Chapter03-5
春近がミハイルにボーイズトークを迫られている一方。
店内でもまた、一つの問題が発生していた。
と言うより、発生源が存在するとすれば一つしかなかった。
「シア、この黒いやつはどうだ?」
「えっと、流石に派手過ぎるような……」
「ならこっちの黒いやつは?」
「ぬ、布が少なすぎません?」
「ではこちらの黒いやつなら?」
「あの、何でさっきから黒い下着ばっかり勧めるんですか!?」
「エリカ、あれ止められないの?」
「すみません無理です」
「……それは、残念ね」
即答されてしまい、ルナリアは思わず額を押さえた。
フューリーや瑞葉への態度を見ればわかる通り、エリカは身内に対して厳しい。こればかりは久道の教育の賜物と言うしかないだろう。
しかし本来なら真っ先に窘めに行く状況で、今はルナリアと共に巻き込まれないよう距離を取っている。
恐らく昔同じようなことをされ、軽くトラウマになっているのだろう。そしてこのまま行けば、シアも同じ道を辿ることになる。可哀想に。
しかし、非力な少女たちには暴走する瑞葉を止める術などなかった。
シアには申し訳ないが、ここは頑張ってもらうしかないようだ。
事情を知らない者から見れば実に犯罪的な光景に心を痛めていると、
「そう言えば、ルナリアさんは先ほど春近さんと何をお話になっていたんですか?」
「え!?」
エリカから藪から棒に質問をされ、不意を突かれたルナリアの声が上ずった。
それを見たエリカは慌てて付け足す様に言葉を発する。
「あ、無理に答えて貰わなくてもいいですよ? ただ、真剣にお話していたみたいだからちょっとだけ気になって」
「そ、そう。でも本当に大したことじゃないの。それこそエリカたちには聞かせるまでのことじゃ――」
「いいや、詳しく聞かせて貰おうか」
「きゃあ!?」
「うわっ!」
突然会話に混ざってきた瑞葉に驚き、小さく飛び退る二人。
そんな反応を受けた瑞葉は呆れたように半眼となる。
「流石に驚きすぎだろう」
「驚くよ! いつの間に接近してきて……それよりシアちゃんは?」
「シアなら試着室だ。私とは下着の趣向が合わないようでな、つい先ほど店の人に任せてきた」
「姉さん……本当に何しに来たの?」
「ハッハッハ。細かいことは気にするな!」
何がおかしいのか、瑞葉は豪快に笑い飛ばした。
本当に何をしに来たのだろうかこの人は。
「気にするよ! 私、シアちゃん見て来ますので!」
「あ、ちょっと!?」
ルナリアの静止を振り払い、エリカは試着室の方へと駆けていく。
走り去るその背中には「姉さんをよろしくお願いします」と書いてあるようだった。
――お、押し付けられた……!
介入する余地もない、鮮やかな手口に臍を噛む思いでいるルナリア。
そんな彼女の気など知ったこっちゃないといった感じで、瑞葉は話しかけてきた。
「それで、ルナリアは何を悩んでいるんだ?」
「いや、何って言われても」
しかもルナリアが春近と何を話していたかについてから、何故かルナリアがどんな悩みを抱えているかに話題が変わっている。
一応、春近に悩みを打ち明けていたのは間違いないのだが、他でもない瑞葉の乱入によって答えは聞けず終いだった。内容が内容であるため彼以外に聞かせるのも気が引ける。
「そう遠慮するんじゃない。お前たちはいつも若者同士で集まっているから一対一で話す機会も少ないしな。今日くらいは年長者である私の胸を存分に借りるがいい!」
「えっと……じゃ、じゃあ、そういうことなら」
かと言って、この謎なテンションの瑞葉から逃れられる雰囲気でもなかった。
こうしている間もジリジリと距離を詰めてきている。他の客への迷惑を考えると狭い店内で逃げ回る訳にもいかない。
よって一番触れられたくない部分をぼかした、最大公約数的な回答で誤魔化すという方法しか思いつかなかった。
「……四日前、例の変異体との戦闘がありましたよね?」
「ああ、あらゆる意味で厳しい戦いだったな」
ルナリアの問いかけに、瑞葉は当時のことを思い出すようにしながら頷く。
曖昧な表現ではあったが、全くもって正しい。
