Chapter04-2
賭けに、勝ったぞ。
もはや痛みとすら認識できない熱に全身を苛まれながら、俺は目の前の青年を見据える。未だに姿を消す装置は起動しているようだが、それでも見えている。
不思議な感覚だった。純粋な視覚――反射した光という意味では目から得られる情報はないはずなのに、俺の右目は青年の存在そのものを捉えている。
きっと奴らも、こんな風に人間の居場所を察知しているのだろう。
存在情報を感知できる生物は、思った以上に身近に存在していた。かつてフューリーの研究室でエリナが言っていたことを思い出したんだ。
変異体は存在情報を直接感知して人を襲う。例え目や耳が無くても、正確に位置を特定してくる。どんな場所に現れようと人の集まる場所を目指してくるのはこの力によるものだ。
そして転移者は言葉を選ばなければ、変異体のなり損ないだ。化け物になるには、存在の歪みが小さすぎる。だから変異体のような存在を読み取る感覚がない。
なら、もっと歪めてやればいい。
より変異体に近づけば、存在情報――青年が残した唯一の痕跡に手が届くかもしれない。
あまりにも荒唐無稽な目論見だったが、こうして新たな感覚を得られているので結果的には上手くいったんだろう。最大の賭けには勝っているんだ。
後は……あいつとの勝負に勝つだけだ。
≪アクセラレーター≫を起動。
ふらつく足になけなしの気力を込め――駆け出す!
青年は距離を取ろうとしたが、迷った分だけ俺の方が速い。
間合いに入った。届く――
「……甘い」
「っ!?」
正宗を振るう寸前、青年が手にしていた銃をこちらへ向けてきた。
ゲートを使える彼からすれば、本来無駄な行為。
しかし大口径の拳銃を直接向けられたプレッシャーに、俺は僅かに身をこわばらせる。
決定的な隙を青年は見逃さない。
振り遅れた一撃は下をくぐるように避けられ、懐に入ってきた彼はいつの間にか銃身を握るように拳銃を持ち替えていて――
「ぉぉお!」
「ぁぐ……!」
強烈な一撃が側頭部を襲う。
グリップ部分をハンマーのように見立てた殴打。≪アブゾーバー≫によりだいぶ軽減はされたが、既に脳の限界が近いせいか僅かな衝撃でも意識が揺さぶられる。
霞んだ目で、追撃せんと腕を振り上げる青年の姿を捉えた。
避けろ――薄れる意識に発破をかけ、攻撃が来る前に殆ど身を投げ出すように回避する。地面を転がるようにして受け身を取り、素早く相手を視界に収めた。
そこで俺は、己の失敗を悟った。
「悪いね。弾切れだったんだ……そして」
拳銃を振り下ろすことなく、放り捨てた青年の手の先にゲートが開かれる。
逃げるためかと一瞬思ったが、大きさは頭がちょうど入るくらいで彼が通り抜けるには狭すぎだ。
何よりどうしてあんな、伸ばした手の先に開く必要が……まさか!
俺の予想は、最悪な形で肯定される。
「こうなってしまった以上、わざわざ拠点まで戻る必要はない」
ゲートから降ってきたそれを目にした瞬間、全身の血が凍り付いたような気がした。
ビルの屋上で破壊したライフルと全く同じものが、再び青年の手に収まる。
どこかに用意していた予備を、開いたゲートに落とすことで手元に出現させたのか。これもまた≪ブリンカー≫では不可能な芸当だ。
避ける際に倒れ込んだのは失敗だった。必死に起き上がろうとしたが、体が上手く動いてくれない。先の殴打が未だに響いている。
時間を与えるのは不味い。加速する時間が長ければ長いほど、あの銃は威力を増す。
早く、起き上がれ……!
