Chapter04-1 少女の記憶 2011/6/23
合衆国某所。複数存在するシェルターキューブの一つ。
存在自体は知られていても、国民にはその所在を知られていない施設がある。
そこは合衆国内で独自に発足された次元技術に関わる研究を行うための場であり、同時に合衆国が都市――アクシスからの支援を受けるための拠点でもあった。
とある一般家庭の親子が招かれたのは、そんな最重要機密の塊のような場所だった。
より正確に言うならば、彼女らが通されたのはその施設内の一室。
国と都市、双方の許可がない限り立ち入ることの許されない部屋――遠く離れた二つの地を繋ぐ転移ゲートが敷設されたポータルルームに、三人はいた。
「ルナリア、本当にいいのかい?」
「もう、何度も同じこと聞かないでよパパ」
既に向こう側へと繋がっているゲートを前にし、不安げに自分を見下ろしてくる父親にルナリアは苦笑しながらそう返す。
あのメッセージをもらって返事を出して以来ずっとこの調子だった。心配してくれるのはありがたいが、こう何度も繰り返されると少しだけウンザリしてしまう。
渋々ながらも一度は頷いてくれたのだから、もっとしっかりして欲しかった。
「ここまで来れたってことは、私たちが騙された可能性はゼロ。むしろ来ちゃったからにはもう後戻りなんて出来ないわ」
一方のルナリアは状況から、自分たちの置かれた立場を冷静に把握できていた。
曲がりなりにも国家機密だ。ここへ来る途中も、完全武装した兵士が隊列を組んで巡回していた。今も背後には、二人の兵士が出口を塞ぐように立っている。
何の変哲もない一般人であるルナリアたちがこの場にいること自体が異常なのであり、この場所や内部に関する情報を知ってしまった以上もう元の生活に戻ることは不可能だろう。
元々、向こうからは帰ってこれない契約なのだ。
「それに、ママだって絶対に助かるんだから」
ルナリアは父の反対側にいる母を――あらゆる機械に繋がれたまま、ストレッチャーに意識も無く横たわる女性へ目を向けた。
元々心臓を患っていた母だが、先月ルナリアが一四歳の誕生日を迎えて以来、容体が急変してしまった。今では目を開けていることの方が珍しい。
薬で誤魔化すのも限界であり、より根本的な治療が必要だった。
ゲートの向こう側へ行けば、それが可能になる。
「でも、都市へ行けば君は……」
「危険かもしれない。でも、こんな世界じゃどこにいたって同じよ」
食い下がってくる父へ、ルナリアはキッパリと言い放った。
この世界に生きている限り、変異体の脅威から逃れることなんてできないのだ。
何処から来ているのかも不明。何が目的なのかも不明。
無から生じ、ただ人間という種のみを対象とした殺戮を繰り返す化け物。
東京の地下都市も合衆国のシェルターキューブも、所詮は悪あがきに過ぎない。小さな個体が一匹紛れ込んだだけで、力のない弱者は一方的に狩られるしかない。
明日遊ぶ約束をした友人が、その日の内に死ぬなんてありふれたこと。
自分たちの番が来るのは、果たしていつなのか。
だったらと、一四歳にしてルナリアは決断した。
逃れようがないのなら、抗うしかない。
契約の内容は熟読した。都市へ行けば戦うことを義務付けられると同時に、戦うための力を得ることができる。そしてメールの差出人曰く、自分にはそれを扱える才能があるらしい。自分や家族を守るための力が貰えるというのなら飛びつく他ない。
それに次元技術の最先端である都市なら、少なくとも本国よりは安全だろう。向こうでは、市民が空の下を歩いているというのだ。生まれてからずっと、窓越しにしか空を見たことがないルナリアにとっては信じがたいことだった。
何より――
「ママの病気も治って、また家族三人で一緒に暮らせる。パパだって、ママが元気になって欲しいんでしょ?」
「それは、そうだけど」
「なら迷うことはないわ」
なおも自分を心から案じてくれている父。
彼の手と眠る母の手を握り、ルナリアは気丈に笑い。
「二人のことは……パパとママは、私が絶対に守ってあげるから」
決意を告げ、都市へと向かう最初の一歩を踏み出した。
◇
ゲートを潜ったその先は、直前までいた場所とどこか似た場所だった。
あそこと比べると随分と広いが、基本的には合衆国の研究施設と同じような景色。
あまり変わり映えのしないそれに首を傾げていると。
「カミカワ夫妻及び、そのご息女で相違無いな」
不意に正面から声がかかり、跳ねるような勢いで顔を上げる。
一体、いつからそこにいたのか。
少なくとも数秒前までは無人だった場所に音も無く現れたのは、父と同じ東京出身のように見える男性だった。年齢もそう離れていないだろう。
一分の隙も無く佇む男は、二人の意識が自分に向いたと見るや鋭い眼光を飛ばす。