あの戦いが如何に厳しいものであったかは、一言で言い表せるほど単純なものではないのだから。
――特に、直接手にかけた彼の気持ちを想えば。
沈鬱な感情がこみ上げてきそうになるのを抑えながら、ルナリアは続けた。
「一番肝心な時に、私だけ何も出来なかったのが今でも悔しくて。瑞葉さんや他の人たち……それこそラッドにすら役割があったのに」
「おいおい、あまり奴をいじめてやるな。最近は頑張っているようだしな……しかしそうか。なるほど、聞いてみれば真面目なルナリアらしい悩みだな」
少しだけ浮かべた苦笑を引っ込めて、瑞葉は真剣な表情で考え込み始めた。そこに直前までの抜けた雰囲気は微塵もない。
納得させることができたことに安心する反面、間違いなく自分のことで真摯になってくれている瑞葉を騙していることに心が痛んだ。
例の変異体――『クロノス』との接敵から前準備の段階で何も出来なかったこと自体は嘘ではなかった。ただしそれは自己反省で済む範疇であり、既に解決するためのトレーニングも行っている。
彼女に語ったのは上辺で見て分かる部分であり、ルナリアが真の意味で抱え込んでいるものではなかった。
話せば楽になるのかもしれない。
だが正直に胸の内を明かせば、どうなるかなんて目に見えている。
瑞葉のみならず、ルナリアの周りにいるのはいい人たちばかりだ。家族と一緒にこの都市に来てからも、家族を失ってからも、ずっと親身になってくれた。
もし春近に話したことと同様の内容を聞けば、真っ先に否定してくれるだろう。彼の背負った重荷に関しては、あの場にいた全員に責があると。
そう確信しているからこそ、正直に話すという選択肢はなかった。
自分なんかのために、散々世話になっている人たちへ責任の所在を問うような。そんな恩知らずな真似が出来るはずもない。
見方によってはこの上なく身勝手な理由だが、それでもルナリアは。
――あれ?
ルナリアは、疑問に思った。
こんなにも断固として打ち明けるまいとしてきたのに。
この先ずっと独りで抱え続け、痛みに耐えていこうと決意していたはずなのに。
どうして、春近にだけは話してしまったのだろう?
出会ってまだ日が浅いにせよ、彼だってルナリアにとっては大切な友人だ。そこに例外なんてない。
なのに、どうして――
「ルナリア?」
「ふぇ!? あ、はい! 何でしょう!?」
「流石に驚きすぎだろう」
深みにはまりかけた思考を断ち切るかのように欠けられた声に気が動転し、不自然に声が裏返る。応じ方もなにやらおかしい。
今回に関しては、返す言葉もなかった。
「す、すみません……」
「別に謝る必要もないさ。それはそれとして、先ほどお前が話したことについて私なりに考えてみたんだが」
ルナリアが良心の呵責に苛まれたり新たな疑問に頭を捻ろうとしていた間にも、瑞葉は瑞葉なりに相談されたことについて考えをまとめていたようだった。
半ば建前とは言え話した以上は聞かない訳にもいかず、ルナリアは特に口を挟むことなく彼女の言葉を待った。
「万事において肝要なのは適材適所。誰にだって得手不得手があり、それを踏まえた上で物事には応じるべきである。これはわかるな?」
「ま、まあそれくらいは」
改めて言われずとも、ガーディアンとして戦う上で適材適所――つまり役割分担は至極当然に行われることだ。ラッドのあだ名である「移動足場」だって、別に悪意によるものではない。恐らくは。
いまいち瑞葉の言わんとしている所が掴めず、ルナリアの頭上に疑問符が浮かぶ。
だが、次に放たれた彼女の言葉には虚を突かれた。
「なら、ルナリアが何もできなかった理由もわかるだろう」
「そ、れは」
励ましではなく、追及。
思いもよらぬ厳しいそれに一瞬答えに窮する。
ただし彼女の言ったことは、戦闘があった次の日には把握していたことだった。
「……私の武器と、あの変異体との相性が最悪だったからです」
「うん、その通りだ」
ルナリアの使用する次元兵器≪サイレントルーラー≫。
