Chapter04-1 夢と向き合う現実
「――っ、ノイン!」
思考が追いつくより先に、体の方が動いた。
仰け反るように倒れかかったノインの身体を支える。全身に力が入っていないのか、ずしりと体重がかかってくる。
「おいノイン! しっかりしろ、ノイ――」
顔を覗き込んだ瞬間、背筋が凍り付き喉が引き攣った。
額から血が流れ出て……頭を撃たれたのか!?
でも呼吸はしている。生きている。意識はないみたいだが、死んではいない。
落ち着け。今の攻撃は何だ、一体どこから……いや、そんなの決まり切っている。
「ぐ……ごほっ」
せき込む音に顔を上げてみれば、倒れていたはずの青年がよろめきながら立ち上がっているところだった。
へし折れた右腕は力なく垂れさがり、足取りもどこか覚束ない。左手に握られた大口径の拳銃からは硝煙が細く立ち昇っており、あれがノインを撃った凶器だとわかる。
どこからどう見ても満身創痍だ。かなりの勢いで叩きつけた自覚はある。腕だけでなく、他にも数か所骨折していてもおかしくない。
それでも青年は立っていた。
俺たちの前に、立ちはだかっていた。
「お前……気絶してなかったのか!」
「いや、しっかり気絶していたよ。奥歯に強心剤を仕込んでいなかったら起きるのはもう少し遅かったろうけどね」
そう言って青年は口から何かを吐き捨てる。転がっていく小指の先程度のカプセルらしき残骸は、噛みつぶされたように大きく歪んでいた。
完全に不意を打ったと思ったのに、倒した時点で既に対応されてたのか。
「……どんな反射神経してやがるんだ」
「反射神経ならその子も大概じゃないかな」
俺の呟きを耳ざとく聞き取ってか、彼はノインを見ながら苦笑した。
「本当は目を狙ったつもりだったんだ。マグナム弾なら当たり所次第で≪アブゾーバー≫を突破できると思ったんだけど……ゲートを目の前に展開された瞬間、額で受けに来るとはね」
そうだった。こいつは銃口の向きや体勢に関係なく、ゲートを通じて好きな場所に銃弾をぶち込めるんだ。ノインが撃たれる瞬間まで反応できなかったのは無理もない。
しかし流石というべきか。ノインは避けられないと悟るや、比較的硬い箇所で食らう判断を下したらしい。
結果的に気絶はしたものの、命を拾っている。味方ながら恐ろしいな。
「まだ若いのによく訓練されているよ……お陰で僕は、相手を一人削れる最大の好機を逃してしまった」
「そりゃ残念だったな。言っておくが二度目はないぞ。少しでも不審な動きを見せたら、銃を持ってる腕を斬り落とす」
「下手な脅し……でもないか。君なら後でいくらでもくっつけられるだろうし、可能か不可能かで言えば可能だろうね」
「この距離ならあんたが引き金を引くよりも、俺が近づいて剣を振る方が速い」
さっきの反動からしてこれ以上能力を使える気はしないが、こうして正面から対峙している限りは相手の不審な動きを見逃すこともない。≪アクセラレーター≫は既に起動済みだ。
それでも避けられる可能性はあったが、手負いの状態では最初に接敵した時のような動きはできないだろう。おまけに、最大の脅威であるあの武器も破壊した。
満足に動けず、決定打も持たない彼にもはや勝ち目はない。
だからこそ、俺はノインをそっと足元に横たえてから青年に告げる。
「大人しく投降してくれ」
「……」
「あんたの怪我だって決して軽くはない。このまま戦い続けたら……」
「この期に及んで敵の心配、か――げほっ」
血の混じった咳をつきながら、青年は皮肉気に笑った。
「どこまでも甘いな……そんなに人を殺すのが嫌かい?」
「当たり前だろ! 俺は、そんなことのためにガーディアンになったんじゃない」
「だろう、な。君は平和な世界で育ちながらも、この世界で人々のために戦っている……さしずめ戦士とでも呼ぶべきかな。兵士でしかいられない僕とは大違いだ……だけどね」
青年の笑みが消える。
向けられてくる瞳は、敵対者としてのそれ。
紡がれる言葉は、決して相いれないのだという最後通告だった。
「戦士では兵士に勝てない。その甘さを捨てられない限り……君は何も守れやしない」
雰囲気が変わった。仕掛けてくる!
