Chapter04-4
「どうして、私だったんですか?」
「一体どうしたんだい藪から棒に」
ある日の実験中。
収集したデータをまとめていたフューリーに、ルナリアは問いかけた。
フューリーは紙にボールペンを走らせていた手を止め顔を上げる。
紫紺の瞳には、沈痛な表情で俯いている少女の姿が映っていた。
その様子や直近に起きた出来事から質問の意図を推察したのか、フューリーはしばしの沈黙の後。
「昨日の防衛戦のことを、まだ引きずっているのかい?」
「……はい」
肯定するルナリアの声は、酷く頼りなく空気を揺らした。
約一か月で周期するとされている、変異体が発生する期間が近づいた都市は普段とは違った様相を見せていた。
外に出る人の数はあからさまに減り、客入りが見込めないからかB区の商業施設も殆どが休業。普段の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。
管理局内の空気も若干ピリピリしているようだった。いつもより本棟内の人の往来は増え、険しい表情を見ることが多くなったような気がする。
ルナリアは似たような雰囲気を故郷でも感じたことがあった。
それは正に、今日と同じく変異体の襲来が近づくにつれて如実に現れるものであり。
遂に来るのだと、否応なしに認識せざるを得ない状況であった。
出来ることはあまり多くなかった。両親に事態が収束するまで宿舎からは出ないように何度も言い聞かせ、後はひたすら自分の腕を磨くくらい。
いつ来るかもわからない緊張感に晒され続けたまま、何事も無く四日が経ち。
丁度、昨日の今頃だったろうか。
何の前触れもなく、ふと思い出したかのように。
都市に鳴り響いた警報が、開戦を告げた。
ルナリアにとっての、初めての防衛戦だった。
「ルナリア君は瑞葉君たちとA・B区の担当だったね」
防衛戦においても大まかな役割というものが存在する。
主にA・B区の生活エリアで市民の救助と変異体の掃討を行う者と、それ以外のエリアから押し寄せてくる個体を足止めする者が必要だ。
今回の防衛戦では前者をルナリア、瑞葉、ミハイル。後者を久道とノインが担当した。ルーキーであるルナリアは本来ならば足止めに回るのが通例だったが、彼女の武器の特性を鑑みた久道による采配だった。
ガーディアンの中でも群を抜いた戦闘力の持ち主である久道はともかく、B・C区間に単独で配置されたノインは流石に参っていた。それでも進入を許したのはたった数体であり、ほぼ完ぺきに封鎖し切っていたのだから彼女の非凡さがうかがえる。
だからこそ、余計にルナリアは心を揺さぶられていた。
「此度の防衛戦での犠牲者は二〇人。それも半分以上は変異体が発生した直後に出た被害だ。本格的な戦闘が始まってからは一桁に収まっている」
フューリーがそらんじた数字は、変異体の出現によって出た犠牲者の人数としては非常に少ない。シェルターキューブでは出現の度に倍以上の被害が出ていたことを考えれば余計に。
人員の不足に加え、新人が参加した戦闘の結果としてはこれ以上を望むのは贅沢と言わざるを得ない。
「少なくとも、君に落ち度はなかったと私は思うがね」
励ましというよりは、真っ当な評価を下すようにフューリーは言う。
フューリーでなくとも、客観的にルナリアの戦闘を見ていた者がいれば誰もがそう思っただろう。
初の防衛戦でルナリアが倒した変異体は五体。全体での最終的な討伐数が三〇であることを考えれば充分以上の戦果である。久道が期待した通り、彼女は迎撃戦とは全く異なる環境での戦闘にも臨機応変に対応して見せた。
共に戦った全員がルナリアの健闘を認めていた。
唯一、ルナリア本人を除いて。
「……三人」
「うん?」
「三人、目の前で殺されました」
丸一日経った今でも、数秒前のことのように思い出せる。
たった一瞬。一秒にも満たない迷いだった。
別々の方向へと逃げる人々と、それぞれを追う二体の変異体。
武器にチャージされたエネルギーは確実に一体を屠れる量だった。しかし分散させて二体を同時に狙えば、仕損じるかもしれない――
先日に犯した失敗のイメージが蘇り、戦闘の開始から酷使し続けていたルナリアの思考が停滞した刹那。
もっとも後方を走っていた三人の市民が、振り下ろされた異形の腕にまとめて薙ぎ払われた。
「結局私と瑞葉さんで一体ずつ確実に仕留めましたが……もしあそこで迷わず二体の急所を狙えていればあんなことには」
「それは結果論だ。君の技量を疑う訳ではないが、危惧していた通りの最悪が起きていた可能性だってあり得るのだからな」
「でも、私が自分の腕に自信を持てていれば迷うことだってありませんでした」
