目的は東京ではない。
「本命はアクシスか……!」
さっきから都市と通信が取れなくなっているのにも今なら頷ける。
恐らく久道を撃破した刺客がゲート装置を破壊したのを皮切りに、都市に対する攻撃も始まっていたのだろう。
相手が迷わず装置を破壊したことも問題だった。
どれほどの戦力を抱えているかは知らないが、久道を短期で撃破する者や天蓋に風穴を開けるような存在が、本命に絡まないなんてことがあるだろうか。
もし都市と東京の間を行き来できる手段を敵が確保しているとしたら、事態はより深刻な方向へと傾いてしまう。
「不味いな……」
一刻も早く都市へと帰還する必要があった。
都市に残った仲間たちは決して弱くない。だがそれはあくまで変異体との戦いに対して。
明らかに人間の悪意が引き起こしたこの状況に対し、どこまで戦えたものか。
「ゲートの修理は……無駄か。対になる都市側の装置を破壊されていたら意味がない。私なら絶対そうする」
「≪ブリンカー≫では長距離を一度に移動はできない……何度かに分けて海上を移動する手もあるが」
「やめた方がいい。海洋は完全に未知の領域だ……水中に適応した個体がいないとも限らないからね」
考えれば考えるほど、状況が詰んでいるような気がしフューリーは歯噛みする。
移動手段を潰されたのが痛すぎた。たったこれだけで都市の戦力を半減させたのだから。
仮に移動手段があったとしても、穴が開いたままの天蓋を放置して帰るわけにもいかない。今変異体による襲撃が起きたら、無防備な状態の東京は壊滅する。
あれほどの規模となると数か月単位の大工事になってしまうが、幸いにもこちらには晴近がいる。彼の時間遡行であれば、一瞬で破壊された天蓋なら同様に一瞬で直せるはず。
彼自身の体調を鑑みながら慎重に行う必要はあるだろう。それでも、修復する手段自体は確固として存在しているというのが大きい。
「結局、こちらにいるメンバーとの合流が最優先か」
そう結論付けたのと、殆ど同時だった。
『こちら、ルナリア・カミカワ……応答を願います』
「ルナリア君?」
オープンチャンネルで発信された無線。
聞こえてきた声の弱々しさに、フューリーは慌てて応答する。
「こちらフューリー。どうしたんだ、そっちでも何かあったのか?」
『襲撃を、受けました。相手はノインと同い年くらいの少女……何らかの手段で近づいたものを急激に減速させていたようで、危うく全滅するところでした』
「少女だって……?」
ここにきて新たな人物が現れ、軽く眩暈がしてきた。
話を聞く限り、こちらも転移者である可能性が高い。こんな偶然あり得るのか。
『鷹見君たちの協力で、あと一歩のところまで追いつめたんですが……超人的な老人の介入を受けて逃がしました。ちょっと自分でも、何を言ってるのかわからないんですけど』
「間違いない。奴だ」
「……それはたぶん、秀一君がやられた相手だな。むしろ君たちに何もなくてよかった」
『久道さんがやられた……!? あの、大丈夫なんですか』
「命に別状はないよ。それより、晴近君とは一緒じゃないのかい?」
『ハルはノインの援護に向かいました。あちらの方も、だいぶ危なかったみたいなので』
「成程、ね」
次々と得られていく情報を整理し、フューリーは一連の状況を組み立てていく。
ルナリアと久道の証言から、少なくとも三つの戦闘が発生していたことが分かった。
久道が対峙した老人の転移者。能力は不明。
ルナリアたちを襲った少女の転移者。能力は恐らく減速。
ノインが対応した≪サードアイ≫を撃ち落とした者。ここまでくると、これも転移者であってもおかしくない。
そして把握している限りでは、二つの戦闘が終了している。片方は完全敗北で、もう片方は痛み分け。
であれば、急務なのは残る一つ――晴近たちの現状を把握すること。
二人がオープンチャンネルでの会話に参加してこないのは、応答する余裕がないのか応答できる状態にないのか。
どちらも考えたくないが、出来れば前者であって欲しかった。
「救援を向かわせたいところだが……カミカワたちは?」
『……正直に言って、厳しいです。≪迅龍≫は殆どエネルギー切れに近く、私もまだ体が思うように動かなくて』
「ならば、俺が行こう……」
「待て待て待て!」
起き上がろうとする久道を、フューリーは慌てて押し留めた。
あれだけ血を流しておいて、この男は何を言っているのか。
「無茶を言わないでくれ。意識が回復する最低限の修復しか終わっていないんだぞ」
「人間相手なら、腕一本動けばどうとでもなる」
「敵は転移者の可能性があるんだ。能力次第ではミイラ取りがミイラになる……少し考えればわかるだろう?」
「む……」
「脳も本調子じゃなさそうだな……問答無用でドクターストップだ」
普段の久道であればしようともしないだろう迂闊な行動。
失血のダメージが深いのもあるだろうが、やはり本人が言った通り精神的に相当堪えているのかもしれない。
せめて≪サードアイ≫があれば上空から様子を窺えたのだが、生憎にも一番最初に撃ち落とされてしまっている。
ないものねだりをしていても仕方がない。