俺は弾かれるように武器を構え、一歩下がる。あいつの銃撃は銃口の向きに縛られない。ノインを背後に庇った状態では、彼女を狙い撃たれる可能性があった。
彼我の距離は約十メートル。俺なら一瞬で詰められる。
「……悠長に構えているけど、いいのかな」
「何?」
「逆に尋ねるけど――」
「僕が何の意味もなく、君との会話に付き合っていたとでも?」
――――まずい。
兎にも角にも踏み込む。加速した体は一息で開いていた間合いをゼロにし、意識が追いつくよりも早く腕が動きだす。
それでも遅かった。
タッチの差で青年の左手が閃き、右手首に巻かれた腕時計のようなものに触れる。
次の瞬間には消失していた。ゲートを潜った様子はなく、目の前から忽然と姿を消す。
振りぬいた刃に手ごたえはない。
だがさっきと違って、偽装が解けて姿を現したりしない。完全な空振りだった。
「くそっ、やられた!」
慌ててノインの側まで退き、激しい後悔に俺は歯噛みする。
あれほど俺の問いかけに取り合おうとしなかった青年が、自分から語り掛けてきたこと自体がおかしかったんだ。
目的は恐らく、あの装置を使うための時間稼ぎ。
この世から消える力はやはり装備によるもので、再び使用するまでにインターバルが必要だったんだろう。不意打ちでノインを仕留め損ねた以上、彼が俺を相手に有利を取るには会話を引き延ばすしかなかった。
まんまと引っかかった俺も馬鹿だ。
相手は変異体じゃなくて人間だぞ。駆け引きくらい仕掛けてきて当然だろうが……!
「どこだ……どこにいる……」
必死に気配で位置を探ろうと試みるが、何もわからなかった。
気配を探ると言っても、生き物が発する僅かな音や空気の流れを研ぎ澄ませた五感で察知しているに過ぎない。第六感などという曖昧なものではなく、技術的なもの。
相手の力はそれら全てを隠すのだから、通じるはずがない。
完全に形勢が逆転してしまった。
さっきの反動を鑑みて、次に能力を使えばほぼ確実に俺は気を失う。そのリスクを冒して発動しても、経験則的に十秒もてばいい方。
だが肝心のタイミングは完全に相手次第という最悪の状況だった。
奇跡的に相手の攻撃に合わせられたとしても、一回凌いだところでどうするんだ。あの拳銃に何発弾が入ってるかは知らないが、少なくとも二発撃って終わりなんてことはないだろう。
いつ来るかもわからない攻撃を警戒し続けるのは精神的にきつい。時間遡行による回復すら使えるか微妙な状態なのも焦りに拍車をかけている。
もしかしたら既にこの場からいなくなっている可能性もある。考えようによってはこっちの方が最悪だ。あの青年相手に同じ手が二度も通用するとは思えない。奴にゲートの能力がある以上、いつどこで不意打ちされるかもわからない状況に陥ってしまう。
ここで逃すのはあまりにも危険すぎる。
どうすりゃいい。考えろ。考えてどうにかなる問題かはわからないけどとにかく考えろ。
無数の案が浮かんでは消えていく。
能力を使っていないにもかかわらず、一秒が永遠に思える思考の密度。これまでの経験や知識――元の世界にいたころの記憶まで遡り手がかりを求める。
広大な砂山から一粒の砂金を探るような途方もなさだ。だとしても諦めるという選択肢は存在しない。
さっき破壊した銃が≪アクセラレーター≫を利用したものとノインが推理したように、奴の使う次元兵器はプロトタイプの流用か、何らかの既存技術を応用したものになる。フューリー以外に新規の次元技術は開発できないのだから。
ならば、俺は知っているはずだ。
物体を影も形も無くしてしまう、そんな技術を――
『近年では我が祖父ローグ・バレンタイン博士による零次元圧縮が革命的な――』
『対象となる物体から体積と質量を消してしまうの』
『本体には存在情報と質量や体積の数値データが保存されて――』
『生物以外の物を、重量や大きさを無視して収納できる』
「……≪タグ≫だ」
――辿り着いた。
俺がこの世界に来た初日……一か月も前の会話に答えがあったんだ。
≪タグストレージ≫。もはや使うことが当たり前になりすぎて、細かい原理なんて意識もしなくなった次元技術。
装置の肝となっている零次元圧縮は、質量や体積といった物理情報を数値データに置き換えて、一時的にこの世から消し去る技術だったはず。
正しく、相手が使った能力と一致してるじゃないか!