純粋な個人携行の光学兵器としても最高峰の火力を誇るが、最大の特徴は光線を自在に反射・分散させるミラーポイントを任意の座標に配置する固有機能にある。これを駆使することで障害物を掻い潜る精密射撃から、面での制圧射撃といったような幅広い使い分けが可能になるのだ。
だが、それらは長所であると同時に欠点でもあった。
光学兵器の殺傷力はチャージ時間に比例する。大きな一撃を撃つたびにチャージが必要になるその使用上、最大威力を間断なく放つような使い方は難しい。その点で言えば、弾薬が許す限りに一定の威力を保ち続けられる実弾兵器の方が優秀である。
更に、ミラーポイントの操作にはかなりの演算リソースが必要だ。設置座標、反射・分散角、有効半径。これらの情報を複数、同時に処理して初めて使いこなせる。その適性があったからこそルナリアが使用者として選ばれたのだが、そんな彼女であっても複雑な演算には相応の時間を要した。
これらを統合すれば、自ずと問題点は見えてくる。
≪サイレントルーラー≫は、どんな致命傷からも即座に再生し、速度という次元すら超えた速さの持ち主である『クロノス』に対し、この上なく相性が悪かったのだ。
「加えて、奴自身の耐久力が相当高かったのもある。外壁から春近の下へ向かう時間をチャージに当てたからこそ一度は倒せたが、あの場で同じだけの火力を出すのは難しかっただろうな」
瑞葉の指摘はどこまでも的を射ていた。
あの戦場において、有効な攻撃手段を持たないルナリアは控えめに言っても案山子以外の何者でもなかった。
「まあ、お前なら今話したことはとうの昔に自覚しているだろう」
「はい……」
自覚してはいたものの、改めて他人から言われると当時の役立たずっぷりに凹まざるを得なかった。
しゅんと肩を落とすルナリアを見て、しかし瑞葉は引き締めていた表情を緩める。
「何も責めようという訳ではない。私が言いたかったのは、一つの状況だけで自分の価値を決めつけるのは尚早だということだ」
「自分の、価値?」
「ああ」
小さく繰り返すルナリアに瑞葉は頷いた。
「無論、己の行動を省みるのは大事なことだがな。ルナリアは少々、自分に対する責任の比重を多く見過ぎるきらいがある」
「うっ」
図星を突かれ、ルナリアは思わずたじろいだ。
確かに変異体との戦闘後――特に防衛戦の後にする反省はいつも、「あの時自分がこう動いていれば」という内容のものばかりになっていた。
「心当たりがあるだろう? それは美徳でもあるが、あまり自分を貶めすぎるのもよくない……過去にも一度、そうやって潰れかけた人間を知っている」
「え?」
「知人なんだが、名前を出すと怒られるしな。仮にその人物のことをバカと呼ぼう」
「えぇ……」
そっちの方が後で怒られるんじゃないかとルナリアは思わずにいられなかったが、口を挟む余地も無く瑞葉は〝バカ〟という人物について語り始めた。
「私は当事者ではないし、事の次第も人伝に聞いたのだが……そのバカは昔、大きな失態をした。愛していた男に、人殺しをさせたんだ」
ある所に、一人の女――もといバカがいた。
バカは生まれながらの天才で、幼い頃から世界中のあらゆる知識と技術を修めた。偉業を成した祖父を目標とし、脇目もふらず研究へと邁進した。呼んで字の如く研究馬鹿だった。
年相応の老獪さを持っていた祖父と違って、バカは研究ばかりで世間知らずも良いところ。敵を作りやすい性質を憂慮した祖父は、一人の男を護衛として雇った。
バカより少しだけ年上の男は常にバカと周囲の人物との間に入り、人間関係における緩衝材となっていた。護衛というよりは、殆ど秘書のような扱いだった。
護衛を顎で使っていい人材と勘違いしたバカは研究以外の些事を男に放り投げ、自分は一層研究へと邁進するようになった。
しかし長い時間を過ごしていくにつれて、男に対して抱く感情も変化していく。バカは祖父以外の人間に初めて興味を抱き、それが好意へと変わるのにはあまり時間がかからなかった。
研究しかしてこなかったことが祟り、自分から思いを伝えることもできず。
それでも男との平穏な生活に幸せを感じながら、初めての感情を温め続けた。
バカは知らなかった。
