第六章 和平の値段 一 雪の降る国
昭和十七年一月三日、福井には朝から雪が降っていた。
大野健司は、営業所の駐車場に並んだ大型トラックを一台ずつ見て回った。夜のうちに降った雪がフロントガラスを覆い、ワイパーの根元には白い塊ができている。気温は氷点下二度。車両点検用の手袋をしていても、金属に触れると指先が痛んだ。
いつもなら、年明け最初の仕事は大阪への雑貨輸送だった。
北陸自動車道から名神高速道路へ入り、京都を過ぎて大阪へ向かう。荷物を降ろしたら帰り荷を積み、翌朝までには福井へ戻る。走り慣れた道だった。
しかし、今年の運行表に大阪行きはなかった。
配車室に入ると、所長の川島がストーブの前で煙草を吸っていた。
「大野、今日は敦賀だ」
「敦賀ですか」
「ああ。港で荷物を積んで、福井市内の倉庫へ運ぶ」
「何を積むんです」
「米だ」
大野は顔を上げた。
「米?」
「政府の緊急輸送だそうだ。昭和の方から入ってきた」
川島は机の上の書類を指で押した。
そこには、昭和日本との物資融通に関する臨時輸送命令が記されていた。
大野は書類を読み、眉を寄せた。
「昭和の米って、食べられるんですか」
「お前な。昭和の人間だって米を食ってるだろうが」
「いや、そういう意味じゃなくて。品質とか、検査とか」
「検査は港でやる。俺たちは運ぶだけだ」
川島は煙草を灰皿へ押しつけた。
「ただし、気をつけろよ。今回は普通の荷物じゃない」
「分かってます」
「盗難も心配されてる。途中で車を離れるな」
大野は頷いた。
つい一か月前まで、米を運ぶ仕事に警備が必要になるとは考えたこともなかった。
日本のスーパーには、いつでも米が並んでいた。少なくとも、並んでいるのが当然だと思っていた。
ところが、時空間異常が起きてから、その当然が次々に失われている。
石油が届かない。
飼料が届かない。
食品工場の原料が不足する。
輸送費が上がる。
買いだめが始まる。
政府は国内備蓄の放出と配給体制の整備を進めていたが、混乱は収まっていなかった。
大野は車の鍵を受け取り、配車室を出た。
駐車場では、若い運転手がエンジンをかけようとしていた。
何度かセルモーターが回り、ようやくディーゼルエンジンが始動する。
その音を聞きながら、大野は自分のトラックへ向かった。
軽油は、あとどれくらいあるのだろう。
会社は、いつまで仕事を続けられるのだろう。
娘の高校進学は、どうなるのだろう。
考え始めれば、きりがなかった。
大野は運転席に乗り込み、エンジンを始動した。
メーターが点灯する。
燃料計は、満タンを示していた。
それだけで、少し安心した。
雪の降る福井を出発したのは、午前六時十五分だった。
敦賀へ向かう国道には、除雪車が入っていた。
大野は速度を落とし、前方の車間距離を十分に取った。
ラジオでは、首相の年頭会見が流れていた。
『政府は、国民生活の安定を最優先に、昭和日本との経済協力を進めてまいります』
大野は、ラジオの音量を少し下げた。
立派なことを言うのはいい。
ただ、政治家には一度、燃料が残り少なくなったトラックで雪道を走ってみてほしいと思った。
目的地まで届くかどうか分からない不安は、会議室ではなかなか理解できないだろう。
それでも、走らなければならなかった。
自分が運ばなければ、誰かの食卓から米が消える。
大野はハンドルを握り直した。
前方では、雪が横殴りに降り始めていた。