「この距離なら外さない。僕自身も巻き込まれるだろうが……関係ない」
もがいている間にも、青年は銃口の存在しない銃をこちらへと向けてきていた。
真空下で加速する弾丸は音を発していない。にもかかわらず、次第に高まっていく圧力をひしひしと感じる。
もし天蓋を穿った時と同じ威力を食らえば即死。そこまでの威力がなくとも、時間遡行が使えない今の俺にとってはどちらにせよ致命的だ。
阻止できるのは今しかない。
だから早く立て、早く――
『……いで』
――……あぁ、そうだった。
必死になるあまり、すっかり忘れていた。
「動きが止まっているけど、もう立てないのかい」
「……」
「それが君の限界か?」
「……かも、な」
まさか肯定するとは思わなかったのだろう。
僅かに眉を顰める青年に対し、俺は正直に吐露する。
「こっちの世界に来てまだ一か月だ。訓練もそれなりに頑張ってきたつもりだけど、仲間たちにはまだまだ及ばない……ここまで力を振り絞っても、あんたに届かない」
大きな代償を払ってようやくその姿を掴めたけど、俺一人ではここまでが精一杯だ。
俺の限界は、俺自身が一番よくわかっているんだ……それでも。
「それでも、俺は絶対に諦めない。俺には……夢があるんだ」
「っ!?」
「叶えたい夢が……目指したい未来が、あるんだ」
この世界で知り合った人たちと。
この世界で新しくできた家族と。
この世界で好きになった人と。
笑いあって、共に過ごす。
そんな、幸せな未来を。
母さんと父さんに胸を張れるような、素晴らしい未来を。
「叶えるためなら、俺はどんな理不尽とだって戦う。俺は逃げない……あんたとは違う」
「っ――!」
「兵士だの道具だの、そんなもの体のいい言い訳だ。あんたは結局、自分の意志で戦うことから逃げているだけだ。現実と向き合わず、ひたすら目を逸らしてるだけだ」
「ち、違う。僕は……」
「この世界の人たちは、生まれた時からずっとこの理不尽な世界で戦い続けてるんだ……あんたみたいに捨て鉢にならず、前を向いて生きてるんだよ!」
こんな過酷な世界で彼らが心から笑っていられるのは、自分の人生ってやつを精一杯にやり通しているからなんだろう。
最近になって俺もようやくわかってきた。
だからこそ、許せない。
彼らをろくに見ようとせず、害そうとしたあいつが。
戦いもせず逃げ続けている、目の前の臆病者が。
痛みをこらえるように表情を歪める青年へ、本来の目的すら忘れ俺は問う。
「あんたには……あんたには、本当に何もないのかよ」
「……黙れ」
「叶えたいこともやりたいことも、何一つないのか!」
「黙れぇぇぇぇえええ!」
殆ど悲鳴に近い叫びをあげた青年の指が、銃の引き金にかかる。
衝動的に放たれる一撃がどれほどの威力を持つかはわからないが、食らえば必死であることに変わりはない。
でも問題ない……そうだろう?
