二十一 新しい年の前夜
十二月三十一日。
未来日本の首相官邸では、榊原直人が最後の報告書を読んでいた。
昭和日本との協議は続いている。
米国との交渉も、一定の成果を上げた。
中国との和平に向けた接触も、少しずつ始まっている。
しかし、ドイツとソ連は未来日本への関心を強めていた。
上海で奪われた情報機器は、まだ見つかっていない。
神谷修一の背後にいた協力者たちも、全員が特定されたわけではなかった。
榊原は、報告書を閉じた。
窓の外には、東京の夜景が広がっていた。
節電の影響で、以前より暗い。
しかし、完全に明かりが消えたわけではない。
人々は、まだ暮らしている。
家族と食事をし、仕事をし、明日のことを考えている。
榊原は、机の上の時計を見た。
午後十一時五十分。
あと十分で、新しい年が始まる。
昭和日本では、昭和十七年。
未来日本では、二〇二七年になるはずだった。
しかし、今は両国が同じ世界に存在している。
時間の流れそのものが、以前とは違っているのかもしれない。
榊原は、妻から届いたメッセージを開いた。
『今年もお疲れさま。帰れるなら、少しでも帰ってきてね』
榊原は、しばらく画面を見つめた。
そして、短く返信した。
『もう少ししたら帰る』
送信を終えたとき、官房長官が入室した。
「総理」
「どうしました」
「ドイツ政府から、新たな連絡がありました」
榊原は顔を上げた。
「内容は」
「未来日本との正式な会談を、早急に実施したいとのことです」
「分かりました」
「それから、もう一つ」
官房長官は、少し言いにくそうに続けた。
「ドイツ側は、未来の欧州戦争に関する資料の提供を求めています」
榊原は、しばらく黙っていた。
「断ってください」
「よろしいのですか」
「少なくとも、軍事作戦に直接利用できる情報は渡せません」
官房長官は頷いた。
「承知しました」
榊原は、窓の外を見た。
ドイツ。
ヒトラー。
欧州戦争。
そして、未来日本が知っている歴史。
もしドイツが、自国の敗北を知ったら。
もしヒトラーが、未来の情報を利用して戦争を続けようとしたら。
世界は、史実よりもさらに悲惨な道へ進むかもしれない。
榊原は、静かに言った。
「未来を知ることが、必ずしも人間を賢くするわけではないんですね」
官房長官は、答えなかった。
時計の針が、午前零時を指した。
新しい年が始まった。
昭和十七年一月一日。
未来日本にとっては、二〇二七年一月一日。
二つの日本は、同じ世界で新年を迎えた。
しかし、その世界がどこへ向かうのか、誰にも分からなかった。
ただ、確かなことが一つあった。
未来は、もはや決められた歴史ではない。
人間が選び、争い、時には間違えながら作っていくものになっていた。
榊原は、机の上の資料を片づけた。
そして、妻の待つ家へ帰るため、官邸を出た。
外には、冷たい冬の風が吹いていた。
東京の空には、星が見えていた。
八十五年前の東京にも、同じ星が輝いているのだろう。
榊原は、少しだけ空を見上げた。
新しい年が、平和な年になることを願った。
しかし、その願いが簡単には叶わないことも、すでに理解していた。