「灯台下暗しってか。いやでも普通想像しねえだろ……」
運搬のための技術を戦闘に応用。それも対人用の兵器にするなんて発想はなかった。あれを誰が作ったかは知らないが、とんでもなくひねくれてるに違いない。
でもこれで隠蔽の正体はわかった。同時に弱点も。
≪タグ≫は一見して物体が消えているように見えるが、実際にはそこにある。零次元圧縮という名の通り、零次元の情報を基準に他の情報を圧縮している。
つまり……存在だけは絶対に消せない。
存在しているという事実すら消えてしまえば、もはや人々の記憶や歴史にすら残らない。
そして種さえわかってしまえば、やるべきこともはっきりする。
しかし実行するには少々……否、かなりの覚悟が必要だった。
失うものは大きい。多大なリスクを冒してなお、俺が望む結果が得られるかも怪しい。あまりにも分の悪すぎるギャンブルだ。
「嗚呼、怖いな畜生」
零した言葉に反して、心は驚くほど静かだった。
怖いのは間違いない。上手くいかなかった時のことを考えると足が竦みそうになるし、出来ることなら今すぐにでも逃げ出したい。
……だけど。
『誰にも春近を化け物なんて言わせない。誰よりも孤独で、誰よりも苦悩して、それでも前に進もうとしたあなたを、例えあなた自身にも否定させはしない!』
「いつだって俺の背中を押してくれるんだな……君は」
あの子の言葉は、いつだって俺に力を与えてくれる。前に進む勇気をくれる。
逃げるわけにはいかないんだ。
東京の人々が危険に曝された。大切な仲間を傷つけられた。
このままあいつを放っておけば、きっとまた繰り返される。ここにはいない、都市にいるみんなにまで魔の手が伸びるかもしれない。
そうなってから後悔するなんて、絶対に嫌だ。
辛い現実から逃げるな。
真正面から向き合うんだ。
俺は……あいつが言った通り、戦士なのだから。
◇
「はぁ……はぁ……ぐっ」
呼吸をするたび生じる肺を絞られるような痛みに耐えながら、幸矢は重たい体を引きずる。長い時間をかけてビルの屋上から一階まで降り、ようやく外の通りに出た。
拠点へ向かって歩きながら自分の状態を再確認する。
叩きつけられた際の衝撃で右腕と、肋骨の幾つかを骨折。特に後者が肺を浅く傷つけたようで、大事には至ってないが少なくとも元気に走り回れる状態ではなかった。
どちらにせよ≪ヒドゥンコート≫のゼロフィールドは急激な動きに耐えられない。安全に逃げ切るのであれば、このままゆっくりと移動するのが賢明だった。
本当はゲートを使って移動するのが一番手っ取り早いが、展開から通過までに今の体では数秒かかる。その間に何かの間違いでゲートを発見されれば、先の瞬間移動で一気に詰められてしまう。万全を喫するならば、このまま徒歩で距離を取るべきだ。
屋上から幸矢が姿を消した時点で晴近の行動は大幅に制限されている。あの性格ではノインを置いて捜索には出れないだろうし、いつどこからくるかわからない攻撃を警戒して勝手に消耗していく。
斬りかかって来た時に≪アクセラレーター≫の加速しか使っていなかったのを見るに、恐らく能力の方は限界。仮に使えたとしても一回限りといったところ。
この予想が正しければ、晴近はより慎重にならざるを得ないだろう。
「一〇分でも稼げれば御の字かな……拠点が近くて助かった」
拠点にさえ戻ることができれば、予備の武器がある。≪サジタリウス≫の最高出力ならば、時間遡行を使わせる間もなく消し飛ばせる。最初からそうしなかったのは、クラウスたちにもしものことがあった際にフォローする余力が欲しかったから。
しかし、意識が戻って程なくしてクラウスから暗号通信が届いていた。
『任務完了』――即ち、彼らは既に東京を引き払っている。
報告を受けた時点で、幸矢の任務は最低限果たされていた。これ以上戦わずとも、今この時点で戦域を離脱したところで何の問題もなかった。
……なのに。
どうして、戦い続けているんだ?