捉え方によっては傲慢な考え方なのかもしれないが、考えずにはいられない。
自分ならばどうにか出来たのではないか。
あんな犠牲、未然に防げたのではないか。
防衛戦が終わった後に勝利の余韻などなく。
残ったのはこびりつくような罪悪感と、途方もない無力感だけだった。
「もうわからないんです。私に何が出来るのかも、どこが優れているのかも」
ルナリアは理解していた。
フューリーが母の治療を条件に自分を呼び寄せたのは、一種の投資に近い。ルナリアにもわからない、ルナリアの持つ何かが彼女にとって有用だったからこそ交渉を申し出てきたのだろう。
ひょっとしたら……いや、確実に浮かれていた部分はあった。必要とされ、認められたことが嬉しくなかったかと言えば嘘になる。
だが今となっては、自分を信じることが出来なかった。今までは身近な人間を失うことはあっても、目の前で惨たらしく殺されることなどなかった。増してや、それが自分の落ち度だったことも。
「つまり、君は己の至らなさに挫折を味わっている訳だ」
いっそ清々しいまでに核心を突くフューリーの言葉に、ルナリアは力なく頷く。
正に今、少女を苛んでいるのはそれだった。
「うぅむ。こういったことは私の専門外なのだが……」
するとフューリーは珍しく本気で困ったような顔で思案し、しかしすぐ頭をガシガシと掻きむしった。
「ああくそ、やはり無理だ。私は私のやり方でいくしかない。そうだな……まずは質問の方に答えるとしよう。ルナリア君が疑問視している君自身の才能についてだ」
「……?」
目まぐるしく変化するフューリーの様子にルナリアが呆気にとられる中、フューリーは徐に二本のボールペンを取り出し、
「ほら」
「え。な、何ですか?」
「いいから持ちたまえ。あとこれは紙だ」
「え、え?」
あれよあれよという間に、ルナリアは両手に一本ずつペンを持ち、紙が固定されたボードを膝の上に乗せた状態となった。
一体どうしていいかわからず、ひとまず次の指示を待っていると。
「さあ、左右の手で四角形と三角形を同時に描いてみたまえ!」
本気で何をさせたいのかがわからなくなってきた。
「何、簡単な実験のようなものだ。動きがずれなければ三角形は四つ、四角形は三つで丁度描き終わるだろう。特に難しいことは考えず、気楽にやってみたまえ」
「……まあ、別にいいですけど」
いまいちフューリーの意図が掴めないでいたルナリアだが、断る理由もないので促されるまま挑戦してみる。
右手で四角。左手で三角。紙に走らせたペン先は淀みなく動き、変につっかえることもなく指定された数を一息で描き切った。
「これでいいですか?」
意図せずして綺麗な正方形と正三角形が真っすぐ並び、内心驚きつつボードとペンをフューリーに返した。
「うん、素晴らしい。では次は私がやって見せよう」
受け取ったフューリーは満足げな表情を浮かべつつ、今度は彼女自身が両手にペンを装備し、自信ありげにボードへと向かう。
……ただ。
「それっこの……あれ、おかしいな。ここをこうして……あぁまたズレた! 勢いが足りていないのか? やっぱり難しいなこれ……」
真剣な表情とは裏腹に凄まじくギクシャクした動きで悪戦苦闘すること数十秒。
ルナリアの倍以上の時間をかけたフューリーの作品はと言えば。
「ふぅ、ようやく出来た。さあルナリア君、これを見て正直な感想を言ってくれたまえ」
目の前に突きつけられたそれに対し、ルナリアは言われた通り正直な感想を述べる。
「えっと……すごく、汚いです」
「正直で大変よろしい!」
自分でもわかっていたのか、目の端を小さく輝かせながらヤケクソ気味にフューリーは叫んだ。
実際、お世辞にも上手とは言えない出来だった。
線は所々波打っているし、片方の動きに釣られたのか不自然に歪んだ三角や四角がいくつも見られる。描いている段階でもタイミングのずれが度々生じ、その帳尻を合わせようとして更にリズムを崩していた。
ルナリアが描いたものとは真逆の完成度である。
しかし、未だにわからない。
「結局、これに何の意味があったんですか?」
「一目瞭然だろう。これが君の才能だ」
「……三角と四角を同時に描くのが?」
少なくとも、戦闘では絶対に役に立たない才能だ。
あまりにしょうも無さすぎる自分の才能に落胆しかけたルナリアだったが、
「いやいや、話はそう単純ではないのだよ」
続くフューリーの言葉に、思わず目を見張った。
「君は左右の手を完全に独立して動かし、各直線の長さや角度を完璧に調整し、図形の間隔も一律に揃えた。最初の一つはともかく、他の二つまで同時に出来る人間なんてそういないぞ」
そう言いながら、フューリーは再び両手にペンを持って四角と三角を描き始める。