「自分はこの都市の防衛を担うガーディアンの一人であり、名を久道秀一という。早速で悪いが、諸君らには身分の証明を求めたい」
「ひっ……!?」
問いかけ自体は極めて事務的かつ、威圧するような態度でもなかった。
だが、同時に放たれたほんの僅かな警戒心だけでルナリアは圧倒された。
声や視線、自分たちに向けられている全てが剥き出しの刃の如き鋭さ。彼はただ腕を組んで立っているだけなのに、喉元にナイフを突きつけられたかのような冷たさが全身を苛んだ。
いくら母譲りの気の強さを持つルナリアであっても、怯えを隠さずにいることは不可能だった。迷うように伸びた震える手が、自然と父親の服の裾を掴む。
父も言葉を忘れたように黙っていたが、自分に縋りついている娘に気づくと慌てた様子で名乗り出た。
「あ、ああ。僕はイサオ・カミカワ。他の二人は妻のセシリアと、娘のルナリアだ。合衆国の渡航許可証と、都市から送られたゲストコードも、あります」
「……確認しました」
恐らく父が送信した情報をその場で照合したのだろう。
そう呟いた途端、久道秀一と名乗る男から放たれていた凶器じみた気配がピタリと止んだ。空間に張り詰めていた剣呑な空気が急激に薄れていく。
ふと表情を緩めた久道は、そのまま小さく頭を下げてきた。
「ご無礼をお許しください。何分、ひと昔前は身分を詐称して都市に潜り込もうとした不逞の輩が多くいましたので」
「な、なるほどそうでしたか」
「君も、怖がらせてすまなかったな」
「い、いえ……大丈夫、です」
物腰の柔らかくなった久道の様子に父は露骨に安堵したような表情を見せたが、ルナリアは小さく目を逸らした。まだ彼に対する恐怖が抜けきっていなかったのだ。
こんなに恐ろしい人間と出会ったのは初めてだった。年が近くとも、温厚な父とは根本的に違う生物なのだとルナリアは理解した。
もしあれが警戒心ではなく本気の殺意であったとしたら今頃どうなっていたのだろう。
ある意味、前に一度だけ変異体が自宅付近を通過していった際よりも命の危険を感じていたかもしれない。
明らかに失礼な態度であると自分でもわかったが、久道は気を悪くするどころか。
「フッ、聡い子だ」
未だに警戒心を露わにしているルナリアに、何がおかしいのか小さく笑う。
その表情が何故か父のそれと一瞬重なり、思わず目を剥く。しかしすぐに微笑みは引っ込んでしまい、彼の意識は父の方へと向かっていった。
「フューリー――貴方たちの契約相手が本棟にてお待ちしています。案内致しましょう。奥方は当方が然るべき施設へ搬送致します」
「あ、あの!」
「何でしょう?」
踵を返し先導しようとする久道を、父が強く呼び止めた。
首だけで振り返る彼へ父は迷うそぶりを見せながらも、真っすぐに彼の目を見て問いかける。
「妻は……セシリアは、本当に助かるんですか?」
「必ず。貴方たちが都市へ来てくれた以上、我々も約束を守りましょう」
久道は一切迷うことなく、力強く即答した。
必ず助けると。
口で言うだけならば安い物だが、何故か彼が断言すると言葉の重みが違ってくるように感じた。
途端、父の表情が情けなく崩れ去る。
「っ……ありがとう、ございます」
「自分への礼はいりません。実際に治療を施すのはフューリーであり、彼女を動かしたのは貴方のご息女なのですから」
「は、い。そう、ですね……うぅ」
久道と会話する父の声には、大量の嗚咽が混じっていた。
ルナリアもそれにつられて何かがこみ上げてきそうになったが、手をグッと握りしめて我慢する。
今はまだ、泣かない。
母が倒れてから今日まで取ってきた涙を流す場所は、もう決めている。
「……君は、強いな」
消え入るような久道の呟きは、堪えるのに必死だったルナリアの耳には届かなかった。
◇
ルナリアたちが最初にいた場所は、管理局が保有している施設の一つらしい。人の行き来だけではなく物資の搬入出場と倉庫も兼ねているので、転移ゲートに対してあれほどの広さがあったようだ。
そして管理局とはアクシスを統治している機関であり、久道もそこに属している。彼は初めに自分が都市の防衛を担う存在――ガーディアンであると自己紹介していた。
つまり、これからガーディアンとなるルナリアの先輩……いや、あの貫禄は上司だ。少なくともあんな殺人的な気配の持ち主が同期であるはずがない。
他のメンバーもあの人みたいな強面ばかりだったらどうしようと、今後の人間関係に不安を抱きながら案内されること約五分。
倉庫から程近い本棟と呼ばれる巨大な塔をエレベーターで昇っていき、五〇階で降りてしばらく歩くと久道はある一室の前で立ち止まった。
「カミカワ氏と、そのご息女をお連れした」
「ああ、ご苦労様」
久道がドア越しに部屋の中へ呼びかけると、若い女性の声が返ってきた。恐らく手紙の差出人であるフューリーなる人物の声だろう。