「なっ――に!?」
青年の手から突如として銃が弾き飛ばされ、俺の横を通り過ぎて地面を転がる。
彼は気づいていなかった。背後から――死角から回り込むように武器目掛けて放たれていた無音弾の存在に。
『命中確認。次弾は必要?』
「大丈夫だ。後は、俺がやる」
無線で尋ねてくるノインにそう返答しながら、俺はようやく立ち上がる。
「馬鹿な、一体いつから……!?」
「さぁ? 俺も正直驚いてるよ」
何しろ銃を突きつけられていた時、不意にノインから無線が繋がったのだ。
いつどのタイミングで目を覚ましたのかはわからなかったが、彼女は諸々の説明を省きただ短く要請してきたのだ。『三〇秒ほど時間を稼いで』と。
俺が青年に話しかけたのは、彼がやったのと同じ時間稼ぎ。ノインが射撃体勢を整え、スコープを用いず肉眼で弾道を設定するまでの。
相手が予想以上に狼狽え、俺自身も熱くなってしまったのは誤算だったが……結果的に上手くいってよかった。
今回の駆け引きは、俺の勝ちだ。
「こ、の――!」
再びゲートを開いて武器を取り戻そうとした青年目掛け、俺は≪アクセラレーター≫で一気に加速する。
細かいコントロールは考えない。武器はいらない。後のことも知ったことではない。
殆ど体当たりするような勢いで距離を詰めながら、俺は拳を握りしめ――
「あんたもいい加減、向き合え!!」
全力で殴り飛ばす。
頬にめり込んだ拳が振り抜かれ、青年はもんどりを打って地面に倒れ、そのまま数メートル先へ転がっていく。
そして俺自身も殴った勢いのまま、地面へと倒れ込んだ。
起き上がる気力は、もうない。指先一つに至るまで力が入らず、ピクリとも動かない。
意識も、朦朧としてきたな。
『……! ……っ!!』
無線でノインが呼びかけてきているような気がするけど、駄目だ。何言ってるか全然わからない。脳が情報の処理を完全に放棄しかけている。
あいつはどうなったんだろう。加速込みの全力で顔面を殴ったけど、まさか死んだりはしてないよな。ピンピンされてても困るけど……確認しようにも、目蓋が勝手に閉じてもう何も見えない。
少しだけ眠ろう。少しだけ。
……もし目が覚めた時、俺が人じゃなくなってたとしたら。
それは……ものすごく、嫌だな……――
――……ここは、どこだ。
いや、知っている。思い出した。
敵国が保有していた最後の砦。長い戦争に一つの終止符を打つ戦い。
元の世界で見た、最後の風景――
「しっかりしろ! おい……聞こえてるのか!?」
自分の喉から、こんなにも感情的な声が出てるなんて信じられなかった。
だがそれ以上に、目の前の現実を受け止められなかった。
抱えられるがままになっている彼女の身体は異常なほどに軽かった。一人の人間が持つ重量に、到底届いていなかった。
どこだ。どこにあるんだ。
狂ったように辺りを見渡しても、一向に見つからない。
早く見つけないと、このままでは――
「ぅ……ぁ」
腕の中で、彼女がうめき声と共に小さく身じろぐ。
まだ生きている! 意識を繋ぎ止めるために、必死に声をかける。
「僕の声が聞こえるか? 僕がわかるか!?」
「ゆ……きや、くん?」
「あぁ、そうだよ……」
「え、へへ。すごく、変な顔だよ」
誰のせいだと思っているんだ。
そんな文句は浮かびこそすれど、ただただ嬉しかった。
彼女が生きていて、言葉を交わしてくれている事実にひたすら感謝した。
「ねぇ、戦況は?」
「僕らが完全に押してる。ここもさっきまでは交戦区域だったけど、もう前線はだいぶ進んでるから今はほぼ安全だ……君の、お陰だよ」
「そう……なら、よかった」
満足げに息を吐く彼女へ、慌てて呼びかける。
「意識をしっかり保つんだ。すぐに衛生兵が来る。そうすれば絶対――」
「いやいや、無茶言わないでよ幸矢君……」
普段と変わらないままの喋り方と表情で、彼女は変わり果てた自分の体を見やり。
「私はもう駄目。腰から下、丸ごとふっ飛んじゃってるんだからさ」
「まあ、虎の子の機動兵器と兵士一人……いい買い物だったんじゃないかな」
諦念でもなく悲観でもなく、ただ事実を淡々を。
まるで他人事のように告げる彼女の態度に、どうしようもない感情が溢れた。
「何で……っ、諦めるなよ! こうして生きているんだ、まだ助かるに決まってる!」
「あはは、スパルタ極まりすぎだよ……ふつーの人間は下半身失ったら死にますよ?」
「君は普通じゃないだろ!」
「うわ、言ってくれるねーキミ。ちょっと基地の倉庫裏まで顔貸せや」
どこまでも普段通りを崩さないようにしている。
しかし声は明らかに掠れてきて、呼吸も浅くなっていた。目の焦点も次第に合わなくなっている。
素人目に見ても、刻一刻と彼女が死に近づいているのがわかってしまう。
「……顔でも、何でも貸すよ」
だとしても、信じたかった。
彼女が生き残る可能性を――希望を捨てたくなかった。
「だから……頼むから、死なないでくれよ……」
溢れた感情が熱となって、目から零れる。
彼女の顔に落ちた雫は、煤と血を洗い落としながら地面へ伝い落ちていく。
「……ねぇ、幸矢君」
かけられた声は、ここが戦場とは思えないほどに静かで。
浮かべている表情は、死にかけの人間とは思えないほどに穏やかだった。
「私ね……星を、見たかったんだ」
「っ、星……?」
「雲一つない、満天の星空……子供の頃に本で見てから、ずっとそれだけが憧れだった。この目で星を見ることが、私の夢なんだ」
「……何で今、そんな話をするんだ」
頭で理解はしていても、問わずにはいられなかった。
言っていたはずじゃないか。自分の夢を教えるのは、こちらが夢を思い出したらだと。
それまでは秘密だと、言っていたじゃないか……!
