Chapter04-2
――たった一言。
ただ静かに紡がれた言葉が、ルナリアから呼吸を奪い去った。
死にたいわけがない。
理性はすぐに否定しても、それを安易に声に出すことはできなかった。
ルナリアを真っすぐに射抜く黒の瞳が、それを許さなかった。
「母親を救うため。成程、理由としては充分かもしれん。確実に救う道が提示されていたとするなら尚のこと」
久道はルナリアの心情に立ち、理解を示すように。
それでも「しかし」と、理解を拒むように言う。
「変異体がどれほどの脅威であるかは知らない訳ではあるまい。勘違いしているならば是正しておくが、この都市でも人は普通に死ぬ」
もしここが他の国――それこそ元いた場所よりも安全だと思っているならば。
それは大きな間違いだと、久道は断言した。
変わらず犠牲は出続けているのだと、彼は説く。
「真っ先に矢面に立つガーディアンともなればより危険は上だ。現に、去年発生した大規模戦闘によって俺以外のガーディアンは一度全滅した」
「そんな……!?」
「無論、そのような戦闘が頻繁に起きることはない。しかし、いつ起きるかを予測することも出来ん」
驚きの声を上げる父とは対照的に、久道は淡々と告げた。
一か月後。或いは一時間後。
こうして話している今だって、常に危険をはらんでいる。
次元技術が発達し続けている今も誰一人として、予測・観測することが敵わない。
果たして、都市そのものを踏みつぶすような災厄が訪れるのはいつなのか。
「そしていつ如何なることが起きようとも、我々がするべきことは一つ。都市に住まう人々の盾となり、人類に害成す者共を穿つ矛であることだ」
戦えと、久道は命ずる。
己など二の次だと。不特定多数のためにその身を散らせと。
お前の命は、もうお前の物ではないと。
強い言葉を重ねに重ね、最後に再び久道は問いかけた。
「君に、死ぬ覚悟はあるのか?」
静寂が室内を支配していた。
俯き黙するルナリアの表情をうかがい知ることは出来ない。隣に座る父は固唾を飲んで娘を見守り、久道は立ったまま答えを待つ。フューリーですら常時顔に張り付けている笑みを消し、深淵を秘めた紫紺の瞳で少女をじっと見つめていた。
そこに誰も介在することは許されない。
久道が求めているのは、ルナリア自身の答えであり、覚悟だ。
多くを命を拾い損ね、また何度も己を死へ晒し続けてきたのであろう彼の言葉は物理的な重みすら伴って、彼女の頭を垂れさせた。
――やがて。
永遠にも感じるほど長かった、一分超の沈黙を経て。
ルナリアはうつむいたまま、ポツリと。
「私の国……シェルターキューブでは変異体にどう対処するか、ご存知ですか?」
逆に、久道へと問いかけた。
その時。
想定外の返答に面を食らったのか、小さく目を剥いた久道の表情に初めて驚愕の色が浮かんだ。
だがすぐに正気へと戻り、彼は答える。
「それほど明るくはないが……確か、ブロックごと破棄するのだったか」
確かめるように言う久道へ、ルナリアは小さく頷いた。
シェルターキューブは人が住まう空間をブロックという単位で分割し、立体的に位置関係を組み替えることで目的の場所へと移動する。スライドパズルをそのまま立方体にしたようなクラスタ構造を持つ居住施設だ。
このシステムが構築された目的は主に二つ。
一つは、移動に必要な通路や装置を排し変異体が出現しうる空間を潰すため。
もう一つは、出現した変異体をどこにも逃がさないため。
変異体の出現が確認された場合、各キューブに配備された対抗戦力――敵に対して有効な重火器や次元兵器を保有する部隊が鎮圧へと向かう。
――ただし。
仮に戦力の存在するブロックが変異体のいるブロックから著しく離れていて。
救助が間に合いそうになく、隣接するブロックへの侵攻が予測された場合は。
キューブへ入る際に同意した誓約の下、ブロックは変異体や残された住人諸共、クラスタから強制排出――廃棄された後、自爆する。
犠牲を最小限に抑え、確実に変異体を抹殺するために――
非人道的と言われれば、返す言葉もないのだろう。
しかし、打つ手を一つ間違えれば何もかもを巻き込んで共倒れしかねないこの世界において。
大のために小を切るのは、致し方のないことではないだろうか。
ルナリアは、自分たちが住むすぐ隣のブロックが排出されるのを目の当たりにしながら。
次は自分たちの番かもしれないという恐怖に怯えながらも、それが最善なのだと信じていた。
……今日、都市へと渡るためにあの施設を訪れるまでは。
「転移ゲートがある部屋へ向かう途中、いつくものブロックを通りました……その途中で、全てのブロックに武装した兵士がいるのも、見ました」
厳戒な防衛体制。
潤沢な対抗戦力。
どちらも、自分たちの生活の中には決して存在しなかったもの。
冷静に考えれば、配備される戦力に偏りがあるのは仕方ないということくらいわかる。重要な施設の防衛に重点を置くのは当然の処置であり、不平をこぼしたところで改善はされない。
だが、納得できるのかと聞かれたら?
