Chapter01-4
ところで、不可解なことがある。
この都市は元の世界と比べて、随分と発展しているように見える。これだけ開発の進んだ都市ならば、少なくとも東京と同じくらいの人口はあるはずだ。逆を返せば、あの変異体による被害も大きいものになるということだが。
実際はどうだろう。
警報が鳴る前に道を歩ていた人の数は少なく、ここの犠牲者もどう数えたって五〇にも届かない。道の広さや立ち並ぶ建物の数からここがメインストリートっぽいのだが、だとすれば死体の数が少なすぎる。
「月曜の朝ならもっと人が……いや、この世界と俺の世界で曜日があっている保証はないか。でも休日にしたってもっと家族連れとかが外にいるんじゃ……って」
ブツブツと考えを口にしながら歩いていると、ふと新たな疑問が湧く。
いや。正確には新しくもなく、改めて疑問に思ったと言うべきか。
「俺、何でこんな冷静なんだ?」
さっき変異体に迫られた辺りから兆候は見られたが、ここにきて顕著になっている。
破壊し尽くされた死体が山を築き、死臭で満ちた道を俺は歩いている。気持ち悪いとか吐きそうだとか文句を言う一方で、死体を数えて都市の被害状況について思考を巡らせながら。
まず、いつもの俺ならこの状況で吐き気を我慢するなんて無理だ。フィクションですら吐き気を催してたのに、現物を見て大丈夫な訳がない。どころか、足の踏み場がなくなっときにつま先でブツを退かした気さえする。
そもそも気持ち悪いなら道を迂回すれば済む話なのに、血だまりへ一歩踏み出すこと自体には殆ど躊躇しなかった。あの時俺は時間の無駄だと思ったが、だとしても迷いがなさすぎる。
不自然なほど冷静な頭で考えた結果、やっぱり今の俺はおかしい。
「どうしちまったんだ、俺」
自分の知らない内に、自分の中で何かが変わってしまっている。
言葉に出来ない気味の悪さに足取りが重くなり、思わず立ち止まる。
そうしなければ、恐らく聞き逃していた。
「……ぁ、ふ」
「っ!」
文字通り、蚊の鳴くような声だった。肺の中身を全部絞り尽くし、それでもなお息を吐こうとすれば出るような、か細い音。
弾かれるように周囲を見渡す。血塗られた風景に別段変化はなく、新手の変異体が襲来した訳ではないらしい。
だとすると、これは――
「誰か生きてるのか?」
恐る恐る声をかけてみるが、返事はない。いやむしろ、返事が出来る状態に無いと考えた方がいいだろう。まともな返事が出来るのなら、あんな消え入るような声なんて発しないはずだ。
声がした方向から、大まかな位置はわかっていた。無数に転がる死体を跨ぎながら、俺は正面右の、道の脇の方へと移動する。
都市の隣同士の建物は大抵密着しているが、そこは数少ない隙間の一つだった。内装の都合なのか、片方の建物の一部がせり出しているせいで僅かに路地が設けられている。ギリギリ、子供が一人通れそうなスペースだ。
その入り口を塞ぐように、一組の男女が折り重なって果てていた。道に転がっていた死体とは違って五体満足で、著しい欠損は見られない。視線をずらすと、互いの薬指にはめられていた指輪がチカリと陽光を反射する。夫婦なのだろう。
二人には共通して胸の真ん中辺りに巨大な刃物で刺されたような傷があり、仰向けに倒れている。二人は正面から変異体の攻撃を受け止めて息絶えたのだ。
きっと、この先にいる誰かを守るために。
「失礼します」
一度手を合わせてから、俺はそっと二人を乗り越える。
跨ぐのは気が引けたが、あの弱々しい声を聞いた後では時間が惜しい。
非常に狭いが、体を横にして少しずつ先へと進む。
薄暗い路地には夫婦の物とは別に、何かが這いずったような血痕があった。それはメインストリートから離れるように奥まで伸びていて、反対側の出口まで続いている。
恐らく、彼らが守ろうとした誰かは手負いだ。
あと一歩、彼らは守り切れなかったのだ。
えっちらおっちらと、狭い路地を二十秒ほどかけて抜けた先。
死体は幾つか転がれどさっきいた場所よりかは幾分かマシな光景が広がっている中に、その少女は倒れていた。
背が低く、表情にはまだあどけなさが残っている。中学に上がるか上がらないかくらいの年の頃だろうか。どことなく入り口の二人の面影を感じさせ、この子は彼らの娘であることを確信する。自分の娘なら、体を張って守ろうとするのも頷けた。
ただし、無事にとはいかなかったようだが。
「おい、しっかりしろ。俺の声が聞こえるか!?」
「……っ」
体を下手に動かさないように、軽く肩を叩きながら浅い呼吸を繰り返す少女に声をかける。返事は出来ないようだが代わりに小さく身じろいだので、俺の声は届いているらしい。辛うじて意識は繋ぎ留められていた。