「僕はまだ、思い出せていない……なのに、どうして……っ」
「今言っておかないと、墓場まで持っていっちゃいそうだったからさ……それにね。もしかしたら、わかっちゃったかも」
「わかったって、何を……?」
「幸矢君の夢」
今度こそ、言葉を失うしかなかった。
自分でどれだけ頑張ってもわからなかったのに、彼女にはわかってしまったのか?
理解が追いつかないまま、彼女は言葉を紡ぎ続ける。
一度口を閉じれば、きっと二度と開くことがないから。
「考えてみれば、単純だったね……幸矢君、ずっと私と同じ場所を見てたんだもん。同じ方向を見ていたから、自然と惹かれて……あの時、声をかけちゃったんだなぁ」
「同じ、場所?」
「空……見てたでしょ?」
「――っ!」
「雲の向こう側にあるものを、無意識の内に求めてたんじゃないかな……私と、一緒でさ」
それはまるで、夜の闇を打ち払うかのような衝撃だった。
蘇ったのは、まだ戦場へ赴く前の――兵士となる前の、ただの子供だったころの記憶。
父の書斎で偶然手に取った星座の図鑑に心を奪われ、それが実在すると知った時の感動。
消えない雲で覆われた空の向こう側にある輝きに想いを馳せ。
いつかこの目で見たいと強く望んだ、そんな過去――
「私が星って言った瞬間、ちょっと反応変わったし。これは確定だなって」
「……もっと、早く思い出せていればよかった」
「どうして?」
「もっと早く思い出していたら、こんな形で君の夢を知ることはなかった……どんな手を使ってでも、君と一緒に……!」
「分厚い雲をぶっ飛ばしてくれてた? 流石にそれは無理でしょ……でも、嬉しいな」
彼女は言葉に違わず、本当に嬉しそうな顔で。
「大好きな人が同じ夢を見てくれているって、贅沢すぎるよね……本当に、死んじゃってもいいくらい」
「縁起でもないことを言うな……僕は、まだ君に何も返せて……」
「十分、返してもらったつもりだけどなー。一緒に夢を追う楽しさとか、女の子として愛される幸せとか……じゃあ、そこまで言うなら一つ約束して」
「約、束?」
「うん、約束」
腕の中の彼女がそっと伸ばしてきた手が、涙で濡れた頬を撫でる。
子供をあやす母親のような優しい声色で、彼女は言う。
「夢を捨てないで。幸矢君の生きる意味を、決して忘れないで」
それは……最も残酷な願望。
「どんなに辛くても、寂しくても、絶対に逃げちゃダメ。戦い続けて、勝ち取るの。諦めなければ……いつかきっと、叶うから」
残されていく者に対する、あまりにも身勝手な望みだった。
「……ずるいだろ。そうやって、全部僕に押し付けていくのか……っ」
「せめて託すって言って欲しいなぁ……心苦しいけど、最期のお願いだから、ね」
「…………わかった」
長い沈黙を経て、彼女の望みを受け入れる。
だが……足りない気がする。
たったこれだけで、本当に報いることができるのか。
ふと湧いた疑問から、決意を新たにして告げる。
「星を見に行こう……あの雲の向こう側まで」
「雲の……向こう?」
「見上げるだけじゃ物足りない。雲を超えて、空を飛び出して……星の海を泳いで回るんだ」
まさしく子供が見るような夢だった。
宇宙開発なんてとうの昔に打ち切られている。仮に戦争が終わったとして、その復興にどれだけの時間がかかるのか。
再び人々の目が宙へ向いた時、果たして幸矢は生きているのか。