明日遊ぶ約束をした友人やその家族が、ブロックごと掃き捨てられ、変異体ごと跡形もなく吹き飛んだ。
次自分たちがそうなったとして、仕方がないと納得しろと?
守るに値しない命だと、認めろと?
そんなの、冗談じゃない――!
ルナリアは立ち上がった勢いのままに顔を上げ、久道を見返した。
その瞳に、強い光を宿して。
「確かにガーディアンになるのを決めた動機こそ、母の病気でした。……正直に言って、死ぬ覚悟なんてまだ出来てません。ですが――」
先の沈黙の間、ルナリアは再度己の心を確かめていた。
本国で日々を過ごすうちに、ある日突然変異体と運命を共にするのと。
都市でガーディアンとして戦い、差し違える形で命を落とすのと。
この二つに、さほど違いはないのではないか。
過程に違いはあれど、結局は死ぬことに変わりはない。
ならばせめて、自分で納得が出来る方を選ぼう。
死を待つか、死へ近づいていくかのどちらか――いや。
死に甘んじるか、死に立ち向かうかのどちらかを選べと言うのなら――
「私は命が続く限り戦い、抗い続けます」
「親より先に死ぬことになってもか?」
「そうならないためにも、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いしますね」
――元より、そのつもりでここに来たのだから。
即答し、そう不敵に微笑む余裕すら見せたルナリアに久道は。
「……どうやら、俺はまだ君を侮っていたようだ」
まるで敗北を認めるかのように、苦笑を漏らした。
「全く焼きが回ったものだな。対等に接しようにも、人の親となってからはどうしても年齢通りに相手を見てしまう」
「ご結婚なされてるんですか?」
半ば愚痴るような久道へ尋ねてから、ちょっと失礼だったかと反省した。
久道ほどの年齢なら家庭を持っていて何の不思議もない。
直前まであれほど強くガーディアンとしての覚悟を問うてきた彼に、無意識のうちに仕事人間のようなイメージを抱いていたのかもしれない。
気を悪くする様子も無く、久道は肯定した。
「ああ。娘は今年で一〇歳になる……君と大きく年が離れている訳でもない故、余計に庇護対象として見ていたのだろうな」
どうやら子供もいるようだ。
久道があれほど厳しく問い詰めて来たのは、年が近い自分の娘とルナリアを重ねていたからなのだろう。
同時に一つ得心が言った。
最初の部屋でルナリアに微笑を向けた久道の姿が父と重なったのも、彼がまさしく一児の父親だったからなのだ。
重苦しい空気が霧散し、どことなく和やかなものになったのもつかの間。
「やれやれ、これだから秀一君は駄目だね。一〇歳にもなればもう女なんだ。子ども扱いはいけないなぁ?」
自戒気味に呟く久道を、今まで黙っていたフューリーがこれ幸いとばかりに弄り始めた。
今まで黙っていた分なのか、先にも増して饒舌だ。
「この前も久々にエリカと風呂に入ろうとしたら、やんわりと拒否されて本気で凹んでたよね? あれは傑作だったよ」
「ぐっ!?」
「ああでも、話題を合わせるために次元技術関連の論文を読んで思い切り首を傾げていたのはいじらしくてグッと来たな。あれが俗にいう萌えというヤツかい?」
「………………」
恐れというものを知らないらしいフューリーから煽りに煽られ、苦渋の表情すら通り越してもはや無表情となる久道。
目を閉じて黙考すること、数秒。
来るべき大噴火にガタガタと震えていた親子の心配とは裏腹に、彼はただジト目でフューリーを睨み。
本当に、ボソッという感じの小声で呟いた。
「……恥ずかしいから人前で話しかけてくるなと言われる母親よりは、幾分かマシなのではないか?」
「グハァッ!?」
効果はてき面だったらしい。
吐血じみた断末魔を上げ、ボディーブローを食らったかのようにフューリーは項垂れたまま動かなくなった。久道はフンと鼻を鳴らし、それ以上の追い打ちはしなかった。
軽い調子ながらどこか底の知れない雰囲気を漂わせていたフューリーがあっさりと撃沈する様を、ルナリアは父と共にポカンと口を開けて見届けた。
それでも一連の会話の中でどうしても気になったことがあったため、久道に尋ねる。
「あの……久道、さん」
「何だ」
「えっと、今の話だとまるでフューリーさんが久道さんの奥さん……みたいな言い方でしたよね?」
「まるでも何も、その通りだが」
「んん……?」
さも当然のように即答され、ルナリアは頭がこんがらがってきた。
久道の娘は今年で一〇歳。
一方、フューリーはどう見積もっても二〇代後半に差し掛かるくらい。
つまり娘を出産した時にはルナリアと同じくらいの年齢……いや、妊娠期間を考えれば事に及んだのは更に前? じゃあ結婚したのは何時?
そもそも自分の倍近く年の離れた女子に手を出すって……ハッ!?
