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昭和十六年の日本国  作者: 秋雲 榛名


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九 届かなかった名前


一月二十五日。

 未来日本の東京で、榊原直人は一通の報告書を受け取った。

 政府が調査している、時空間異常に伴う記録変化に関するものだった。

 報告書には、古い写真や文書の一部が変化した事例が記されていた。

 その多くは、戦後に生まれた人物に関する記録だった。

 生年月日が変わる。

 住所が変わる。

 家族関係が変わる。

 そして、まれに人物そのものの記録が消える。

 榊原は、資料を読み進めた。

 そこには、まだ科学的な説明がついていないと記されていた。

 未来日本の研究者たちは、複数の仮説を立てている。

 時間の流れが分岐しているという説。

 過去の変化が、未来日本の記録に影響を与えているという説。

 あるいは、時空間異常そのものが、記録媒体へ何らかの影響を及ぼしているという説。

 しかし、どれも証明されていなかった。

 榊原は、報告書を閉じた。

 そして、机の引き出しから父の写真を取り出した。

 以前より、さらに薄くなっているように見えた。

 榊原は、写真を見つめた。

 父の名前は、榊原正一。

 昭和二十一年生まれ。

 戦後の日本で育ち、働き、家庭を持ち、自分を育ててくれた人だった。

 その名前を、榊原は紙に書いた。

 榊原正一。

 何度も書いた。

 忘れないためだった。

 そのとき、秘書が入室した。

「総理、京都から連絡です」

 榊原は、顔を上げた。

「何でしょう」

「停戦予備協定について、最終調整に入ったとのことです」

「分かりました」

 秘書は、少し間を置いた。

「総理、お顔の色が優れませんが」

「大丈夫です」

 榊原は、写真を引き出しへ戻した。

「京都へ戻ります」

 秘書は頷いた。

 榊原は立ち上がった。

 父の名前を書いた紙は、机の上に残された。

 その文字だけは、まだ鮮明だった。

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