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次元都市アクシス  作者: 七夜
03 天蓋都市・東京
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Chapter02-5

 シャワールームから部屋に戻った途端、俺は憚ることなくベッドに倒れこむ。

 別に、体調が悪いわけではない。

「はぁぁ……疲れた」

 シーツに顔を埋めたまま呻く。身体的というより、これは精神的な疲労だ。久々に学生らしく授業を受けたり、起きたノインに理不尽な怒りをぶつけられたり、昼休みにも質問攻めにあったりと。昨日とはまた違った意味で濃い一日だった。

 午後の授業の後、そのまま食堂で夕食を終えて解散。こうして部屋に戻ってきた以上、後は明日に備えて寝るだけ。

 だがどうにも眠れる気がしない。普段寝ている時間よりだいぶ早いというのもあるが、頭の中で今日一日のことがぐるぐると巡り続けているせいだ。

「……みんな、初めましてだったな」

 直接そう言われたわけではないが、少なくとも今日会った生徒たちは全員俺を初対面の人間として扱った。俺から見て初対面だったのは、その内の半分くらいか。たった一日でここまで参ってしまったのは、彼らに合わせて俺もさも初対面であるかのようにふるまい続けたからかもしれない。

 一方で、この程度で済むのかというささやかな驚きもあった。

 今までさんざん情けない様を晒してきた自覚はあり、東京へ来る前も危惧したものだ。俺のことを知る筈もない彼らに対し、何故覚えていないのかと理不尽な怒りや悲しみを抱くんじゃないのかと。

 蓋を開けてみれば、こんなものだ。多少思うところはあったものの、思った以上に割り切れている自分がいた。

 両親を斬った時は、こうも簡単にはいかなかった。比べるべくもないが、友人たちのことだって同じくらい大切だと思っていた。形は違えど、こっちの世界に来たことで失った事実は同じなのに。

「俺って、薄情なのかな……それとも――」

 薄情な何かに、なりつつあるのか。

 口をついて出かけたそれを無理やり飲み込み、ため息交じりに寝返る。ついでにベッドの上に放ってあったスマホを手に取って電源を点けると、液晶の放つ輝きが俺の顔を照らした。

 ホーム画面に並ぶアイコンの中から、何となく緑色のチャットアプリを選択して起動する。一覧で表示されたいくつかのログは、どれもひと月前――俺がこの世界へ渡ってきた、四月二三日の時点で止まっている。