「だが、ヤバいことに変わりわないぞ」
降ろした鞄から使えそうなものがないか探しながら、俺は少女の傷を見る。
後ろから脇腹を一突き。犠牲の甲斐あってか傷の深さは両親よりも浅いが、とにかく出血が酷い。
「よし、ひとまずこれで!」
程なくして、俺は鞄から一枚のタオルを引っ張り出す。
今日の五限が体育でよかった。汗を拭くために持ってきたタオルは昨日洗濯したばかりだから、そこそこ清潔だろう。
「少し強めに押さえるけど、我慢してくれよ」
声をかけてから、適当な大きさに丸めたタオルで傷口を塞ぐように押さえつけた。正しい止血の仕方なんてわからないが、何もしないよりは良いはずだ。我ながら不自然なまでに手際が良いが、今ばかりは助かる。
しかし、無地の白いタオルは傷口に当てた部分からあっという間に赤く染まっていく。端の方からも血の雫が滴り始めた。持っている手にも湿ったような感触が広がり、ものの十数秒でグチャグチャになってしまう。
「嘘だろおい……くそ、止まれ! 止まれよ!」
より一層強く押さえ込むが、出血の勢いは衰えない。如何に親より浅いとはいえ、小さな少女にとって化け物による一撃は充分に致命的だったのか。
仮にここで暴れまわった変異体が俺を無視した個体と同じ奴だとしたら、少女が怪我をしてから十分前後は経っている計算になる。
うろ覚えだが、人間は全身の血液の二・三割を失うだけで出血死するんじゃなかったか。今でさえ酷いのに、この子は俺が来るまでにどれだけの血を流したのだろう。呼吸音も、注意しなければもう殆ど聞こえない。
もう、これは助からないだろう。
さっさと見捨てて、自分が避難した方がいいんじゃないか?
頭の中の冷静な部分の、至って現実的な提案を――
「んなこと知るか黙ってろ!」
声に出して、ねじ伏せた。
言うに事欠いて、見捨てろだ?
非常事態だからと、気持ち悪い冷静さでも役に立つだろうと放っておけば、何をふざけたことを考えたこの脳みそは。
確かに少女の意識は危ういし、今にも血の最後の一滴まで流れ尽くそうとしている。
それでも、まだ生きているんだぞ。
それを見捨てるなんて、それこそ化け物と変わりない。
あまりにも、人間離れした合理性でしかないだろうが……!
「絶対に、助けてやる」
その合理性を否定するように、俺は呟く。行動へ移すまでに時間は必要なかった。
ズボンのベルトを外し少女の体の下をくぐらせて、傷口のタオルを縛り付けるように固定する。そして極力刺激を与えないように、ゆっくりと抱き上げた。
これ以上尽くせる手がなく助けを待っている猶予もないなら、一か八かこの子を治療できる場所へ向かうしかない。
可能性があるとすれば。
「あの塔か」
大きさからして、あれは都市の重要な施設なのだろう。
治療が可能かも不明な上、方向的に来た道を引き返すことになるが知ったことじゃない。場所が明確な分、少なくとも闇雲にシェルターを探すよりは長く連れまわすリスクも抑えられる。
――どうして見知らぬ他人のためにそこまでする?
またも邪悪な合理性が顔を出しそうになるが、無視した。
こういうのは多分、理屈じゃない。
俺にとってそこは、人として譲れない一線なのだ。
それを言葉にするのももどかしく、俺はただ行動で示す。
「待ってろよ、今すぐあそこに向かって……!?」
腕の中にいる少女へ励ますように声をかけ、俺は驚愕した。
さっきまで力なく閉じられていた少女の目が、薄く開いている。
そこにはまだ、命の灯が消えずに残っていた。
「いいぞ、気をしっかり持つんだ! まだ間に合う……絶対に諦めるなよ!」
真っすぐ目を見て、強く呼びかける。どうやら最初に発見した時よりも意識がハッキリしているようで、少女は俺を見返しながら小さく頷いた。
この子にもまだ生きる意志がある。
それが確認できただけでも充分だった。
ただ、これが燃え尽きようとする命の最後の輝きであるかもわからない。
「とにかく、さっさとここを――」
塔がある方角へと向き直り、
俺は一瞬、呼吸の仕方を忘れた。
一度見たら二度と忘れない。
そう誓えるほどに、異常で異質な異形が。
塔へ続く道から感情のない三つの複眼が、俺へと向けられていた。
「犯人は現場に戻るってか……ハハッ、マジでふざけんじゃねえぞ」
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、思わず笑ってしまった。
化け物が何を考えているなんてわからない。取り残しがいないか探しに来たのか、それとも俺のことを思い出して戻ってきたのか。
