七 京都への招待
一月十日。
未来日本政府は、中国との和平交渉に向けた国際会議の開催を提案した。
場所は、京都。
出席予定者は、昭和日本、未来日本、中国国民政府の代表。
さらに、中国共産党側にも参加を打診する方針だった。
この提案は、各国に大きな波紋を広げた。
中国国民政府は、慎重ながら前向きな姿勢を示した。
昭和日本政府は、軍部との調整を進めた。
米国は、会議の行方を注視すると発表した。
英国も、関心を示した。
しかし、中国共産党の参加については、意見が分かれた。
蒋介石政府は、共産党を中国の正式な代表として扱うことに反発した。
昭和日本の軍部にも、共産党勢力との交渉を嫌う者が多かった。
未来日本政府内でも、議論が続いた。
榊原直人は、外務大臣から報告を受けていた。
「中国共産党の参加について、国民政府が難色を示しています」
榊原は頷いた。
「予想していました」
「昭和日本側も、慎重です」
「そうでしょうね」
外務大臣は、少し考えた。
「共産党を外して、まず国民政府との交渉を進める案もあります」
榊原は、しばらく黙っていた。
「それでは、将来の問題を残すことになります」
「しかし、共産党を参加させれば、会議そのものが成立しない可能性もあります」
榊原は、窓の外を見た。
京都。
かつて日本の都だった街。
未来日本では、観光都市として世界中から人々が訪れる。
しかし、昭和十七年の世界では、戦争の行方を左右する外交の舞台になろうとしていた。
「形式にこだわらなくてもいい」
榊原は言った。
「まずは、全員が話せる場を作りましょう」
外務大臣は頷いた。
「非公式協議という形ですか」
「はい」
榊原は続けた。
「大切なのは、誰が勝つかを決めることではありません」
少し間を置いた。
「誰が死なずに済むかを考えることです」