たった一人で常識を塗り替え続ける人間を危険視する者たちが、数多く存在していたことを。考え無しに暴力的な才能を振るい続けた結果、亡き祖父が危惧していた通りの事態が発生していたことを。
バカは、知らなかった。
彼女の身柄。あるいは命を狙う者たちを、護衛の男が秘密裏に処理していたことを。
男自身、初めて自覚した感情と積み重なる矛盾に壊れそうになりながら。
最愛の女性の前では、何事もなかったように振る舞っていたことを。
平穏で幸せな時間の裏で築き上げられた屍山血河。
それを、初めてバカが知ったのは。
突然自分を糾弾し、襲い掛かってきた同僚の研究者を、男が苦渋の表情で斬り捨てた瞬間だった。
「自分でやりたいことだけをやり続けた結果、一番側にいた男に数えきれない重荷を担がせた上、その苦悩に気づくこともできなかったんだ」
「……瑞葉さん、そのバカって、まさか」
「流石に気づくか」
ルナリアがバカの正体に気付いた素振りを見せると、瑞葉は苦笑した、
殆ど答えだと言っているような返事だが、故にこそルナリアは信じられない気持ちでいっぱいだった。
「でもそんな……あの人なら、もっとうまく立ち回れたんじゃないですか?」
自分が知る〝その人物〟と、話に出てきた〝バカ〟が頭の中で噛み合わない。
研究者ないし技術者として行き過ぎな部分はあっても、それで敵を増やすような愚行を行う人物とは到底思えなかった。
「今はな。頭は昔から良かったようだが、人としては未熟だったということだ。バカと天才は紙一重というのは中々どうして心理を突いている」
冗談めかして言うが、瑞葉の表情にそれを笑う気配は一つもなかった。
笑える訳がない。
自分のために、自分が知らない所で。大切な人が血で手を汚していたのだ。
真実を知った瞬間、彼女にどれほどの後悔が押し寄せてきたのだろう。
「聞いた話によれば、全てを知った直後は自殺しかねないほど憔悴していたらしい」
「……!」
「もっとも、今の姿を見ていると到底信じられるものではないな。所詮は人伝の話、どこまでが真実なのやら」
そう言って瑞葉は笑って見せる。
ただその目を見れば、言葉とは裏腹に彼女がその話を嘘だと思っていないことは明白だった。
――ルナリアは思考する。
もし今の話を、丸ごと鵜呑みにするのであれば。
自ら命を絶ちかねないほどの後悔に苛まれてなお、それを乗り越え、立ち直ることができた人物が実在しているのなら。
「瑞葉さん」
「ん? 何だ」
「その人は、どうやって乗り越えたんですか?」
春近からは聞きだすことが出来なかった答えが。
どこまでも自分を絶望へと突き落とす悲しみにどうやって向き合い、前を向くことが出来たのか。
予期していなかった機会だが、その答えを得られるかもしれない。
そんな期待から、ルナリアは問いかけた。
「ああ、それは確か……」
問われた瑞葉は、過去に耳にしたことを思い出しながら――
◇
「あ、ほら瑞葉さんたち戻って来たしこのくらいにしときましょう!」
「おや、これは残念ですな」
店から出てきた女性陣が、追い詰められた今の俺には救いの女神に見えた。
本気なのか冗談なのか疑わしい感じで言うミハイルさんを尻目に、俺は素早くベンチから腰を上げて彼女らの下へ歩み寄ろうとし。
「――っ!?」
ぞくりと。
背筋に氷柱を差し込まれたような寒気が全身を駆け巡った。
前触れもなく襲ってきたそれに体が強張り、息が詰まる。
立ち眩みとは全く違う。そんな生易しいものではない。
これは、前兆だ。
俺は直感で理解していた。
もっと恐ろしい。おぞましい何かが起こると確信していた。
爆弾のスイッチが押されるのを目撃すれば、あと数秒後には確実に爆発するのだとわかるように。
「……ヤバい」
この場において、スイッチが何だったのかはわからない。
だが、爆弾は。
この世界において起こり得る最悪は。
「春近さん、一体どうなされ――」
「変異体が来るぞぉぉぉぉぉおおおおおおお!!」
一刻の猶予もなかった。
道を行く全員へ警告するべく、俺は叫ぶ。
他者からすれば――自分からしても何の脈絡もない、妄言でしかないそれは。
数秒遅れて鳴り響いた警報により、現実のものと化した。




