幕間 追憶の空
物心ついた時から、世界は戦火に包まれていた。
何が発端だったのかはわからない。
漠然と理解していたのは、国という国が互いに憎しみ合っていたこと。もはや当初の理由なんてどうでもよく、相手を滅ぼすことしか考えていなかったのかもしれない。
もしまともな国家が戦後に残っていたとしたら、第三次大戦と名付けられたであろう泥沼の総力戦。戦争の長期化に伴って人的資源の消耗に拍車がかかり、新たに発令された徴兵令は小学生未満の子供をも戦場へと駆り立てた。
大人も子供も、その命は等しく無価値だった。
生き残れたのは殺される前に殺した者のみ。殺戮装置としての兵士だけが戦場から帰ってこられる。
それを生きていると言えるかは甚だ疑問だったが、そうする他になかった。
向かってくる敵兵を射殺した。死にたくなかったから。
狙撃手の喉を掻き切った。味方が殺されるから。
捕虜を撃った。体に爆弾が巻かれていたから。
敵側のシェルターを爆破した。避難民から敵が生まれるかもしれないから。
命を一つ奪うたびに、己の中で何かが擦り減っていく。死への恐怖は薄れ、自分の命よりも仲間の命よりも、作戦上の勝利のために引き金を引くようになる。
同じ時期に部隊へ配属された五〇人以上の子供は、気づけばたった二人しか残っていなかった。誰よりも多くの血に塗れた二人だけが生き残った。
その頃には、殆ど兵士として完成しつつあった。戦場でなくても感情は動かず、機械的に生きるという行為を繰り返すだけ。
自分を含め、当時の兵士たちにそれを疑問に思う者はいなかった。
……ただ一人。
生き残った子供のもう片方――誰よりも徹底した兵士でありながら、誰よりも人間らしく夢を語った彼女を除いて。
「ねぇ、何を見てるの?」
その日は珍しく、遂行すべき任務がなかった日。
つまり兵士としては何もすることがない日で、当てもなく駐屯地の外周を歩いていたら偶然遭遇してしまったらしい。
正直に言って彼女のことは苦手だった。
同じ兵士なのに、明らかに何かが違ったからだ。
「別に、何も」
だからその場も適当に切り上げ、退散しようとしたが。
「いや思いっきり見上げてたじゃん空。でも確かに何にもないなぁ」
残念なことに、彼女はしつこかった。わざわざ目線が近くなるよう側まで寄ってきて空を見上げる始末だ。距離感が独特な少女だったと思う。
彼女の言う通り、見上げた先には何もない。
長年の戦火が巻きあげた粉塵や排気ガスが大気を汚染し、太陽光を八割以上遮ってしまうほどの分厚い雲が天を覆ってしまっているからだ。
「雲なんか見て面白い? 幸矢君って変わってるね」
「癖みたいなものだよ。気づいたら見上げてるんだ」
離れる気はないと悟り、追い返すのを諦めてそう告げる。
自分でもいつからかは把握していない。例えそこが戦場であろうとも、ふとした瞬間に視線が空へと吸い寄せられることがある。直そうとはしているが、上手くいかなかった。
何度見たってそこには兵士たちの目と同じ、濁った雲があるだけなのに。
「癖ねぇ。うーん……もしかしたらだけど」
しばらく考えるような素振りを見せてから、彼女は空を指さして。
「あの雲の向こう側に、幸矢君の欲しいものがあるんじゃないかな?」
「欲しいもの?」
「きっと無意識の内に求めているんだよ。心当たりはない?」
「……わからない。あまり昔のことは覚えてないんだ」
徴兵される前の記憶は曖昧だった。兵士として自身を研ぎ澄ませていく内に、不要なものとして削ぎ落されて行ってしまったのだろう。
「思い出せないなら、そこまで重要なことではないんじゃないかな」
「えーそんなことないって。絶対に思い出すべき!」
「どうしてさ」
「だって一番重要な部分じゃない。何のために生きるかって」
彼女が当然のように言っていることが、理解できなかった。
兵士個人の生きる理由なんて必要ない。国家のために生き、国家のために死ぬ。それが全てではないのか。
そもそも、それを最も正しい形で体現しているのが目の前にいる少女だったはずだ。戦場における彼女はどこまでも苛烈で、戦績は同じ部隊内のみならず全兵士の中であっても上位に位置する。
しかし彼女はそんな兵士らしさをおくびも出さず、光を宿した瞳で見上げてくる。
「私には夢がある。この手でそれを叶えるまで、絶対に死んでなんかやらない。その為には戦争を終わらせなきゃいけないから、全力で戦うけどね」
「夢……君の夢って、一体――」
「それはヒミツ。私だけ教えるなんてフェアじゃないでしょ」
尋ねようとした言葉を遮り、彼女は悪戯っぽく笑う。
からかわれいるようだが、不思議と不快ではなかった。むしろ胸の隙間が埋まっていくような……欠けていた何かが戻ってきたような、そんな感覚。
「だから一緒に探そ? 幸矢君が忘れちゃった、幸矢君の生きる理由。もし思い出せたら、私のも教えてあげるからさ」
何かを欲する心。知りたいという欲を自覚した瞬間。
彼女の誘いに、声もなくただ頷いた。
あの時の自分は、果たして兵士だったのか。
それとも……――
――それから、どうなったんだっけ。
思い出せない。記憶が欠け落ちている。ピースの足りないパズルを眺めているような違和感。探そうにも脳の働きが鈍く、泥の中を泳いでいるようだ。
けれども、一つだけハッキリとしていることがある。
まだ終わっていない。
戦争は……戦いは終わっていない――
希釈された意識の中。
迫る脅威に対し、兵士の指は機械的に動いた。