 正しく、そこにある会話は時間が止まっていた。

『求ム。明日提出の課題の答え』

『自分でやってどうぞ』

『だから早い内にやっとけとあれほど』

『報酬は三郎ラーメン』

『チャーシューは?』

『割増しで』

『よし乗った』

 特別でも何でもない、他愛のない会話だ。

 そんなやり取りが、今ではこの上なく特別で。

『帰り少し遅くなるから洗濯物入れておいて』

『了解』

『ねーこの前録画した競馬どこ?』

『ドラマ予約するとき、容量足りなくて消しちゃった』

『(この世の終わりみたいな顔文字)』

『どこで買ったんだよそれ……』

 もう二度とかわすことのできない言葉も、当たり前のように残されている。

 順繰りに見ていく内に、胸の奥からじわりと痛みが広がってきた。辛い。寂しい。苦しい。心を占めていくそれらの感情から目を背けず、向き合う。

 見て見ぬふりをしたところで、いずれ決壊するのは目に見えていた。

「いつまで経っても未練がましい。だけど……それが俺だ」

 それでいいんだと、受け入れてくれる人たちがいたから。

 俺は俺のまま、この世界で生きていられる。

 ……うん、これでいい。

 頭の中でこねくり回し続けていたことに、ようやく一つの解を得た。靄が晴れたようにスッキリしていて、今なら気持ちよく眠れそうだ。

 画面の電源を落としたスマホを枕元へ放り、俺もそのまま眠りにつこうとした。

「ん?」

 しかし目を閉じる寸前、眠りを妨げるかの如く部屋に備え付けのインターホンが鳴る。

 一体誰だろう。こんな時間にというほど遅いわけでもないが、解散した後にわざわざ部屋を訪ねてくるとは。簡単な連絡ならメッセージでもいい気がするけど。

 疑問に思いつつも俺はベッドの端に腰掛け、インターホンから送信されてきたカメラ映像で来訪者の姿を確かめる。小さい仮想画面に映し出されていたのは――

「ルナリア……?」

 部屋の前に立っていたのは、他でもないルナリアだった。

 パジャマ姿で、いかにもこれから寝ますという状態。そんな彼女が廊下につっ立ったまま、しきりに周囲を気にしている。ちょっと挙動不審だった。

 あのまま外にいさせるのもあれなので、返事をするより先に俺は扉を開錠した。

「よかった、まだ起きてたのね」

 明らかにホッとした様子で、ルナリアがそそくさと部屋へ入ってきた。丁度寝ようとしたところだったんだけど、それは言うだけ野暮だろう。

 代わりに来訪の理由を聞くことにする。

「どうしたんだ一体。食堂で話しそびれたことでも?」

「話しそびれたというか、あの場では離せなかったというか……えっと、そっちに行ってもいい?」

「別に構わないけど……っ」

 許可を出した途端、歩み寄ってきたルナリアは迷うことなく俺の隣へ腰を下ろした。

 普段は三つ編みで一本にまとまっている髪がふわりと舞い、花のような石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。突然の来訪にばかり気を取られていたが、こうして髪を下ろした姿を見るのは初めてな気がする。

 よく見ると少しだけ髪が湿っている。シャワーを浴びてすぐこっちに来たのだろうか。パジャマの襟首から覗く上気した肌が、妙に色っぽく――って何を考えてんだ俺は。

 いかん。さっきまで気にならなかったのに、昨日のこともあって意識しだしたら止まらない。何でこんな時間に、しかも風呂上がりのタイミングで来る。食堂で話せないことって何だ? まさか……そういうことなのか!? やばい、相手の顔をまともに見れない。

 恐怖と期待を半々に悶々していると、ルナリアは静かに尋ねてきた。

「昨日と今日を過ごしてみて、どうだった?」

「え?」

 予想とは違う質問に一瞬戸惑い、直後には沸騰しかけた思考が急速に冷えていった。

 俺が東京を訪れると決めた時から、ルナリアは心配してくれていたのだろう。ここでは元の世界で親交のあった人物と遭遇する可能性があって、実際に出会ったことで心を乱しているんじゃないのかと。

 幸いなことに、これについてはさっき自分の中で整理を済ませたばかりだった。

「……見知った相手と話すのは結構緊張したし、相手が俺を知らなかったのは寂しくもあるよ。わかっていたことではあったけど。でもさ、やっぱり会えてうれしかったんだ」

 もう二度と会えないと思っていた親友と地上で会った時、他のどんな感情よりも先に溢れたのは喜びだった。無論不安はあったし、結局一からの関係になってはしまったけど。

 これに関しては、嘘偽りのない本心で言える。

「ここに来れてよかった。今ではそう思ってるよ」

「……そう。よかったわね」

「……?」

 安心させるように努めて明るく振舞ったつもりだったが、こちらの予想に反してルナリアの声は晴れなかった。

 無理しているつもりはないんだけどな……まさか質問の意図を読み違えた?