あまりにも現実味が無くて、一笑に付されるような願い。
「……素敵な夢、だねぇ」
だけどそれを聞いた彼女は、どこまでも安らいだ表情をしていて。
「なら、私は……一足先に、お月さま辺りまで、いって……」
最後まで、楽し気な顔をしていて。
「待ってる、ね……幸矢、君……――」
まるで眠りに落ちるかのように……息絶えた。
「……うん、待っていてくれ」
動かなくなった彼女を、そっと地面に横たえた。
まだ戦争は終わっていない。遺体を抱えたまま戦うことはできない。
代わりに彼女が身に着けていたドッグタグだけ――彼女がここにいたという証だけを首にかけ、立ち上がる。
生きるためには……夢を叶えるためには、まず勝たなければ。
「戦い続けるんだ。どれだけ道が過酷だろうと、決して諦めるな」
受けた言葉を反芻し、己を鼓舞した。
辛い道のりだ。死んでしまった方が楽かもしれない。
しかし、彼女との約束がそれを許さないというなら。
逃げることが、できないのならば。
「生きて、向き合うしかない。そうだろう……飛鳥」
タグを強く握りしめた手で乱暴に目を拭い、立ち向かうべき現実を決然と睨みつけ。
未だ銃弾と怒号が飛び交う戦場に向かって、一歩踏み出し。
砕けた空と〝叫び〟を最後に、あの世界での記憶は途絶えた――
「……そう、か」
意識が戻ってすぐ、後ろ手に手錠のようなものを嵌められているのに気付いた。
そして眼前に突き付けられたライフルの銃口を見て、幸矢は苦笑する。
「僕は、負けたんだな」
「そう。あなたの負け」
銃を突き付けていた少女――ノインは幸矢の言葉を淡々と肯定した。
影の傾きからして、気を失っていた時間は五分にも満たない。だがそれだけ時間があれば、ビルから降りて幸矢を拘束するのは容易いだろう。
無論、こんな拘束には意味なんてない。
幸矢の持つ能力が最も力を発揮するのは逃走においてこそ。一たびゲートを開きさえすれば、地球の裏側にだって逃げられる。
もっとも、それをノインが許してくれればの話だ。
「少しでも不穏な動きを見せたら、容赦なく撃つ。小官はハルチカほど甘くない」
「だろうね。君は、兵士なんだろう?」
幸矢の問いかけに、ノインは小さく頷く。
ファーストコンタクトの時点で、幸矢はノインに対して自分と同じものを感じていた。
命令さえあれば……必要ならば人間だろうと殺すことを躊躇わない、兵士の気配。
しかし、今思えば勘違いもいいところだ。
「でも兵士である以前に、戦士だったんだな……君も、彼女や彼と同じ」
「……?」
「君たちだけじゃない。この世界に生きる誰もが、戦士だった……生きることから逃げていた兵士は、僕一人だけだったんだ」
幸矢は二人の少年たちに負けたのではない。
この世界に生きる全て……世界そのものに敗北したのだ。
何て、分の悪い勝負だったのだろう。
ふと視界の端に、丁寧に横たえられた晴近が映ったので尋ねる。
「彼は……晴近君は、無事か?」
「……」
どうしてこんなことを問われているのか理解できないのだろう。
若干困惑した様子を見せながらも、警戒は解かないままノインは答えた。
「まだ寝てる。命に別状はない、けれど」
「ならきっと大丈夫だ。生きているなら、じきに目を覚ますと思う」
「何故そう言える」
「そう教わったから、としか言えない」
転移者関連の情報は、全て博士からレクチャーされたものだ。