どちらにせよ、奴は数多の死体を踏みにじりながらそこに立っている。
最悪だ。
俺と奴との距離は、精々十メートル程度。あれの足の速さはさっき見たから知っている。少女を抱えていようがいなかろうが、直線で逃げれる相手ではない。今から踵を返して走り出そうが、二秒と持たないだろう。
山羊頭が口を開き、草食動物とは思えない鋭利な乱杭歯が空気に晒された。四本の蟹脚と前腕の鎌が力を込めるようにたわめられる。
先ほどは感じなかった殺意めいたものを今はひしひしと感じた。
どうやら、今回は見逃す気がないらしい。
――この子を囮にすれば、もしかしたら助かるかもしれない。
懲りずにそんな発想が浮かんでくるが、同時に成程とも思う。
もしあの化け物が腹を空かしているのなら、少女を生贄にして自分は路地にでも隠れてしまえばいい。あの図体なら追ってこれないだろうし、満足して去ってくれれば本当に助かるかもしれない。
「……ハッ」
我ながら人間とは思えない、悪魔的な発想。
故に俺は一笑に付し、今度は答えてやった。
「いっぺん死んどけ、クソ野郎」
「ギィィイシャアアァァァアアア!!」
真正面に見据えた変異体が、暴風を伴って迫り来る。
「ミラーポイント集中配置――連結開始!!」
凛とした声が空に響いた直後。
視界一杯に、閃光が瞬いた。
「うおおおおおおおおお!?」
空気を焼きながら、流星群の如く降り注ぐ大量のレーザー。
その一本がつま先を掠めていき、慌てて飛び退く。
光線の弾幕に曝された変異体はと言えば、当然ひとたまりもなかった。
鱗も甲殻も、まるで紙屑のように貫かれていく。光線一つ一つが凄まじい熱量を持っているのか、周囲にはあっという間に肉の焦げたような臭いが充満し始めた。
レーザーはたっぷり五秒間ほど降り続け、やがてピタリと止まる。まるで通り雨のように過ぎ去っていったが、その威力は雨粒なんかの比じゃない。
変異体は断末魔すら上げる間もなく、全身に焼け焦げた穴を穿たれていた。その全てからどす黒い血と煙を垂れ流しながら、糸の切れた人形のように力なく倒れる。
何十人もの人間を殺し、さっきまで俺たちの命すら奪おうとしていた化け物の末路は、相応に悲惨なものだった。
「えっと、あー、何だ」
目の前の危機が去ったということを理解するのに、俺はまたもや時間を要した。
さっきのガンスルーもそうだったが、あまりにも突然すぎると脳の処理が間に合わない。
まあ、ただ一つ言えることがあるとすれば。
「また助かったのか……俺も、この子も」
再び瞳を閉じながらも、初めに聞いた時よりかは力強い呼吸をしている少女を見下ろし、ようやくその実感が湧いて来た。
やれやれ、一時はどうなるかと思った。幾ら屑にはなりたくなかったからとは言え、あの場面で犬死上等とか別のベクトルで人間離れしてきてるのかもしれない。
もっとも、逃げなかったこと自体は全く後悔していないが。
「つーか今のレーザーすげえな。もしかして、今のをやったのがガーディアンなのか?」
あれが始まる直前、確か空の方から女の声が聞こえた気がする。とすると、ガーディアンは人間なのだろうか。
確認するべく、俺は空を見上げようとして――
「――がっ!?」
衝撃、痛み、熱。
突如として脳内に吹き荒れる情報。頭の中で爆弾が爆発したかと錯覚するほどの激痛に目がくらみ、堪らず膝を着く。
少女の体重を支えることすらままならず、せめて傷つけないようにそっと路面に降ろして、そのまま数歩離れて。
限界が訪れた。
「ぁぁぐっ、かはっ、が、ああぁああああぁあああああああ!!」
背中から倒れ、全身が血で汚れることすら厭わず転げまわった。頭を押さえていなければ、内側から頭蓋骨を割って何かが飛び出てきそうだった。
視界が揺れる。神経が焼ける。脳が圧縮される。痛い。融けた鉄を流し込まれたかのように熱い、背中が。刺されたのか、一体誰に痛い。違う、これは俺じゃ熱い。俺じゃない記憶が流れて痛い。痛い熱い誰か、誰か助け痛い痛い熱い熱熱熱痛痛熱――――――!!
――――声。
「いいか、ここを真っすぐ抜ければシェルターまで近道できる。さあ行くんだ」
「やだ! シアもお父さんたちと一緒に行く!」
「ごめんね。私たちじゃ、この道を通れないから」
「僕たちもすぐに追いつく。だからシアは先に――!? 駄目だ、もうそこまで来てる!」
「もう時間がない。お願い、早く行って!」
「お父さん、お母さん!」
「走れシア! 絶対に振り返るんじゃないぞ!」
「私たちの分も、生きて……!」
聞き覚えのない声。見覚えのない映像。
これは、まさか――
誰かの記憶を最後に、意識は闇へと飲まれた。