今度は先程のようなぎこちなさはなく、至ってスムーズに手が動いていた。
「ただ両手を別々に動かすだけなら私にも出来る。だが君の真似をして、正方形と正三角形を綺麗に並べて描こうとした結果があれだ」
描きあがった図形は一個前のものと違って変に歪んだりはしていなかったが、それでも大きさや角度は不揃いだった。ルナリアのものと比べると、やはり汚く見えてしまう。
「人間の脳は並行し、同時に処理しなければならないタスクが増えるほど一つ一つの仕事は乱雑になっていくものだが、君の場合それが当てはまらない」
「それは、どういう」
「並行処理能力が常人離れしているのさ。確か、君は学習プログラムを複数科目同時に片づけてるんだって? 凄いと驚くべきか、ずぼらだと呆れるべきか難しい所だね」
「んなっ!? な、何でそれを?」
「大したことではない。昔、人間関係で割と取り返しのつかない失敗をしたことがあってね。それを教訓に、関わりをもつ相手のことは良く知ろうと心掛けているのさ」
明らかに努力の方向性が間違っているのは気のせいではないだろう。手段は想像もつかないが、明らかにプライバシーの侵害なのではないか。
気になることは多々あるが、今は話の続きの方が重要だった。
「そして実際に幾つかの実験を行い確信した。ルナリア君の脳は唯一無二の可能性を秘めている。生けるスーパーコンピューターと言っても差し支えないだろう」
「で、でもそれならどうして……」
それほどの能力が自分にあるのなら、あんな悲劇は避けられたはずだ。
当たり前のように疑問に思うルナリアだったが、それを口にするより早くフューリーは言った。
「君はコンピューターではなく人間だろう? でなければ迷いも後悔もないし、向上心も湧かない。ガーディアンとしては新人なのだし、失敗だってするものさ」
私と同じようにね、と小さく呟くフューリーが一瞬、酷く悲し気に笑ったのをルナリアは見逃さなかった。
先ほど言っていた「取り返しのつかない失敗」と無関係ではないのだろう。だが彼女をしてそう言わしめるそれについておいそれと尋ねる勇気はなかった。
黙っていると、フューリーは両手を打ち鳴らし締めに入る。
「つまりだ。君が自分をどう思っていようと、私にとって有用な人材であることに変わりはない。一度の失敗で腐らず、これからも精進してくれたまえ」
落ち込んでいる子供にかけるには無神経というか、配慮に欠けた言葉だったが。
それを発した本人の、相手を直視せずチラチラと反応を伺うような仕草からは。
明らかに不慣れな、らしくもないことをしたような気まずさを感じて――
「……ぷ」
耐え切れず、ルナリアは小さく吹き出した。
「……どうして笑うんだい?」
「い、いえあの。励ますにしても、もっと他になかったのかなぁって」
或いはあれがフューリーの精一杯だったのかもしれないが、そう考えると一層笑いがこみ上げてくるのを感じた。
こんなに頭がいい人でも、苦手なことはとことん駄目なのだ。
だけども、彼女の言葉は確かにルナリアを元気づけた。
「室長は、私を必要としてくれるんですね」
「別に私に限ったことではないだろうが……まあ、そうなるな」
「なら、これからも頑張ってみます」
どんなに悔やんだって、失敗は帳消しにはならない。どんなに嘆いたって、あの時失った命はもう帰ってこない。
ならばせめて、同じことを繰り返さない努力を続けていかなければ。
初めての挫折で視野が狭まり、当たり前のことに気付くまでに長い時間がかかった。
でも、その時間もきっと無駄ではない。
悩まなければ、フューリーの思わぬ一面を見ることもなかっただろうから。
「……では、早速だがルナリア君には頑張ってもらおうか」
「え?」
ルナリアに吹き出されて以降、若干不貞腐れ気味だったフューリーの表情が一変する。
「実は今朝、前々から使って貰ってた試作機のデータを元に君専用の装備を完成させたんだが、仕様上ユーザーへの負担が大きくてね。本当なら日を改めて、ゆっくりと試運転してもらうつもりだったんだが」
目をギラリと輝かせ、獲物を手中に収めたかのような。
悪意剥き出しの笑顔に本能的な恐怖を覚えるも、時既に遅く――
「今からでも問題ないよね? なぁに、トラブルさえなければ陽が落ちる前には終わるさ。最悪調整からやり直すことになるかもしれないけど、今のモチベーションの高いルナリア君なら頑張れるよね?」
「……ハイ」
膨らんでいた風船が、急激にしぼんでいくような心持だった。
既に拒否権はないのだと知り、ルナリアは乾いた声で返事をするとともに誓う。
今後、フューリーを不用意に煽るような真似は絶対に控えようと。
なおこの一件が軽くトラウマになり、一章でのビビりっぷりの原因となる模様。




