二十 年の瀬
十二月三十日。
昭和日本の東京では、年末の準備が進んでいた。
真壁宗一郎は、約束どおり息子を上野動物園へ連れていった。
空はよく晴れていた。
冬の冷たい風が吹いていたが、宗太郎は気にする様子もなく、園内を走り回っていた。
「父さん、早く!」
真壁は、少し笑った。
「そんなに急ぐな」
宗太郎は、檻の前で立ち止まった。
象がいた。
大きな体をゆっくり動かし、鼻を伸ばしている。
宗太郎は、目を輝かせた。
「すごいなあ」
真壁は、息子の隣に立った。
未来日本の資料には、戦争中に上野動物園の動物たちが殺処分されたことが記されていた。
真壁は、そのことを思い出した。
しかし、目の前の象は、そんな未来を知らない。
ただ、冬の陽光の下で、ゆっくりと体を動かしている。
「父さん」
宗太郎が尋ねた。
「未来の日本にも、象はいるの?」
「ああ」
「この象も?」
真壁は、少し考えた。
「どうだろうな」
宗太郎は、象を見つめた。
「長生きするといいね」
真壁は、息子の頭に手を置いた。
「そうだな」
そのとき、宗太郎が振り返った。
「父さん」
「何だ」
「戦争、始まらないといいね」
真壁は、息子を見た。
宗太郎は、真剣な顔をしていた。
「学校で、みんな言ってるんだ。未来の日本が来たから、戦争しなくて済むかもしれないって」
真壁は、しばらく黙っていた。
「そうだな」
「本当に?」
真壁は、息子の目を見た。
そして、静かに答えた。
「そうなるように、父さんたちが頑張る」
宗太郎は、少し笑った。
「うん」
真壁は、象を見た。
戦争を避けることができれば、救われる命がある。
しかし、それだけではない。
未来日本の出現によって、世界はすでに変わり始めている。
各国は、未来の知識を求めている。
軍人は、未来の兵器を欲しがっている。
情報を売る者も、奪う者も現れた。
そして、誰もその先を知らない。
真壁は、息子の手を取った。
「帰るか」
「もう少し見たい」
「そうか」
真壁は笑った。
「では、もう少しだけだ」
二人は、象の前に立っていた。
冬の陽光が、檻の向こうに差し込んでいた。
その光景は、ひどく平和だった。
しかし、その平和がどれほど脆いものなのかを、真壁は知っていた。