ま、まさかこの人。常識人と見せかけて実は――!!
「突然警戒心を露わにされる覚えはないのだが」
「す、すみません。娘は少し想像力が豊かなところがあって」
野良猫のように久道を威嚇するルナリアを父がどうどうと宥める。
「それ自体は悪いことではない。想像することは危機回避において重要だ」
真面目腐った顔でそう言いながら、久道は小さく首を傾げていた。
ルナリアが何を想像し、どのような結論を得て自分を警戒しているのかに合点がいっていないらしい。
流石親子とでも言うべきか、娘と同じ疑問を抱いていた父は「これ聞いても大丈夫なやつかなぁ」と書いてありそうな表情で、恐る恐る指摘した。
「多分ですけど、奥様が若すぎることに疑問を抱いているのかと」
「……成程、理解した」
捉えようによっては物凄く失礼な言葉にも久道は腹を立てることなく、傍らで未だに項垂れているフューリーを軽く小突く。
「おいフューリー」
「な、何だい」
「お前が紛らわしい外見年齢をしているせいで俺がロリコンと勘違いされている。早急に誤解を解け」
「まさか君の口からそんな単語が出ようとはね……やれやれ、これでもまだ傷心の身なんだが」
若干グロッキーながらも面を上げたフューリーはルナリアに顔を寄せ、彼女にしか聞こえないくらいの声で小さく耳打ちする。
その内容――フューリーの実年齢を聞いたルナリアは、飛び上がるほど驚いた。
「ええええ嘘ですよね!?」
「本当だとも。私と秀一君は四つしか違わない」
「え、だって……えええええええ!?」
何度も久道とフューリーを見比べ、その度に大声を上げるルナリア。
俄かには信じがたい。若作りにも限度がある。
これなら久道が老け顔と言われた方が、まだ説得力があった。
「うーん、ここまで驚かれるほどのことだろうか」
「極めて普通の反応だ。その年齢でその見た目では、まず人間であるか疑わしい」
「おいおい、この美人妻を捕まえて妖怪呼ばわりかい? 悲しいなぁ、私は愛する夫と娘のために綺麗であろうと日々努力しているというのに……」
「とにかく、これで誤解は解けたか?」
メソメソと嘘泣きを始めたフューリーを華麗にスルーした久道に問われ、ルナリアはコクコクと頷く。
色々と謎の多い人物ではあるが、こちらの質問に言葉を濁さず全て答えてくれたことや対等であろうとする姿勢から、不思議と嘘は吐かない人物なのだろうという印象をフューリーに抱いていた。
「ならば話を戻そう。君の覚悟はもう知る所だが……カミカワ氏」
「は、はい」
「ご息女はこれより臨床技術試験要員――ガーディアンとして、フューリー擁する研究室に配属されることとなります」
唐突に話を振られおっかなびっくり対応した父へ、久道は丁寧な言葉で厳然たる事実を述べる。
守られる側から守る側へと回る、そのリスクを。
「役割上、確実に本国にいた頃より危険な目に遭うでしょう。当然我々も最善を尽くす次第ですが……ご息女の危機の際、我らが無事である保証もありません」
「……」
「貴方に、娘を死地へ送る覚悟はおありですか?」
恐らくこれは、同じ父親としての言葉なのだろう。
ルナリアとはまた違った覚悟を問う久道に対し、父は訥々と。
それでも視線だけは逸らさず、一歩も退かない態度で語り始めた。
「メッセージを頂いてから、散々悩みました。妻が救えるかもしれない。だけど娘を危険に曝したくはないと」
「だが貴方たちは都市へ来た」
「結局、僕には娘に頼る以外の方法が見つからなかった。他に道はなかったのかとゲートを潜る前からずっと、女々しく考えてました……ルナリアの言葉を聞くまでは」
「っ!」
名前を呼ばれ、ルナリアは弾かれるように顔を上げる。
曇りない碧眼に、優しく微笑んだ父の顔が映りこんだ。
「この子は僕と違って、ずっと未来のことを考えていました。出来なかったことをずっと悔やんでた僕とは違って、とっくの昔に覚悟を決めていた」
母の病気を治すために仕方なくではなく、更にその先――家族三人で暮らしていくという未来を。
誰かの手ではなく自らの手で作り上げ、守っていく。
そんなルナリアの覚悟の下、父もまた一つの決心を告げる。
「ならば僕は親として、自分に出来るやり方で娘を手伝います。妻と一緒に、家族で暮らせる場所を……この子が帰ってこれる場所を守りましょう。ですから――」
「娘を……ルナリアを、どうかお願いします」
父はそう言いながら腰を上げ、久道に深々と頭を下げた。
彼の真摯な態度から覚悟の程が伝わったのか、久道は父の言葉をじっくりと噛みしめるようにしばし沈黙してから。
「……任されました」
ただシンプルに、それだけ口にした。
フューリーも久道さんも、聞かれれば答えるスタンス。
春近が二人の関係に気づくのが遅かったのも、そもそも鈍いのに加えて質問しなかったからというオチでした。