一度聞いたことは忘れない幸矢だったが、次元に関する基礎的な知識を欠いた状態ではノインの質問に自信をもって答えることはできない。
解決方法は単純明快だった。
「僕自身、どこまで理解できているかは怪しいから……正しい知識を持った人間と話せば、確証が得られるかもしれないね」
「……不気味なくらい協力的で不可解。何が目的?」
「目的、か」
当然と言えば当然の反応だった。
ついさっきまで全力で殺そうとしてきた相手が、急に敵意を消して情報を提供しようというのだ。疑わないほうがおかしい。
幸矢は素直に答えることにした。
言葉を変に飾る必要はない。
心が求めるままに、言えばいい。
「僕はね、宇宙飛行士になりたいんだ」
……。
…………。
「………………意味不明」
ノインが半眼で返事をしてくるまで、だいぶ長い沈黙があった。
彼女なりに、幸矢の返答が意味するところを検討したのだろう。
結局無駄に終わったようだが。
「無理もないか……あははっ」
なんだかおかしくなって、幸矢は笑う。ノインが一層得体のしれないもの見るような目を向けてくるが、気にしない。
心はどこまでも晴れやかで、何もかもが愉快だった。
「思い出したんだ。僕が何のために戦っていたのか……兵士としての義務じゃない、自分だけの戦う理由を。君にもあるだろう?」
「……ある。当然のこと」
「僕はついさっきまで忘れていたんだ。大切な人との約束を破って、失ってしまっていた……だけど、もう見失わない」
諦めなければ、いつかきっと叶うから。
彼女の……飛鳥の言葉を、再び胸に刻み込んで。
「精一杯、この世界で生きてみたいと思う。それが僕がしてきたことに対する一番の罪滅ぼしで……僕を生かしてくれた彼に対する最大の礼儀だと思うから」
「……そう」
ノインは小さくため息をついて、銃口を降ろした。
一応は信用してくれたのだろうか。手錠は付けたままで、完全に警戒を解いたわけではなさそうだが。
晴近の様子を見るように幸矢へ背を向けたまま、ノインはサラッと言い放つ。
「地下都市まで帰投する。早くゲートを開いて」
「え」
要求を理解するのに、一瞬だけ思考の空白があった。
顔面にいいのをもらった上に全身の負傷も響いている。正直言って起きるのも辛い。
それに自分で言うのもあれだが、直前まで敵だった相手を信用していいのか。
ノインもその辺はわかっているだろうが、表情一つ変えず述べる。
「小官が晴近を背負って移動するのは厳しい。あなたの拘束を解くわけにもいかない。でも使えるものは使う。協力するというなら問題ない」
「ご、合理的だね」
「いいから働け」
「はい」
自分よりも年下の少女に低めな声で命令され、幸矢は痛む体に鞭打ち立ち上がる。
こっちでも便利な移動手段扱いなのか。
文句を言える立場ではないが、少しやるせない。
黄昏るように幸矢は空を見上げる。
天気は昨日から続いて曇り。しかし空を疎らに覆う雲の隙間に、うっすらと太陽の輪郭を捉える。
今は昼前だろうか。陽が沈む頃に雲が晴れていれば、もしかしたら月が見えるかもしれない。
……世界が変わっていても、彼女は待っていてくれているだろうか。
一瞬過ぎった不安は、すぐに消えた。
「大丈夫か。飛鳥は普通じゃないし」
――おいまたディスったな? ちょっと月の裏まで顔貸せや。
彼女が文句を言う姿が、ありありと目に浮かび。
幸矢は堪え切れず、また笑うのだった。




