幕間 動く者と、止まる者 2014/5/1 15:00
「……成程。これが合図ってことか」
B区のある一画にて。
平穏な空気が一瞬の間に恐怖と混沌によって押し流される様を見せられ、幸也は端正な顔立ちに若干の嫌悪を滲ませた。
都市全体でけたたましい音を立てる警報。
事前にインプットしてきた情報に間違いが無ければ、これは都市において最悪の事態が発生したことを告げるエマージェンシーアラート。
つまりは、変異体の出現を意味している。
幸也たちから目視できる範囲には現れていないようだが、確かに存在しているということは前兆も含めて知覚することができた。これからもっと増えていくことも。
もしこれを合図としていたのなら、趣味が悪いにも限度がある。
幸也たちの迎えを待つ人物は予めこうなることを知っていたのだろうか。
それとも、或いは――
「で、どうするのだ」
「――っ」
側にいたクラウスから声をかけられ、幸矢は思考の海から脱却する。所かまわず物事に思いを馳せてしまうのは、昔からの悪い癖だった。
今ここで必要なのは、自分の意思ではない。
自省するように小さく首を振り、方針を告げた。
「予定通りに行こう」
「博士たちを迎えに行くの?」
「ああ。本格的に戦闘が始まれば、一部の監視が手薄になるはずだ」
無感情に尋ねてきたエルナへ微笑みながら幸也は答える。
都市に関する情報は嫌と言うほど頭に叩き込んできた。戦場が変わろうとも、情報の有無こそが趨勢を決めることに変わりはない。
そして、その中には監視装置≪サードアイ≫の仕様――一部のガーディアンが戦闘に利用することで、本来死角を作らない布陣に綻びが生じることもある。
「この騒ぎに紛れつつ移動して、監視の死角に入ったのを確認したらショートカットするよ。エルナは心配ないけど、クラウスさんはつまみ食いしたりしないでね。こっちから手を出さなきゃ無害なんだから」
「うん」
「わ、わかっとるわい」
阿鼻叫喚の騒ぎの中、場違いなまでに平常通りのやりとりを行う三人。
もし彼らを冷静に見ることのできる人間がこの場にいれば、その異常な光景に目を剥いていただろう。
ただ、恐怖に逃げ惑う住人の中には。
自分とは関係のない他者を顧みる余裕など、最初からなかったのだった。
◇
警報が鳴り響いたその時。
BCを介して視界に緊急出撃指令が表示された、その向こう側。
俺は、確かに見た。
「何、だ」
空間が揺らめいている。
何の比喩でもなく、陽炎の如く。空間のある一部分だけが揺らぎ、そこを通して見える景色も波打っていた。
揺らぎは次第に形を持った歪みへと変化していく。じっと見ているとシルエットが浮かんでくる錯視のように、実体が浮かび上がってくる。
程なくして、それは現れた。
俺の知る、どの生物にも当てはまらない外見。
同じ姿をした個体は一つとしていなくとも、一目見れば必ずそれだとわかる異形。人類に仇なす最悪の敵にして、元いた世界から引きずり出され、歪んだもの。
最大の加害者にして、最大の被害者。
俺は初めて目撃した。
何もない所から、変異体がこの世に現れるその瞬間を――
「「連結開始!!」」
直後。
あまりの光景に戦慄していた俺の、前方と背後から放たれた声が重なる。
一つは瑞葉さんであり、もう一つは。
「加重」
小さな呟きからワンテンポ遅れて、腹の底に響いてくるような振動が連続して発生した。
振り向くとそこには、天にかざすように両腕を上げているミハイルさんの姿が。
更に辺りを見渡せば、俺が最初に発見した変異体の他にも複数の個体が存在して、それらが例外なく路面に押し付けられ身動きが取れなくなっていた。
まさか、≪マスハンドラー≫で目につく変異体を一まとめに叩き潰しているのか?