上に立つものとして、フューリーは次善の策を講じる。
「ルナリア君たちは一旦地下都市まで帰投してくれ。口惜しいが、二次被害はできる限り抑えたい」
『……わかり、ました』
声だけでも伝わってくる、不安と焦燥。
当然だ。ルナリアにとっては、親友と恋人の危機なのだ。心配でたまらず、本当ならば今すぐにでも駆け付けたいのだろう。
それが現実的でないとわかっていたからこそ、自らのコンディションを偽ることなく報告してきた。その心中は察して余りある。
「体調が回復し次第救援に向かおう。……大丈夫だ。ノイン君も晴近君も、そう簡単にやられるほどやわじゃない」
僅かにでも慰めになればと優しく声をかける一方で、脳の片隅では冷たい思考が働く。
ノインは戦闘経験が豊富な元軍人であり、必要とあらば人間でも手にかけられるよう教育が施されている。相手が転移者――つまり人間だとしても、さほど大きな枷にはならない。
晴近は流石にそこまで割り切れないだろう。しかし彼には唯一無二にして、凶悪極まりない時間操作の力がある。
時間停止という最大の初見殺しがある以上、晴近が戦闘に加わった時点で相手の勝ちはほぼなくなると言っていい。
仕留めるにしても拘束するにしても、晴近が力を出し惜しみするとは思えない。
それでも戦闘完了の報告がないということは、それが通じなかったと考えるのが自然だ。
「……場合によっては、最悪を見据えて行動を決めなければならないな」
無線に乗らない音量で独り言ち、込み上げた自己嫌悪に眉を顰める。
必要なこととはいえ、気分の良くない想定だ。
しかしルナリアたちの上司であり、それ以前に科学者であるフューリーはどこまでもリアリストでなければならない。
何よりも優先されるのは都市……より正確には、ウロボロス機関の保全。
今後の展開によっては、晴近たちのみならず東京を切り捨てる選択も――
『こちらノイン・クラッツァ。応答を願います』
『ノイン!?』
「っ、ノイン君か!」
苦痛でしかない未来予想を覆す声に、ルナリアのみならずフューリーも思わず大きな声が出た。
これで最悪の一つは回避された。
逸る気持ちを抑え、フューリーはもっとも重要な確認をする。
「そちらに晴近君が向かったようだが、二人とも無事かい?」
『小官は特に問題ありません。ハルチカは……少なくとも命に別状はないそうです』
ノインの報告に安心すると同時に、フューリーは違和感を抱いた。
ひとまず晴近は生きているようだが、彼女にしては煮え切らない。何より、言い方に引っかかりを覚える。
まるで第三者の意見を半信半疑に伝えたような、そんな印象を受けた。
まさかとは思いつつ、フューリーは尋ねる。
「そちらの状況を教えてくれ」
『了解。戦闘は一分ほど前に終了し、ターゲットの拘束に成功。準備が整い次第、そちらへ連行します』
「大戦果じゃないか。相手は……転移者だったのか?」
『はい。離れた空間同士を継続的に繋ぐ、≪転移ゲート≫と全く同じ能力を使用します。能力を応用した兵器を用い、天蓋を破壊した犯人です』
「≪転移ゲート≫だと……」
最も恐れていた敵側の移動手段が存在していた事実と、それをこちら側で確保することができた事実。
驚愕の連続にいよいよ疲れてきたフューリー。残りの報告はもう合流してからでいい気がしてきたが、どうしても気になることが一つあった。
「そんな力があるのにちゃんと拘束出来ているのかい? 意識を奪い続けているとか?」
『これ以上抵抗する気も、逃げる気もないようです』
「何だって?」
『ターゲット……榊幸矢は我々に対し全面的な協力を申し出ています。所属していた勢力の情報に加え、彼が知る限りの転移者に関する情報を提供したいと』
……やはり、判断を下したのは敵対者だったか。
どうやら晴近の状態を診断したのは、その榊幸矢なる人物らしい。
「信用できるのかい?」
相手の目的を図りかね、フューリーはノインに意見を仰ぐ。
天蓋への攻撃を榊幸矢が行ったというのなら、最初の時点では完全に敵対していた。
戦闘中に心変わりでも起きたのかは知らないが、全面的に信用するのは危険な気がしてならない。ノインだって十分理解しているはず。
それでもなお彼を単に拘束するだけに留めているということは、何らかの確証を得られているのだろうか。
『確証はありません。ですが……今の彼からは敵意を感じません』
「つまり、勘か」
『勘です』
要するに根拠は無し。
ますますノインらしくない判断だが、直接相対した彼女だからこそ感じるものがあったのだろうか。戦場に出ないフューリーにはよくわからない感覚だ。
だがあらゆる面で後手に回っている今、慎重になりすぎて行動が遅れるのは余計に事態を悪化させかねないのも事実。
劇薬の可能性があると同時に、特効薬の可能性もあるのならば。
「君の勘を信じよう。連れてきてくれ」
『了解』
「……さて、この選択が吉と出るか凶と出るか」
どう転ぶにせよ、覚悟を決めなければいけなかった。
もしこれから得られる情報で、先の考察の裏付けが取れてしまったなら。
目を覚ますだろう晴近に対し、あまりにも残酷な現実を突きつけることになるのだから。