 何がいけなかったのか悩んでいると、再びルナリアが口を開く。

「晴近は……その、これからどうするの?」

「どうって、それは……」

 いよいよルナリアが何を求めているのかわからなくなってきた。どうするもこうするも、明日の予定は既に食堂で打ち合わせした通りじゃないか。

 それとも、もっと将来的な話か? 未来を見据えた意見を聞きたい的な? 何でそんな急に、企業の面接みたいなことを……。

 答えに行き詰まり、せめて表情から何か読み取れないかと俺はルナリアの方を見て。

「――っ」

 見上げてくる目に含まれた感情の量に、思わず言葉を失った。

 迷い。憂い。寂寥。不安。

 普段のルナリアであれば押し隠してしまうだろう彼女自身の弱さが、視線を通じて突き刺さってくる。

 何かを訴えるように。

 何かを懇願しているかのように。

 だけどその何かを、決して口に出そうとはしない。

 言いたいことがあるのに言えず、さりとて抑え込むことができず。

 それは、強い葛藤の表れだった。

「言ってくれ、ルナリア」

「っ」

 態度のせいで一層小さく見える肩が、びくりと震えた。

 尚更らしくない様子に苦笑しつつ、俺はできるだけ気負わせないように続ける。

「頑張って察しようと思ったけど、やっぱ無理だ。言ってくれなきゃわからん」

「で、でも」

「遠慮しなくていいから。前にも言ったけど、俺の前で弱さを隠す必要はないよ」

 強がりなばかりに、崩れかけた彼女を一度見ている。あんなことには、もう二度となって欲しくないのだ。

 そんな想いを込めて見つめ続けると、ようやくルナリアは折れた。

「……晴近を心配する気持ちはもちろんあったわ。でも、それ以上に不安だったの」

「何が?」

「晴近が、もう帰ってこないんじゃないかって」

「えっ何で」

 あまりにも突飛な話に、俺は思わず素で返してしまった。だがルナリアの中では真っ当な危惧だったらしく、冗談で言っている様子はない。

 黙って先を促すと、ルナリアは躊躇いがちに。

「東京は、元の世界で晴近が住んでいた場所なのよね」

「家があったのは神奈川なんだけど……まあ、日本というくくりで言えばそうだな」

「ここはあなたの故郷で、あなたの友達もいる。それに……ここで暮らすなら、無理をして戦う必要もないわ」

 無理をして戦う、か。

 俺にとって変異体はこうなっていたかもしれない自分自身であり、世界移動に巻き込まれた被害者。それでも自分や仲間、そして市民の命がかかっている以上、殺すことは迷わない。ただし人だったかもしれないものの命を奪っているという事実に、時々押し潰されそうになった。

 そんな時、いつも側にいてくれたのはシアやルナリアで。俺の苦しみを理解している彼女だからこそ、こんな話をしているんだろう。地下都市での暮らしは余程のことがない限り安全だ。少なくとも、都市でガーディアンとして働くよりはずっと。

「私たちはずっと前から変異体と戦って生きてきた。それが当たり前だった。でも、晴近は違う。今日みたいに友達と何気なく談笑して、一緒に授業を受けて……そういう平凡な毎日が当たり前だったんでしょう?」