戦争に意味はない。戦場を駆ける兵士には戦う意味なんていらなかった。血に塗れながら命を摘み取る。ただそれを繰り返すだけの道具。
だが彼女は違った。
誰よりも優秀な兵士でありながら、誰よりも人間らしかった。
叶えたい夢があった。叶えるために、死に物狂いで戦っていた。だからこそ、あんなにも強かったのだろう。
そんな彼女を側で見ていて、変わったはずだ……変わった、はずだったのに。
まるで欠けて落ちたかのように、記憶が曖昧になってしまっている。何よりも大切だった筈の記憶を、全く思い出すことができない。
転移者は完全な存在ではない。人としての姿や理性こそ保っているが、その本質は変異体よりも曖昧だ。存在情報の一部が欠けたままなのだから。
記憶は戻らないのだろうか。もしそうだとしたら……一生、兵士でしかいられない。
幸矢は己を心底憎悪した。過去の忘却は、自分を人間にしようとしてくれた彼女に対する冒涜でしかなかった。
やがてどうあがいても思い出せないと悟り、それからはただひたすら諦念だけが渦巻いている。生きる世界が変わったところで、結局自分は命令に従うだけの道具。彼女のような人間にはなれない。
終わりにしようと思った。
与えられた役目を果たした後は、どうなろうと知ったことではない。
用済みになった道具らしく朽ち果てようと。
「何を、してるんだろうね」
手にしている拳銃へ一瞬だけ視線を投げ、幸矢は苦笑した。
世界移動の際に持ち込んだ数少ない私物の一つ。弾丸が一発だけ込められた、自決用のマグナム拳銃。元の世界も死体の脳髄から情報が取れる程度には科学が発展していたからこそ、利用されないためには徹底して頭部を破壊する必要があった。
死ぬための手段だったのに、結局敵を殺すために使ってしまった。
捨ててしまおうかと思ったが、思い止まる。
弾が入っていなくてもブラフにはなる。通常の拳銃より重厚なグリップは鈍器にもなるし、持っていて損はない。
自殺する気は既になかった。先のこともどうだっていい。
兵士として、あの戦士を打ち負かす。
殆ど八つ当たりに近い意地だけが今の幸矢を動かす原動力だった。
「……ん?」
屋上を去ってから五分後。
自身を取り巻く環境が変化したのを、幸矢は敏感に感じ取る。
僅かに肌を撫でていた空気の流れが死んだ。正確には、止まったというべきか。
風が凪いだというには、あまりにも唐突過ぎる。目を凝らしてみれば、空気中に舞っていた粉塵が不自然に静止している。
「時間停止か」
既に体験していたからこそ、答えはすぐに出た。
能力自体は理不尽極まりないが、同じ転移者に対しては全くもって意味をなさない。この場においてはただ負担だけが大きいだけの無駄撃ちだ。
結局何も起きないまま、再び空気に流れが生じ始める。時間停止が解けたのだ。
追い詰められたあまり錯乱したか?
戦場の狂気に当てられた新兵は時に突拍子もない行動を取るが、その類だろうか。
何にせよ警戒するに越したことはない。
念のため幸矢は晴近たちがいるビルの方へと振り返り。
飛来してきた見覚えのある刀が、数メートル先の路面に突き刺さるのを目にした。
「なっ……!?」
咄嗟に飛び退きそうになったのを、精神力を総動員してその場に留まった。
激しい動きをすれば≪ヒドゥンコート≫が解除されてしまう。もしかしたら錯乱の一環で適当に投げた武器が、偶然近くに飛んできただけかもしれない。
……しかし、本当にそんな偶然があり得るのか?
予想に疑問を覚えている間にも、刀の側に晴近が転移してくる。先ほど見せた武器の位置に移動する技だ。
幸矢は動けなかった。
見えているはずがない。ついさっきまで、確かに彼はこちらを認識できていなかった。
見える、はずが――
「無駄だ」
俯いたまま、それでも確実に幸矢へ向かって投げかけられた声。
「見えているぞ。少し先で立ち止まっているのも……今、一歩後ろに引いたのも」
「馬、鹿な。君は、まさか……!」
完全に動きを把握されている。サイラムと同じように、彼には見えている!
幸矢はようやく理解した。
どうして晴近が負担が大きいだけの時間停止を使ったのか。
こちらを見もせずに、その存在と動きをどうやって把握したのか。
晴近が近づいてくる。限界を超えた能力の使用によって覚束ない足取り。
今にも倒れそうな有様でありながら、幸矢は彼が恐ろしくて仕方がなかった。
「何故だ……何故君はそこまでしてっ!」
「そんなの、決まってるだろ」
下がっていた頭が上がる。
露になった晴近の顔を見て幸矢は絶句する。
彼の右目は、文字通り目の色が変わっていた。
日本人らしい黒色の瞳が、目も眩むような金色に。
「さっきあんたが言った通りだ。俺は、この世界の人を守るためなら……みんなを守るためなら、何だってしてやる」
左右で異なる色の目は、しかしどちらも真っすぐに幸矢を射抜く。強靭な意思の光を秘めた視線に気圧され、更に一歩後ずさる。
それに対して、晴近は――
「何にだって、なってやる!!」
更に一歩、前へと踏み出してきた。