それが入出許可の代わりだったのか、久道は独りでにスライドしたドアの向こう側へと進んでいく。ルナリアたちも後を追うように入室した。
ドアが閉まる音を背中に受けながら、メールでしかやり取りをしたことがない相手との初対面に身構えるルナリアだったが。
「……あれ?」
誰もいない部屋の中を見て、父共々気の抜けた声が漏れた。
それほど広くない、事務机といくつかの椅子が置かれただけの簡素な室内。
しかしそこには肝心なフューリーの姿は愚か自分たち以外の人間は影も形もなく、ただひたすらに無人だった。
返事は聞こえてきたのに、何故――
そうルナリアが首を傾げたのもつかの間、
「全く……ふざけてないで、さっさと降りてこい」
「え」
自分たちの背後へ向けられた久道の視線の意味は、溜息交じりの要求の直後に身を持って知ることになった。
「ふざけてるとは心外だなぁ。これは歓迎さ」
「きゃああああ!?」
「うおわぁあああ!?」
振り向いた途端、目に入ってきた光景に親子仲良く悲鳴を上げ、ルナリアと父は腰を抜かした。
尻餅を着いたまま、唖然と見上げたその先には。
「ハッハッハ、サプラーイズ!」
悪戯が成功した子供のよう……否、比喩でも何でもなく悪戯が成功して喜んでいる白衣の女性が浮いていた。
フワフワと浮遊しているというよりかは、空中の見えない何かに座っているとでも言うべきか。入り口のすぐ上の天井付近から三人を睥睨する彼女は成程、部屋の外からは勿論、入ってすぐの所で周囲を見渡しても目に入らない。
声を聞いた時点でも見当はついていたが、想像していたよりもかなり若い。まだ三〇にも届いていないのではないだろうか。
メールの文面からして都市における身分の高さが窺え、年も相応に重ねているとルナリアは予想していただけに驚きも大きい。
――無論、文字通りの空気椅子で脚を組んでいる人間を目撃した時のインパクトと比べれば些細な驚きなのだけれども。
女性は依然としてニヤニヤと、空中からルナリアたちの呆けた表情を堪能していたが。
「いい加減にしろ。人に足を向けながら話すなど無礼にも程がある」
「おっと、怒られてしまったね」
久道からの至極真っ当ながらもどこかズレた指摘を受けて、肩を竦めつつゆっくりと下降した。
ルナリア的にはもっとツッコむべき点があったように感じたが、今いる場所が技術の最先端をいく都市であることをふと思い出す。久道は微塵も驚いていなかったし、ここでは日常的な光景である可能性もゼロじゃなかった。
細かいことを一々気にしていたら負けなのかもしれない。
「では場も和んだところで、改めて自己紹介させてもらおう」
真人間らしく地に両足をつけた女性はルナリアたちが立ち上がるのを待ってから、尊大ながらも不思議と鼻につかない態度でその名を口にした。
「私の名前はフューリー・バレンタイン。見ての通り研究者で、君たちをこのアクシスへと招いた張本人だ」
◇
「――以上が、ルナリア君やご家族がこれから都市で暮らしていく上で知る必要のある最低限のルールとなる」
フューリーの自己紹介から一〇分ほどの時間が経過しただろうか。
ルナリアと父は部屋にいくつかある椅子に座らされ、メールでは知ることのできなかった都市に関する情報の説明を受けていた。
住居となる局員用の宿舎の所在地や都市内のインフラ、各種サービスの利用法といった生活に関する情報が主だった。特殊な役職とはいえ、一応は管理局の所属となるルナリアとその家族に対する福利厚生は充実しているようだ。
「そしてここからはガーディアン――つまり君の仕事に関する話になる訳だが」
脚を組みなおすと共に、若干声のトーンを変えてそう切り出す。
これまでのやり取りでフューリーに対してそれほど緊張を抱かなくなっていたルナリアだったが、彼女の雰囲気が変わったのを感じ取り自然と背筋が伸びた。
「とはいえ、事前に送ったメールに記載した内容がほぼ全てなのだがね」
「そうなんですか?」
「情報を小出しにしては対等な取引にならないからね。ただでさえ、君は命を懸けることになるのだから」
「――っ」
――命を懸ける。
メール上の文章ではなく、本人の口からハッキリと告げられた言葉は。
とうにその覚悟を決めていたルナリアの身を小さく震え上がらせた。
「故に詳細は追々話すとして、この場では覚悟と心構えのみを問うこととしよう。丁度、適任もいることだし」
ルナリアの反応にフューリーは意味深に笑い、ちらりと後ろを見やる。
席には着かず、壁際に陣取り彼女らの質疑応答を静観していた久道はその視線を受けると、ゆっくりとフューリーの傍らまで歩み寄って来た。
久道秀一。アクシスの守護者たるガーディアン。
きっとルナリアよりも遥かに長く戦い続けてきた、百戦錬磨の男。
彼は少女の目を見て、徐に問いかける。
「君は、死にたいのか?」
しばらく過去話が続きます