「……」

「だから私、晴近がこれからもそんな毎日を……東京に残るのを望むなら、止められないと思った。むしろフューリー室長を一緒に説得しようって……思ってた、のに……」

 話している内に、ルナリアの瞳に涙が浮かんだ。

 あっという間に大きな粒となったそれは、言葉と共にあふれ出す。堰を切った感情が、少女の頬を濡らしていく。

「やっぱり、嫌だ……」

「ルナリア……」

「都市には守りたい人たちがいっぱいいるから……ママたちのお墓があるから、私は晴近と一緒にいけない。でも、一緒にいれないなんて、離れ離れなんて、やだよ……!」

 子供がわがままを言うように、ぼろぼろと泣きながら縋り付いてくるルナリア。シャツの胸元に涙の染みが広がり、熱が伝わってくる。

 ……この子は、こんなにも俺のことを考えていてくれたのか。俺がここに残る選択をするかもしれないと、自分の気持ちに蓋をしてまで。

 ただ嬉しかった。

 ここまで想っていてくれていることも、秘めていた胸の内をこうして明かしてくれたことも。

 だから。

「離れないよ」

 いつかの日のように。ルナリアの背に腕を回し、思い切り抱きしめた。

 より強く体が密着し、彼女の体温が灼けそうなほど熱く感じる。軽く視線を下ろせば、潤んだ目を驚いたように見開いた顔がすぐそこにあった。

「ここは確かに、俺にとって過ごしやすいかもしれない。でも……ここは、俺の帰ってくる場所じゃないから」

「帰ってくる場所……」

 うわ言のように繰り返すルナリアへ微笑みかけながら、俺は言う。

「さっきルナリアはここが故郷だって言ったけど、それは違う。俺の故郷は、もう二度と手が届かないところだ」

 例えなじみのある名前の土地で、親しかった人々がいても。根本的に別物だということは、この二日間で身に染みている。

 そして今でも時々、元の世界に帰りたいと思ってしまうことはある。郷愁の念は、この先消えることなく俺の中にあり続けるんだろう。

 それはきっと、悪いことでは無い。

 かけがえのない過去を想い続けることは、決して悪いことでは無いはずだ。

 大切なのはそれを過去と踏まえた上で、今と向き合うことだから。

「けど、今の俺には帰る場所ちゃんとがある。シアやラッドたちが、アクシスで俺たちの帰りを待ってくれてる。これ以上を望むのは贅沢だ」

「戦うのは、嫌じゃないの?」

「平和に越したことはないけどさ。一人だけこっちに来て、のうのうと日々を過ごせるほど俺は図太くないし。それに――」

「それに?」

「あ、いや、えーっと」 

 言いかけてふと、我に返る。

 勢いに任せてとんでもないことを口にしかけた。咄嗟に口を噤んだが、もはや手遅れっぽい。

 続きの言葉を求めてくるルナリアの視線に、今度はこっちが根負けする番だった。

「……これでも一応、結婚を前提に付き合ってるつもりなんだけど」

「あ……」

「だから、その。ルナリアが心配しているようなことはないから安心してほしい……みたいな?」

 あまりの恥ずかしさに、俺は再びルナリアから目を逸らした。

 自分で言っておいてあれだが、愛が重い気がする……そりゃ嘘をついてもしょうがないし、これについても本心から出た言葉だ。でも他にもっと言い様はあったのではないか。どこまでも不器用だな本当に。

「晴近」

 羞恥と後悔が渦巻く中、ルナリアが俺の名前を呼んだ。

 状況的に恥ずかしいからって無視するわけにもいかず、恐る恐る顔を向けて――


「んっ」

「っ――!?」


 閉じられた目蓋。

 長いまつ毛に付着した涙の雫。

 今の俺の目には、それしか映っていなかった。

 驚愕の声は上がらない。上げるための口は、柔らかいもので塞がれていた。そしてゆっくりと、ルナリアが離れていく。

 永遠にすら錯覚した、たった数秒の触れ合い。

 それが何であるかを理解するより早く、ルナリアがはにかんだ。

「初めて、キスしちゃった」

「えっ!? ぁ、あぁ……そう、だな」

 全身の血が顔面まで昇ってきたような心地で、しどろもどろにそう返す。

 そうか……今のはキスだったのか。生まれてこの方したことがなかったから、すぐにわからなかった。

 まさかファーストキスを女の子から奪われるとは……嬉しいような、情けないような。

「思ってたより、どうということはなかったわね」

「そ、そうかな。俺はよくわからなかった……」

「えぇ。私、少し考え過ぎてた」

 あっけらかんと言い切ると、ルナリアは再び俺の胸に顔を埋める。甘えてくるような仕草に心臓が跳ねた。当然それは相手にも伝わり、ルナリアが楽し気に笑う。

「あの時、言ってくれたものね。一緒に未来を歩もうって」

「あぁ」

「冷静に考えたら、約束を反故にする度胸なんて晴近にはなかったわ。心配するだけ損しちゃった」

「ひでぇな。事実だけど」

「ふふっ……でもそんなあなただからこそ、好きになったのかも」

 そう言って、ルナリアが顔を上げる。

 微笑を浮かべたままこちらを見上げる彼女は、今まで見てきた中で一番美しく。そして可愛らしく見えた。

「ずっと、一緒にいてくれるのよね」

「……今更だな、その質問は」

「うん、だから言葉はいらない。その代わり」

 するとルナリアは頬を朱に染めて、消え入るような声で。


「行動で、示してくれる? 昨日の私みたいに……」


 ……それ以上の説明は必要なかった。

 背中に回していた腕を解き、ルナリアの両肩を捕まえる。少し力が強かったのか、小さく息を呑む音が聞こえた。それでも抵抗したりはせず、少女は全てを受け入れるように瞳を閉じる。

 言葉はいらないと言われたけど。

 俺は、敢えて今の気持ちを言葉にした。


「ルナリア。君を愛してる」


 今度は俺の方から唇を重ねる。

 返事は待たなかった。今更、確かめるまでもないのだから。

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