状況が飲み込めていない周りの市民共々、言葉を失っていると。
「全員聞け!!」
耳に飛び込んできたのは、瑞葉さんの怒号だった。
彼女のよく通る声はオープンの回線を介し、このラインにいる全員へと届けられているようだ。
「現在B-8に出現した変異体の動きは封じられているが、数分しか持たん。だがこの大人数が無秩序に動けば避難が遅れるどころか余計な死人も出る恐れがある!」
「嘘、だろ……!?」
言われて初めて、俺は事態の深刻さに気付いた。
ある程度の周期に則っているとはいえ、ただでさえ変異体の出現は突発的だ。警報が鳴ってからでは避難が間に合わないケースも少なくなく、運悪く建物の外にいた市民は我先にとシェルターへ殺到する。
だが変異体の出現周期は概ね月に一度とされていて、その前後三日間――計一週間は大半の市民が外出を自粛するので大きな混乱にはならない。
故に、今の状況は輪をかけて最悪だった。
最後に防衛戦――変異体の襲来があったのは四月二二日。俺がこの世界へと渡ってきた日であり、今日が五月一日だからまだ一週間と少ししか経ってない。
だからこそ、誰もが。
ガーディアンである俺たちですら、しばらくは安全だと思い込んでいた。
このような周期外れの出現など予想だにせず。
今ラインに出ている市民の数は、俺が初めてこの世界に来た時のまばらな人通りとは比較するのもおこがましい。
こんな大人数が何の統制もなく動きだしたら、最悪転倒しただけで逃げ惑う群衆に蹴り殺されかねない。そうでなくても、どこかで人の流れが詰まりでもすれば動き出した変異体の餌食だ。
考え得る限り、最悪のケースが目の前で起きている。
それを即時に理解したからこそ、瑞葉さんは声を張り上げていたのだ。
「これより我々ガーディアンがライン上の変異体を掃討する。私が皆に要求する行動はたった一つ……どうか、その場から動かず待機していて欲しい!」
「なっ!? 瑞葉さん、それは――」
「全員で動けばかえって滞り、分割しようにも時間がかかり過ぎる。その上我々の戦闘に巻き込みかねない! 被害を最小限に抑えるためにも協力してくれ!」
普段の防衛戦であれば一つの通りにこれほどの人間がいることなんてあり得ない。俺や瑞葉さんのような近接武器使いならともかく、ルナリアやミハイルさんの次元兵器は誤射を防ぐために余計な気を使うことになる。それを最小限にするために最も最適なのはこの場にいる全員が動かないことであるのは確かだった。
だが、いくら何でも無茶が過ぎる。
瑞葉さんの要求は正論だが、あまりにも一方的だ。内容も普通であれば到底受け入れられるものではない。
しかし市民たちは俺が思っていた以上に彼女に協力的だった。怯えながらも、変異体から離れるようにして道の端へと寄ってからは瑞葉さんの指示通りにしている。
彼らの殆どは複数人で身を寄せ合うように固まっていた。恐らく家族連れか、知人友人同士でここを訪れていたのだろう。
身内を置いて我先に逃げる人間が少なかったからこそ、大きな混乱とはならなかったのかもしれない。
恐怖に耐えながら大人しくその場に留まる市民たちを瑞葉さんは一瞬沈痛な面持ちで見るが、すぐに表情を引き締めて矢継ぎ早に指示を出し始めた。
「ミハイルは荷重を維持。多少緩めてでもなるべく長く奴らを留めるように努めろ」
「かしこまりました」
「エリカはシアと一緒にここで待て。最悪の場合は、お前たちだけでもシェルターへ避難しろ」
「うん、わかった」
エリカに倣い、シアも緊張した面持ちではあるが無言で頷く。
一度変異体に殺されかけたこともあっただけにパニックになっていないか心配していたが、思ったよりも肝が据わっているようだった。
「残りの者……と言っても三人だけだな。我々は変異体の掃除だ」
三人――俺とルナリアと、瑞葉さんか。
警報が鳴った以上、管理局にいたラッドたちや久道さんも行動に移っているはずだ。無線での連絡が無いのは、それほどまでに緊迫しているからだろう。
ミハイルさんが俺の荒唐無稽な警告を信じてくれたのか、ここら一帯は最速で変異体の動きを封じれたお陰で大きな混乱も防げた。
他のエリアやラインではどれほどの……いや、今は考えないでおこう。
まずは、一番近い場所から片づけなければ。
「私とルナリアは北上しながら、春近には南下しながら変異体に止めを刺していってもらう。お前には多く負担をかけることになるが、頼めるか?」
「はい、それが妥当だと思います」
俺の戦闘経験自体はまだまだ浅いが、ただ動きを縛られている敵を斬っていくだけならそう難しいことではない。
それに時間操作を使えばより高速で処理することが可能だ。多少無理すれば、早々に片づけて別のエリアへ救援に迎える可能性だってある。
そこまでを理解しているからこその采配だろう。
俺の返事を聞くが早く瑞葉さんはルナリアへと声をかけた。
「では任せる。そしたらルナリアは私と――っ!?」
後方へと向けられた瑞葉さんの目が、驚愕に見開かれる。
ただならない何かを感じた俺は、彼女の視線を追うようにして。
それを、見た。
◇
――どうして。
鳴り響く警報。
市民たちの悲鳴。
変異体の咆哮。
あらゆる音、音、音。
その一つ一つが感情を大きく揺さぶり、記憶を呼び起こす。
――どうしてどうしてどうして!?
叫ぼうとしても、枯れた喉からは息だけが漏れた。
震えを抑えようと体を抱きしめても、止まる気配はない。
湧き上がる恐怖に耐え切れず、膝が折れる。
目の前が暗闇に覆われていく中。
ルナリア・カミカワは、思い出す。
家族を――全てを失った、三年前のあの日を。




